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「母は49歳で突然旅立った」 くも膜下出血で大切な人を失った息子が今伝えたいこと

渡辺 晴子 渡辺 晴子

「今日は母の命日です。11年前、母は49歳で亡くなりました。死因はくも膜下出血でした。予兆は、ありました」

SNSに投稿された言葉には、大切な人を突然失った息子さんの、後悔と学びがにじんでいました。

今回取材に応じてくれたのは、この投稿をした「ユッケ@夫 | 他サポ夫婦の日常」さん(@FRONTALE11CBR74)。お母さんの死から11年が経った今もなお、当時のことを鮮明に覚えているといいます。

家族を優先し続けた母の生き方

「母はとても明るくて社交的で、家族や周りの人をいつも最優先する人でした。自分のことは何でも後回しにして、人が嫌がることを率先して引き受けるような人でした」

お母さんは職場でもPTAでも、面倒なことを引き受けては周りを助けていました。経営が苦しくなった勤め先では「正社員を守ってあげて」と自ら退職を申し出たこともあったといいます。

幼い頃、息をしていない状態で生まれたユッケさんは、21日間の入院で母と離ればなれに。

「母はずっと泣いてばかりだったそうです。食が細かった私のことをずっと心配してくれていました」

厳しいしつけの中でも、相手を思いやる心だけは繰り返し教えられたそうです。

「母が教えてくれた“日常の五心”は、大人になった今でも大切にしています」

命を落とす数日前、確かにあった予兆

11年前の命日当日。ユッケさんは実家を出て暮らしていたため、母の異変を直接見ることはできませんでした。

「朝から頭痛が酷くて、家事を休み休みやっていたそうです。時間が経つにつれて吐き気もあったと聞いています」

同居していた義母に気を遣い、お母さんは病院へ行こうとしませんでした。仕事へ出かける直前、お父さんは病院へ行こうと声をかけましたが、お母さんは「大丈夫」と答えたといいます。

その日の深夜、お父さんの慌てた声でかかってきた電話。危険を察知したユッケさんは「とんでもないことが起きた」と直感したそうです。

「もっと強引にでも病院へ連れて行けば…」今も消えない後悔

「母の死を聞いた時は、悲しいというより現実味がなくて。ただ茫然としていました」

帰省してから葬儀までの間、親族が当たり前のように集まってくれました。

「何も食べられなかった私たち兄弟に、おにぎりを握ってくれたことを今でも覚えています」

母の火葬の日、実家で大きな音が鳴りました。

「母が何かを伝えようとしたのかもしれないと、あのときは思いました」

その後、母の霊をはっきりと見た経験もあると話します。

「親の健康を後回しにしないで」後悔を伝えたい理由

「あのとき、無理にでも病院に連れていれば母は助かったかもしれない。だから伝えたいんです。親が『大丈夫』と言っても、全然大丈夫じゃないこともあります。大丈夫と言うのは、家族を心配させたくないだけかもしれません」

同じ思いをしてほしくない。だからこそ、ユッケさんはこの取材でこう呼びかけています。

「子どもを優先するのは親として当然のこと。でも、健康をおろそかにするのは違います。親が突然亡くなれば、残された家族は大変です。どうか、親自身も自分の体を大切にしてください。そして子どもたちは、親孝行は“できるうちに”。後悔しないようにしてほしいです」

くも膜下出血は40代以降の女性に多い病気

くも膜下出血は突然発症することが多い脳の病気で、特に40代以降の女性に比較的多いとされています。強い頭痛や吐き気、普段と違う激しい症状を感じた場合は、ためらわずに救急車を呼び、すぐに医療機関を受診してください。

ユッケさんの言葉が、誰かの命を守るきっかけになりますように。

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