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10年生存率はわずか2割…白血病を乗り越えた男性の歩み 入院中、大ファンの海外ミュージシャンからエール、ライブ招待も

古川 諭香 古川 諭香

ある日突然、思わぬ病気が判明すると、先の生き方が分からなくなる。匹田和樹さん(@PkrjKh)は35歳の時、「フィラデルフィア陽性急性リンパ性白血病」と診断された。

だが、匹田さんは絶望することなく、同じ病気で旅立った仲間に想いを馳せながら前向きに治療。抗がん剤治療や造血幹細胞移植を頑張り、告知時に医師から言われた「10年生存率2割」の壁を乗り越えた。

40度の高熱が毎日続いて「白血病」が発覚

匹田さんは35歳の頃、毎日、40度近い高熱が出るようになった。病院では風邪と診断されていたが、バイクで転倒し、血液検査を行ったことが転機となる。「白血病の可能性がある」と告げられ、大学病院を紹介されたのだ。

下された診断名は、「フィラデルフィア陽性急性リンパ性白血病」。染色体の異常が原因とされるこの白血病は当時、造血幹細胞移植が不可欠であり、再発率も高かった。

匹田さんはショックを受けたが、それよりも辛かったのは母親を泣かせてしまったことだった。

「母から『こんな状態で産んでごめんね』と言われた時が一番、辛かった。僕は病気を母のせいだなんて一切思わなかったし、今まで健康に育ててくれたことへの感謝しかなかったので、『頑張らなきゃ』と強く思いました」

匹田さんは服薬を開始し、抗がん剤治療を受けることになる。治療中には、心の支えだった恋人からの別れを告げられ、絶望的な気持ちに。そこに追い打ちをかけたのが、医師から告げられた「将来、子どもができないかもしれない」という言葉だった。

匹田さんはショックのあまり、病室で朝食を投げつけてしまったそうだ。だが、そんな行動に怒らず、無言で片付けをしてくれた父親の姿を見て、猛省する。

「こんなことをしたらダメだ、僕は一体何をやってるんだ…と目が覚めました」

闘病中に届いた海外ミュージシャンからのエール

父の温かな態度に触れたことで、前向きに治療に取り組むようになった匹田さん。孤独感が募りやすい闘病生活の中で支えとなったのは、大好きな音楽やSNSで繋がった仲間たちの存在だった。

「SNSに音楽の感想を投稿したり、仲間に近況報告をすることが日課になりました」

そんなある日、思いもしない奇跡が起きる。誕生日に、大ファンだったアメリカのミュージシャン、ライアン・アダムスさんからお祝いのメッセージが届いたのだ。

ライアンさんは、予定されていた来日公演にも招待してくれた。行くことは難しいだろう…。そう思っていたが、事情を知った看護師たちが一時退院してライブへ行けるよう、抗がん剤治療の日程を調整してくれた。

この温かい配慮によってライブへ足を運べた匹田さんはその日、ライアンさんと話す機会を持て、心温まるプレゼントを貰った。

「Tシャツやグッズを手渡ししてくれ、飼い猫の写真も見せてくれました。そして、飼い猫を描いた名前入りのイラストもプレゼントしてくれたんです」

応援してる。うちの猫みたいに強く生きろよ。イラストと共に、そんなメッセージも貰った匹田さんは胸が熱くなった。

「その時、もしかしたら生きていけるんじゃないかって、初めて思えました。こんな奇跡が起きた自分なら、大丈夫なんじゃないかって。この出来事を機に音楽がもっと好きになり、生きる糧にもなっていきました」

弟からの「いのちのバトン」。10年生存率2割の壁を越えて

4回にわたる抗がん剤治療を終えた後、匹田さんは造血幹細胞移植を受けた。移植時にも、匹田さんは思わぬ奇跡に見舞われる。なんと、HLAという白血球の型が実の弟と完全に一致し、スムーズに造血幹細胞移植が行うことができたのだ。

なお、入院中、母親は毎日、お弁当を作ってくれた。移植後に味覚障害になった時、心に染みたのは母親が作ってくれた大好物のニラ玉と茶碗蒸し。

「母の手料理は、何よりも大きな特効薬になりました。今こうして生きていられるのは、家族のおかげです」

移植後から1ヶ月半後、匹田さんは退院。約3年間のリハビリを経て、社会復帰を果たした。

「勤務先は僕を解雇せず、休職扱いにしてくれていました。だから、今も同じ職場で働けています。本当に感謝してもしきれません」

退院後は半年に1度、定期健診を受ける日々。当初は再発率の高さが不安だったが、仕事や私生活が充実するにつれ、匹田さんの意識は「再発を心配すること」から「今を生きること」へと移っていった。

移植から10年の節目を迎えた2026年3月。医師から「白血病は治ったと言ってもいい」と寛解を告げられた時には「10年経ったのか…!」と驚き、告知時に医師から告げられた「10年生存率2割」の壁を越えられたことを心から嬉しく思った。

ただ、同じ病気で旅立っていった仲間のことも匹田さんは忘れない。

「緩和ケアになった人ともSNSで交流してきたからこそ、その人たちの分も生きなきゃと思います。いつか天国で彼らに自分の人生を報告することが、僕の目標です」

同じ病気と闘う仲間に「ひとりじゃない」と伝えたい

治療時に投与していたステロイド薬の副作用により、匹田さんは現在、両目に緑内障を患っている。左目はほぼ見えず、右目には視野欠損があるそうだ。だが、悲観的にならず、「なるようになるしかない」「過去よりも今や明日が大切」と、前向きな姿勢で人生を謳歌している。

「もし、今ひとりで病気と闘っている人がいたら、ひとりじゃないよって伝えたい。SNSには仲間がいるし、僕に連絡をくれてもいい。痛みそのものから逃れることはできなくても、気持ちを吐き出したり仲間と共有したりすることはできる。いつでも話を聞くし、力になりたいです」

病気に大小はなく、どんな病気もひとりで闘うのは苦しい。身をもってその事実を知ったからこそ、匹田さんは誰かのSOSに応えたいと願っているのだ。

深い悲しみを知ったからこそ、笑顔で今という時を過ごそう。そんなモットーを胸に人生を積み重ねていく匹田さんには、もうひとつ大きな目標がある。

「病闘中に大失恋して恋愛が億劫になりましたが、発症から10年経ち、復職して収入的にも安定した生活を築けるようになったので家庭を築きたいです。白血病でも結婚できることを証明したい」

「今は絶賛、婚活中」と笑う匹田さん。明日という日が見えないと感じられた時には、ユーモアと強さを併せ持つ彼の生き方を思い出したい。

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