取扱高&消費量日本一、年商50億円を誇るとらふぐ専門店「玄品」。独自の技術により手軽な価格で高級料理の代名詞・ふぐを楽しめる人気店ですが、その影には女社長の知られざる波瀾万丈の物語がありました。
順風満帆な日々、好調だった会社を襲った悲劇とは…
ふぐの王様と言われる「とらふぐ」をリーズナブルに提供し全国に店を展開するとらふぐ料理専門店「玄品」。
お話を伺ったのは株式会社関門海の社長、山口久美子さん。もともと「玄品」は久美子さんの夫、聖二さんが1980年に大阪・藤井寺にて「ふぐ半」という名前で創業した会社で、聖二さんが亡くなった後に社長を引き継いだのです。
「ふぐ半」の創業当時はふぐ料理を提供する店が少なかったため、経営は順調で店舗をどんどん拡大していきました。そんな中、聖二さんは久美子さんと出会います。初対面で運命を感じて恋に落ち、半年後に結婚。さらに結婚から2年後には出産、久美子さんが24歳になる頃には3児の母になっていたのでした。
その頃は20代、30代の若者が集い、活気に満ち溢れていた社内。2001年には社名を「関門海」に変更、国内99店舗を展開し、大阪・松原市にセントラルキッチンを備えた本社を開設!
2002年には著名な美術作家に命名してもらった「玄品ふぐ」に店名を変更し、さらなる飛躍を目指していました。
ところが…2005年、夜遅くまでふぐの養殖の研究を行っていた聖二さんが、帰り道のバイク事故に遭い、44歳の若さで帰らぬ人となってしまったのです。
当時小学生だった3人の子育てなど、不安を抱える久美子さんを支えたのは、聖二さんが生前に残したたくさんの語録でした。その中の一つ「大抵のことは大したことないんやで」。その言葉のおかげで悲しみを乗り越え、前向きになれたそうです。
ですが、亡くなる直前まで、ふぐのこと、会社のみんなのことを思い頑張っていた創業者を突然失ったことで、会社の経営は混迷を極めます。
ふぐ料理専門店以外にも、回転寿司や宅配など積極的に事業を行おうとしましたが、それが裏目に出て負債は膨らむ一方!
さらに、会社の経営が傾くにつれ、社風もどんどん変化していくことで戸惑う社員や店舗の従業員たちが、何人も久美子さんのもとに相談に訪れるようになっていました。聖二さんの急逝から7年間沈黙を守っていた久美子さんでしたが、「このままでは聖二さんが作った会社が無くなってしまう」と考え、ついに関門海に入社することに。
しかし、実際に入社してみると・・・会社には活気がなく、負債40億円を抱えているので社員は完全にお手上げ状態。ここでも久美子さんは生前、聖二さんから「くーちゃんは明るさと馬力が人一倍あるから」と言われたことを思い出し、その持ち前の馬力で改革へ乗り出します!
全店舗の掃除で見えた “弱点”から真の「玄品」へ
久美子さんがまず目を向けたのは会社の顔とも言える「店舗」。当時99店舗あった店すべてに挨拶に出向き、掃除をして回ったのです。
そこで見えてきたのは美術作家が命名した「玄品」という店名にふさわしくない、安っぽい店内の装いと従業員の活気のなさ。それは創業者が描いていた玄品ふぐとはかけ離れていた姿。過去の「愛にあふれた会社」のイメージは薄まっていました。
そこでまず、店のブランディング改革に乗り出します。店名の独特なフォントに合うようにメニュー表やランチョンマット、お土産用の紙袋などあらゆる店内のアイテムを一新することに。
そうすることで店に高級感や清潔感が生まれ、接待や会食で利用されるようになり、さらに“和の雰囲気”が好評を博し、外国人客の利用が増加したのです!