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大阪名物うどんすき発祥の美々卯 文豪に愛された蕎麦の名店だった! 女性スタッフだけで挑む蕎麦専門店が軌道に

クラブTVO編集部 クラブTVO編集部

黄金の出汁に肉・魚介・野菜の旨みが染み出した珠玉の逸品、大阪名物『うどんすき』。その商標を持ち、発祥として名を馳せる「美々卯」は、年間15万食を提供し、「美々卯」=「うどんすき」と言っても過言ではありません。そんな「美々卯」に、女性だけが働く蕎麦の専門店があることをご存知ですか?100年の歴史を迎える老舗が、なぜ驚きのリニューアルを果たしたのか。その裏側に迫ります。

美々卯の本店なのに“うどんすき”がない

「美々卯」の本店があるのは大阪市中央区。ビルが立ち並ぶ本町エリアに、まるで料亭のような建物が見えてきます。こちらが美々卯の本店で、2024年にリニューアルオープンした「美々卯 Megumi」です。

話を伺ったのは5代目社長の妻、女将の江口温子さん。本店は、なんと美々卯の看板商品である“うどん”の取り扱いはなく、蕎麦だけの専門店なんです。

そこで蕎麦を打つのは、女性の蕎麦職人。さらにスタッフも女性ばかりで、美々卯としては店舗初の試みだそうです。100年の歴史を持つ名店がなぜ蕎麦の専門店を、そしてなぜ女性だけのスタッフの店を作ったのでしょうか。

かつてはあの文豪も通っていた!美々卯の始まりは蕎麦だった

その誕生は、美々卯5代目社長である江口公浩さんの悩みから始まりました。せっかく社長になったのだからと、自分なりの改革で会社を盛り上げることを考えます。

しかし、歴史をかけて作られた「うどんすき」はすでに味が完成されていて、変えるところがありません。出る幕がないと頭を抱えていたところ、ひとつの記憶が蘇ります。

それは公浩さんがまだ店舗の店長だった頃、来店した客に店のおすすめを聞かれ、実は蕎麦もおすすめだと伝えると「美々卯のくせに蕎麦なんかあんの?」と言われたことでした。それがずっと心に引っかかっていたのです。

1925年(大正14年)に創業した美々卯の始まりは、初代薩摩平太郎さんが、戎橋北詰に開いた“大衆蕎麦店”だと言われています。

今でこそ当たり前の、ざるそばにうずらの卵を付けることも、美々卯が発祥なのです。

文豪の谷崎潤一郎も、その蕎麦を目当てに足繁く通ったほどでした。しかし、“関西=うどん”というイメージのもと、美々卯もいつしか「うどんすき」が有名になり、蕎麦の存在は忘れられていったのです。

原点回帰を図り、「蕎麦を推していくこと」を思いついた公浩。何かもう一つインパクトが必要だとひらめいたのが、「女性職人のいる蕎麦の店」でした。以前から、女性のスタッフは結婚し子どもができると辞める人が多かったため、女性が働きやすい環境を整えたいという意向もありました。

新店舗のために抜擢したのが、現在美々卯本店の店長を務める島村紀子さんでした。

紀子さんは18歳で美々卯に入社。蕎麦打ちにハマり、わずか4年でたった5人しかいない蕎麦打ち認定1級を取得したほどの腕前。女性で唯一の手打ち蕎麦のエキスパートでしたが、妊娠出産に伴い退社。しかし、子どもが成長したためパートとして復帰していたのです。

公浩さんに店長になって欲しいと言われるも、子育てを優先したい紀子さん。

そこで公浩さんが明かしたのが、「ランチ営業しかしない」という驚きのプラン。「朝に仕込みをして営業時間は11時から15時まで、後片付けをしても夕方には帰ることができる」と説得します。

そしてもうひとつのプランは、スタッフ全員を女性にすること。「子育て中の人が家族も仕事も大事にできて、蕎麦打ちを極めたい女性社員が集まるお店を作りたい」という、公浩さんの熱い想いに紀子さんも可能性を感じ受け入れることに。こうして、子育て中のスタッフも含めた、美々卯きっての女性人材が集まった店が誕生したのです。

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