有馬名物は年間700万枚のメガヒット 炭酸せんべい誕生の裏には「毒水」と恐れられた井戸水があった! 

クラブTVO編集部 クラブTVO編集部

日本三古泉、日本三名泉に数えられ、豊臣秀吉も愛したとされる関西の奥座敷、有馬温泉。有馬温泉の名物といえば「炭酸せんべい」。有馬の井戸から湧き出る井戸水をつかったせんべいです。しかし、その昔、有馬の井戸から湧き出る「炭酸水」が毒水だと恐れられていたのをご存じですか!?今回は、そんな炭酸水をつかった明治時代生まれの有馬温泉名物「炭酸せんべい」の誕生秘話に迫ります。

毎日手焼きで2万枚、年間約700万枚を販売。炭酸せんべい発祥のお店である三津森本舗の4代目社長弓削次郎さんに「炭酸せんべい」の成功秘話についてうかがいました。

有馬温泉の「銀泉」は「毒水」と誤解されていたってホント!?

有馬温泉の泉質の1つ「銀泉」は炭酸を大量に含む温泉。その影響で井戸の水にも炭酸が含まれており、発生するガスで鳥や虫が大量に死んでいたため、「毒水」として恐れられていました。しかし、明治初期に国が改めて検査をした結果、有益な飲料水であることが判明。

炭酸水が体に良いとわかったことで、有馬の近くの宝塚ではこの炭酸水をイギリス人のウィルキンソンが飲料水として販売を開始、炭酸水の商品化が進められました。その成功を横目に見ていた三津森本舗の創業者、三津繁松たちは「有馬にはこんなに炭酸水がありふれている。何かできないのか?」と炭酸水を使った「有馬にしかできない商品づくり」を考えるようになりました。

有馬に名物を!「炭酸せんべい」誕生のきっかけは⁉

当時、有馬の名物といえば、竹細工と松茸昆布、山椒など・・・炭酸水を活用した商品化は難しいと考えられていました。そのとき、三津繁松が目をつけたのが「吉高屋」が販売するせんべい。有馬には食べ物を売る店が少なく、唯一名の知れたお菓子が「吉高屋」の「よしよしせんべい」だったのです。

炭酸水をつかったせんべいなんて、本当にできるのか?と仲間に言われた三津繁松でしたが「とりあえず一回やってみよう」と仲間とともに商品開発にチャレンジすることに。

和菓子の知識は皆無の繁松たちは「吉高屋」のせんべいの材料である小麦粉や砂糖に炭酸水を加えて焼いてみることに。しかし、これが大失敗。炭酸水により膨張したせんべいは、分厚く膨れて固くなってしまい、とても食べられるものではありませんでした。そんな中、三津繁松は「このパリパリした食感はおもしろい」「薄かったら美味しくなるはず」と諦めません。炭酸の効果である、パリパリした食感を活かすために、できるだけ薄く焼くことを考えます。

食感が楽しめる薄さを求めて試作を重ねた末・・・直径9cm、厚さ1mm、パリパリ食感の「炭酸せんべい」にたどり着きました!こうして誕生したのが現在の「炭酸せんべい」です!

炭酸せんべいが「有馬名物」になった意外な理由は「〇〇食」⁉

最初は大阪の問屋さんを通じて販売していた「炭酸せんべい」。販売当初は有馬ではなく大阪で「美味しい」と評判になった「炭酸せんべい」ですが、明治後期に一躍有名になる出来事が起こります。

その出来事とは…病院食になったこと!当時、有馬温泉の愛好家であり大阪の病院で院長をしていた緒方洪庵の次男である緒方惟準が、卵やバターなどが入っていない「炭酸せんべい」は、子どもからお年寄りまで食べられるため病院食にぴったりだと、大量に購入。理想的な病院食と言われた「炭酸せんべい」は次第に有名になっていったそうです。

こうして大正時代には有馬名物として定着し、現在不動の人気を博しています。

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