終わらない挑戦で年間売り上げ100億円 京都土産の定番商品「おたべ」と「京ばあむ」 機械化、黒いおたべ、洋菓子作りで大成功

クラブTVO編集部 クラブTVO編集部

京都土産といえば、「生八つ橋 」を思い浮かべる人も多いのでは?その「生八つ橋」がどのように生まれたかご存じですか?しかも「生八つ橋」を作った同じ会社が新たな京都土産を生み出してその商品も大ヒットしているんです。今回は「生八つ橋」「おたべ」「京ばあむ」を生み出したメーカー京都九条に本社を置く「美十」をご紹介。

厳しいスタートだからこそ・・・柔軟な発想で新しいお菓子が誕生!

話を伺ったのは、3代目の酒井宏彰社長。父と祖父が作った「おたべ」と自身が作った「京ばあむ」で、今では売り上げが100億を超えているのだそうです。

河原町六角で菓子の小売店「美十」を営んでいた酒井清三と妻の春栄。戦前は喫茶店を営んでいたものの、戦後は小売商店として再スタート!

その当時、京都に急増した修学旅行生たちにお土産として八ッ橋が人気だったことから、「美十」でも八ッ橋を仕入れ、販売していました。

最初は仕入れと販売のみでしたが、あまりによく売れていたので自分たちでも八ッ橋を作り始めることに。当時八ッ橋は35社で製造されており、最後発という厳しいスタートでした。さらに、八ツ橋はすべて手作りで、焼き子の採用と育成に多くの労力が必要であることが判明したのです。しかし、最後発だからこそできた柔軟な発想で業界初の機械化に踏み切り、手焼きの約3倍の生産能力を持つ"八ツ橋自動焼上機”を完成させます。

こうして生産効率は格段にアップしたのですが、後発メーカーで知名度もなかったため、売り上げは伸び悩んでいました。この頃から清三は、八ツ橋に変わる新たな商品の必要性を感じていました。

時は過ぎ、1966年(昭和41年)には息子の英一も仕事を手伝うことに。滋賀でのヘルスセンターでのテナント出展を機に、親子で八ッ橋に代わる“新商品”の開発に乗り出しました!

“誰でも簡単に作れること”を必須条件に!また、ヘルスセンターに来るお年寄りも食べられるように“固くない”ことも重要だと考えました。そんな時に目をつけたのは・・・焼く前の生の八ッ橋。八ッ橋メーカーの人たちは“生の八ッ橋”が美味しいことを知っていましたが、日持ちがしない為、販売はしていませんでした。栄一はそんな“生”の八ッ橋に再注目したのです!しかし、美味しいとは言えただの「生八つ橋」だけでは売れないだろうと考え、父親譲りの柔軟は発想を活かして粒あんをはさんでみると・・・

上品な味の「生八つ橋」に、あっさりとした粒あんがピッタリ!しかも、「生八つ橋」に餡を入れて生地をおりたたむだけで、職人じゃなくても誰でも作ることが出来るシンプルな工程。こうして、今も多くの人に愛されている生菓子「おたべ」が誕生したのです。

ちなみに、商品名の「おたべ」は大阪の「くらわんか餅」の名前を参考にしたのだそう。「くらわんか」を京都弁にしたら「おたべやす」となりますが、それを「おたべ」と短くしたのには、理由があるのだとか。それは・・・お菓子メーカーの「グリコ」が3文字だったから!まさかの大阪生まれのお菓子が関係していたのでした。

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