「新幹線で4時間かけて来た」「いつも動画見て、楽しそうでいいなと思った」「ほかの人が羨ましかった」「5年ぶり…自分で切ってた」。
そんな言葉が寄せられるのは、美容師歴20年の加納郁子さん。2年前から手話を習いはじめ、「手話ができる美容師」としてInstagramで発信したのがきっかけです。
すると、夫婦で営む神奈川県海老名市のサロン ANHUTTE(アンヒュッテ)へ、新幹線に乗って聴覚障害のある人や手話を学ぶ人たちが徐々にやってくるように。
ヘアカット&セットなどが終わると笑顔になる人々を見て、「“手話べり(聴覚障害のある人たちが使う言葉。手話+おしゃべりの意味)”は気持ちが伝わりやすい」と実感する加納さん。
お客さんのうれしそうな姿を見て、今はほかのスタッフたちも手話を少しずつ学び中。今回、手話を学ぶきっかけ、ヘアサロンでのコミュニケーションの大切さについて教えていただきました。
「お客様の笑顔はないままだった」
「なんで、お母さんは手話ができないの?」。小学校で手話を習ってきた娘の問いかけをきっかけに、加納さんはアシスタント時代のできごとを思い出しました。
「当時、勤めていたサロンに耳の聞こえない方がいらした時のことです。他のスタイリストが接客していたのを見ていましたが、筆談で思うようにコミュニケーションが取れていないような感じがあって、お会計の時も笑顔がなく帰られたのです。その記憶が蘇りました」
手話で話せたら笑顔にできるかな?聴覚障害のある方がサロンに来た時も活用できるのではないか?と考えるように。偶然にも、自治体の広報紙で「手話入門講座」の募集を見つけ、「手話ができるようになったらいいな」という軽い気持ちで手話の勉強をスタートさせました。
入門と名付けられているものの、加納さんいわく「かなり本格的」。2023年5月から約1年間通い、その後は市の手話サークルに入会して勉強を継続。手話を学ぶ仲間との会話の様子など、手話に関することをInstagramで発信するようになりました。
手話を求める人々が、遠方から急増
手話を用いた接客デビューは2024年春。インスタを見て来店した聴覚障害のある方でした。
「筆談なしで手話で会話できるのが嬉しい!カット中話さないのが楽しくないし寂しかった。他のお客さんが美容師さんと楽しそうに話している様子を羨ましく思っていた」
加納さんは、「手話講座の先生を接客した経験はありましたが、新規で初めてのお客様。緊張していたけれど、すごく嬉しそうに手話で話してくれて最後は笑顔で帰ってくれたので涙が出そうに。美容師人生で一生忘れられない出来事になりました!」
うれしそうに手話で伝えるお客さんの動画の様子は拡散され、900万回以上の再生回数に。「インスタを見た」と加納さんを指名する人が増えました。
その中には「いつもは聞こえる人に一緒に来てもらうけど、ひとりで美容室に来た!」「ずっとセルフカットだった」という人や「手話で接客できる美容師になりたい」という人も。
「正確な人数は把握していないのですが、月に10~15人ぐらいは聴覚障害のある方がいらっしゃいます。この2年間で計算したら、150人ぐらいでしょうか。リピーターのお客様とともに、新規のお客様もどんどん増えています」
大阪や京都から新幹線を利用して足を運ぶ人もおり、愛知、静岡、東京、秩父、と遠方からのお客様が続いた日も。聴覚障害のある方がサロン内に居合わせて、手話での会話“手話べり”が弾んだこともありました。
また、家でのお手入れなどを手話で説明した時には「そんなことも教えてくれるの?!」と驚かれることも。
「聞こえる人同士の場合、髪のカット中などにいろいろ会話をして、普段のケアなどについてもお伝えするので当たり前だと思っていたのですが、聴覚障害があるとそれが抜け落ちてしまうのだと痛感しました」
さまざまな出会いや知らなかったことを知る機会を経て、世界が広がったと感じています。
「コミュニケーションの大切さを改めて知りました。筆談でも意思疎通はできると思いますが、手話だと目を見て話せるので気持ちが伝わりやすいんです。お客様もおっしゃっていますが、会話の温度が違います」
手話を始めて約2年半になった加納さんですが、聴覚障害のある方が笑顔でサロンを去ることができるよう、日々手話の勉強を続けています。
■手話/手話美容師/加納郁子/海老名美容室 ANHUTTE Instagram @anhutte_kano
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