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試練迎える富山地方鉄道…苦境に陥った要因は? 昭和・平成の時刻表から検証する

新田 浩之 新田 浩之

地方私鉄の雄、富山地方鉄道が試練を迎えています。9月1日に開催された立山線と不二越・上滝線のあり方を話し合う検討会にて、地鉄は立山線一部区間を来年11月いっぱいで廃止する方向で準備を進めていることを明らかにしました。また、本線の滑川~新魚津間も、廃止する方針で進めています。

地鉄(地方私鉄)がここまで苦境に陥った要因として、並行するあいの風とやま鉄道の充実が挙げられます。あいの風とやま鉄道は、JR北陸本線一部区間を引き継ぎました。しかし、国鉄時代の普通列車の本数は多くありませんでした。一体、どれくらい増えてのでしょうか。

総距離90キロを超える富山地方鉄道の鉄道線

地鉄・鉄道線(富山港線・富山軌道線を除く)は本線(電鉄富山~宇奈月温泉)、不二越・上滝線(稲荷町~岩峅寺)、立山線(寺田~立山)から成り、総距離は90キロを超えます。このうち、本線は中滑川~新魚津間で、あいの風とやま鉄道(旧JR北陸本線)と並走。新黒部駅で、北陸新幹線・黒部宇奈月温泉駅に接続します。

特急列車に言及すると、2024(令和6)年4月ダイヤ改正まで、本線を走破する特急「うなづき」が設定されていました。現在の本線特急は、新黒部~宇奈月温泉間「くろべ」のみとなっています。もっとも、1990年代までは大阪から国鉄・JR北陸本線を介して、直通特急列車が乗り入れていました。

地鉄は本線に関して、滑川~新魚津間の他に、新魚津~宇奈月温泉間も廃線を基本としています。もし、両区間が廃止になると、本線は電鉄富山~滑川間21.8キロになり、現在の半分以下になってしまいます。

富山~滑川・魚津・黒部間では不利な地鉄

本線がここまで苦境に陥った要因として、あいの風とやま鉄道の存在が挙げられます。あいの風とやま鉄道は、2015年北陸新幹線金沢延伸の際に、富山県内のJR北陸本線(倶利伽羅~市振)を引き継ぎました。

富山から滑川、魚津、黒部へはあいの風とやま鉄道の方が、圧倒的に便利です。比較すると、あいの風の場合、富山~滑川間16分・390円、富山~魚津間24分・600円、富山~黒部間30分・700円です。列車本数(日中時間帯)は1時間あたり1本~2本です。

一方、地鉄は電鉄富山~滑川間43分・650円、電鉄富山~新魚津間57分・810円、電鉄富山~電鉄黒部間66分・950円です。電鉄富山から宇奈月温泉まで行く列車の本数は、2時間に1本程度です。

地鉄本線は立山町や上市町を通ることから、結果的に滑川、魚津、黒部方面は富山から遠回りになっています。

昔は国鉄と役割分担ができていた

それでは、昭和の時代から富山~滑川・魚津・黒部間の鉄道輸送が、国鉄北陸本線が圧倒的に有利だったか、と言われるとそうではありません。確かに、所要時間では国鉄が勝っていましたが、列車本数が違っていました。

1980年10月号の時刻表を見ると、富山→魚津間の日中時間帯における快速・普通列車の本数は1~2時間に1本が基本でした。富山駅下りですと、9時20分発直江津行きの次の普通列車は、11時50分発までありませんでした。9時20分~11時50分の間に特急3本、急行1本が設定されていたことから、当時の北陸本線は、長距離輸送優先であったことがわかります。

一方、地鉄・電鉄富山→宇奈月温泉間は、特急料金100円の特急と普通合わせて、1時間あたり1本~2本のダイヤでした。これに加え、多数の区間列車が設定されていました。

様相が変化したのは1980年代半ばです。国鉄民営化直前の1986年11月号時刻表を見ると、富山→魚津間普通列車の本数は、1時間あたり1本~2本に増えています。

JR化以降はさらに本数が増え、1999年3月号の時刻表を見ると、10時台~16時台における富山→魚津間の普通列車は計12本でした。

一連の国鉄・JRによる普通列車の本数増加は、地鉄本線に大きな影響を与えました。地鉄は2004年3月ダイヤ改正にて、JR北陸本線と並走しない本線の一部区間(電鉄富山~上市)で列車本数を増やしています。

このように、昭和の時代は国鉄=長距離輸送、地鉄=中・近距離輸送で棲み分けがされていました。しかし、JR・あいの風とやま鉄道は中・近距離輸送に力を入れ、地鉄本線は苦しくなりました。さらに、2015年3月の北陸新幹線金沢延伸により、電鉄富山~宇奈月温泉間の直通需要の喪失が、追い打ちをかけた、と考えていいでしょう。

いずれにせよ、今後の地鉄本線のあり方をめぐっては、あいの風とやま鉄道との関係性の議論も不可避なように感じます。

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