突然、災害や大きな事故に見舞われて人生が大きく変わってしまう可能性は誰にでもある。そんな時、人はどうやって“生きる力“を取り戻していけばいいのだろうか。
樹希(Juki)さん(juki_model)は19歳の頃、交通事故に遭い、半年間、深い意識障害の状態が続いた。目覚めてからは一変した人生に戸惑い、絶望もしたが、ありのままの姿を受け入れ、車椅子モデルとして活動し始めた。
19歳の息子が交通事故で意識障害に
2017年、樹希さんは車同士での衝突事故により、病院へ緊急搬送。17分間も車内に体が挟まれていたため、搬送時にはすでに意識がなかった。
連絡を受けた母親が病院で目にしたのは人工呼吸を装着し、全身に管がつけられた樹希さんの姿。樹希さんは脳挫傷により、意識不明の重体に。「命だけは助かってほしい」という母親の祈りが通じたのか、その後、命の危機は脱したが、自力で意思疎通ができない状態となった。
母親は、脳に関する情報を必死に勉強。本やネットに良いと書かれていることは何でも試した。
「CDよりカセットテープの音が脳に届きやすいと知れば、ラジカセを買い、ダビングして病室に持ち込みました。食べ物の匂いが脳への刺激になると聞き、息子の隣で涙をこらえながらお弁当を食べたこともあります」
必ず息子は戻ってくる。そう信じ、母親は樹希さんが「起きたい」と思えるよう、あえて明るく声かけもした。
そんな母親の声かけは、意識のない樹希さんへ届いていたそうだ。樹希さんによれば、母親の声や好きな曲はなんとなく聞こえていたという。
「母は毎日話しかけてくれているのに、『うん』という一言さえ返せなかった。心の中ではずっと『分かってるよ』『聞こえてるよ』と思っているのに、それを伝えられないことがもどかしくて、辛くて苦しかったです」
半年後に意識が回復!
事故から約2カ月後、樹希さんは意識が戻らないまま、リハビリ病院へ転院。急性期の病院では、これ以上できる治療がないと判断されたからだ。
リハビリ病院では主治医や理学療法士、作業療法士、言語聴覚士が連携して、毎日3時間リハビリを行ってくれた。医師らが重視したのは、あらゆる角度から刺激を与えること。意識がない樹希さんを車椅子に乗せて体を起こしたり、関節が固まらないように丁寧なストレッチを行ってくれたりしたそう。
「気管切開をしたので、言語聴覚士によるリハビリでは、呼吸のケアや口・舌の動きのケアなどもしていただきました。一見、反応がないように見える状態でも、脳に届く刺激を絶やさないことが大切だと、チームで信じて取り組んでくださったんです」
そうした細やかケアもあったからか半年後、樹希さんは意識を取り戻す。初めて瞬きで返事ができ、「ようやく意志を伝えられた。分かってもらえた」と思ったという。
「母も先生も看護師さんもみんな泣いていて…。たったひとつの意思疎通がこんなにも嬉しいことを、生まれて初めて知りました」
退院後には“障害受容”の難しさに直面
入院から1年半後、樹希さんは退院できた。だが、日常に戻ったことで、親子は“変わってしまった生活”を痛感。似た状態の人が多かった入院中とは違い、自分たちがマイノリティとなる一般社会では周囲の視線が気になった。
「大きな車椅子に乗り、顔や体に麻痺が残ったため言葉が思うように出てこない息子の姿は、以前とは全く違っていました。私はその現実が受け入れられず、『この姿を誰にも見られたくない』と強く思うようになったんです」
樹希さん自身も退院当初は何もできない自分が嫌になり、鏡を見ることにも抵抗があったという。親子は2年間、極力、外出を避け、ヘルパーやリハビリの医師とだけ関わる日々を送った。
「当時の私は、周りから“気の毒な親子”と見られていると思い込んでいました。未来に希望など持てず、笑顔も完全に消えてしまって。このまま誰にも見られず暮らしていけばいいと、本気で思っていました」
だが、インスタグラムで似た境遇の人の投稿を見たことで心境に変化が。中でも母親の心に深く刺さったのは、重度の障害がある夫を介護する奥さんの投稿だ。
「大変な現実のはずなのに、明るく笑って生活されていた。その姿に心を打たれ、私も息子とまた笑いたい、このままで終わりたくないと思ったんです」
また、樹希さんにとってもインスタグラムを通して見た“外の世界”は希望になった。退院直後は同年代の子が楽しそうにしている投稿を見ると胸が苦しくなったが、徐々に「自分ももう一度、外に出たい。楽しめることを探したい」と思うように。
「リハビリの継続で、体が動くようになってきたことも大きかったです」
「車椅子モデル」の存在に衝撃を受けて“叶えたい夢”ができた
前を向き始めた親子は、ある挑戦に挑む。それは、インスタグラムに樹希さんの姿を投稿することだった。隠れるようにして生きてきた親子にとって、自分たちの日常を公表するのはとても怖いことであったからこそ、恐怖の殻を破ろうと決めたのだ。
すると、想像していなかった反響が。共感や励ましの言葉が多く寄せられたのだ。
「“外の世界”は怖いと思っていたけれど、応援してくれる人がこんなにもいると知り、衝撃を受けました」
樹希さんらは投稿を継続。寄せられる応援は、リハビリを頑張る原動力になっていった。
そんな中で目に留まったのが、ある車椅子モデルの投稿。樹希さんは障害を個性に変えて表舞台に立つ姿に衝撃を受けた。
「しかも、その投稿は障害者専門芸能事務所のオーディション開催のお知らせで。僕は母に、オーディションを受けてモデルになりたいと伝えました」
オーディションの結果、樹希さんは見事、合格。障害者専門の芸能事務所アクセシビューティーマネジメントの車椅子モデルになった。
これまで受けた仕事の中で、特に嬉しかったのは大手企業のCM出演。重度障害がある自分のリアルを活かせた仕事だったため、喜びややりがいを感じた。
「撮影中は、みなさんの優しさが本当に嬉しかった。僕自身も良い作品にしたいと心から思えたし、プロとしてのスイッチが入った時間でした」
記憶障害や言語障害とも付き合いながら夢の実現を目指す
事故から8年経った今、樹希さんはリハビリの積み重ねによって椅子に座ったり、自分で食事をしたりできるようになった。
四肢麻痺は残っており、車椅子での生活は続いているが、できることは着実に増えている。
ただ、言語障害があるため、ひとりでの外出や初対面の人とコミュニケーションを取ることはまだ難しい。手足の緊張や動かしづらさから、着替えやトイレ動作などは介助が必要だ。
また、樹希さんには記憶障害があり、寝ると記憶がリセットされる。そのため、忘れたくないことや大事な予定などはiPadのメモ帳に自ら記録。一日のスタートは、そのメモ帳を見ることから始まる。
樹希さんの場合は写真や動画を見返すと記憶を思い出せることも多いので、日常の記録として写真や動画を残すことも家族の習慣になっている。
日付や予定は、壁に貼ったカレンダーを母親と見て確認。数時間経つと忘れてしまうこともあるため、その都度カレンダーやメモを確認している。
ただ、不思議なことに、仕事での経験や嬉しかったことや感動した瞬間など、心が強く動いた出来事は樹希さんの中で残り続けるそう。そうした“心の記憶”は、前を向いて生きていくための大きな力になっていると母親は感じている。
「息子は挑戦を続けていて、最近はひとりで近所のコンビニで買い物ができました。小さな一歩ですが、私たちにとっては大きな大きな前進。できないことはまだありますが、諦めずに少しずつ取り戻していきたい」
仕事の現場に漂う空気や、そこで感じる音や光、人の動きを五感で味わう瞬間が楽しいと語る樹希さん。今後は演技に挑戦したり、テレビ番組に出演したりして活動の幅を広げていきたいと考えている。
「具体的な目標を持つと、今頑張ることがはっきりして、リハビリのモチベーションになるります。自分のことをみなさんに知ってもらい、障害があっても挑戦できることを伝えたいです」
二人三脚で少しずつ自分たちの日常を確立していった、樹希さん親子。その姿は似た境遇の人にとって、光となる。