小学1年で発症 「起立性調節障害」の診断書を担任は信じなかった 26歳でたどり着いた症状との向き合い方 「この病気には希望がある」

古川 諭香 古川 諭香

「起立性調節障害」は思春期前後の小児に多くみられ、起立時に眩暈や動悸などが起きる病気だ。大学4年生のたきさん(@taki03070)は小1の頃から起立性調節障害との付き合い方に悩まされた。

だが、学校外で様々な経験をしたり、色々な大人と出会ったりしたことから、自分らしい病気との向き合い方を見つけることができた。

小1で起立性調節障害を発症

小1の頃、たきさんは頭痛に悩まされるようになり、母親に連れられて専門医がいる病院へ。しかし、当時は起立性調節障害の専門医が少なく、診察は2年待ち。確定診断に至ったのは、小3の時だった。

幼いながらも、たきさんは治らない病気であることを理解。起立性調節障害は現代の医学では根本的な治療法が確立されていないため、漢方や整体、起床時に足を温めてから冷やし、血流を上げるなど様々な方向から症状の改善を目指すことになった。

しかし、頭痛はなくならず、体のだるさにも悩まされるように。学校では3時間目くらいまでは保健室登校をし、体調がよくなってから教室へ向かうように工夫していたが、登校時間に間に合うよう、起床しなければならないのが辛かった。

「親は車で送ってくれもしましたが、行ってもしんどいのに、なんで行かなあかんのやろ…と苦しかったです。ただ、まだ幼かったので、みんな自分と同じくらい辛い状態で学校へ行っているんだろうなと思っていました」

診断名がつくと学校側に症状を説明しやすくはなったが、教師によって受け止め方は違った。小3の時の担任教師は、診断書を提出しても信じず。「気持ちの問題』と言われたため、たきさんの母親は歯がゆい思いをしたという。

起立性調節障害との付き合い方を模索した学生時代

様々な治療を試すも、症状は改善せず。何をしても治らないという経験が積み重なると、治療に取り組む気力もなくなっていった。

だが、たきさんは強い。体調を考慮しながら、病気と上手く付き合う方法を試行錯誤し続けたのだ。

「しんどくても学校へは行く、できる範囲で授業を受けるなど、今できることをしていました。そうした中で気づいたのが、時には諦めることのほうが大事だということでした」

無理をしたらできることは言い換えれば、体調を考慮すると続けることが難しいことである。その答えに辿りついたたきさんは、体に鞭を打ちながら生きることを止めた。

中学は3年間通えなかったが、中2からは家に引きこもらず、ボランティア活動やサッカーなど、自分が楽しいと思えることに全力投球。たきさんは学校の外で世界を広げ、人と繋がることの楽しさを学んでいった。

その後、たきさんは大学に進学。大学1年生の頃は比較的、症状が落ち着いており、キャンパスライフを楽しめていた。(※個人差はあるが、起立性調節障害は成長するにつれて症状が落ち着くケースもある)

だが、大学2年生の後期に体調は悪化。たきさんは休学を選択した。

復学に向けて学校外での“精力的な活動”で体調をチェック

休学から1年後、たきさんは復学するも、2022年に再び体調が悪化。朝から授業がある日は起きた時点で、フラフラ。洗顔時に立っているのも辛かった。

「なんとか学校へ行けても座ると脳の血流が下がるので、授業が頭に入ってこなくて。授業を抜けて校内にあるラウンジのソファーで眠ることもありました」

いっそ、中退しようか。そう思ったが、親から「もう一度、休学してから考えよう」と言われ、再び休学を選択。半年ほど経つと体調が落ち着いてきたため、たきさんは学校外での活動に力を注ぎつつ、登校できる体調になってきたかをチェックすることにした。

活動的なたきさんは、小5の頃から参加していた教育委員会主催のキャンプでスタッフとして働いたり、子どもと関わる仕事に携ったりしたそう。その中で、「この体調なら大丈夫」と思え、大学に復学や就活の相談をした。

すると、キャリアセンターから就活対策としてインターンを勧められたため、隠岐の島へ。なんと、3カ月間、島暮らしをしたのだ。

「地域活性化に興味があり、島が好きだったので決めました。朝8時半に役場へ出勤する生活を3カ月間送れたため、さらに自信を持って復学できました」

その後、たきさんは就活を無事に終え、内定を獲得。来春から新しい道を歩む予定だ。

学業の傍ら、フリースクールの広報に力を入れる

起立性調節障害があったから、やりたいことがあった時は体調面を踏まえてできるかを判断し、様々な場面で自分の気持ちに目を向けなければならない人生だった。でも、それは体調が落ち着いた時、自分の長所になった。

そう語るたきさんは、起立性調節障害を抱えながら色々な経験をし、多くの山を乗り越えてきたことが自分の自信に繋がったと感じている。

「以前、私はボランティアサークルを立ち上げて起立性調節障害の子たちの居場所を作る活動をしていたんですが、最近5年ぶりにその子たちに再会したら、みんなピーク時より症状が落ち着いて、病気と上手く付き合いながら新しい道を歩んでいたので衝撃を受けました」

予期せぬサプライズに、たきさんは嬉しさを感じると同時に「根本的な治療に辿りつくのは難しいことも多いけれど、この病気には希望がある」と思えたという。

現在、たきさんは学業に励む傍ら、フリースクールのスタッフとして奮闘中。当事者のもとにフリースクールの情報がより届きやすい社会になるよう、できる努力をしている。

現在、チャレンジしているのはメディアプラットフォーム「note」を活用した、情報メディア「ヨリミチ」の運営。

「ヨリミチ」では一般的な公立や私立の学校とは異なり、独自の教育理念や方針のもとで運営されている「オルタナティブスクール」やフリースクールなどで働くスタッフの“ホームページでは知れない想い”を配信。この発信法は、行政とnoteが業務提携して情報を発信する斬新な広報の形からヒントを得て始めた。

「知らないからこそ書ける情報は貴重なので、僕自身も所属している学生団体に取材や記事執筆をしてもらっています。学生側は色々な大人と関われ、知らない世界を知れる。フリースクール側は人手が足りなくて広報に手が回らないところも多いので、Win-Winです」

そう話すたきさんは起立性調節障害仲間に、温かくも力強いエールを贈る。

「最終的な決断は、自分で行う人生にしていってほしい。まずは関心があることに目を向け、その中で色々な大人に出会い、色々な人生選択があることを知ってほしいです」

また、たきさんは大人の心に刺さるメッセージも口にする。

「起立性調節障害の子を持つ親御さんは我が子を肯定し、本人の決断を尊重してほしいです。選択肢を与えあげることは大切ですが、最終的な決定権は本人にあってほしい。私は自分で選んだ決断の先で色々なものに触れたことで、治療法が見つからなくても心が豊かになったから」

このメッセージは病気の有無に限らず、親心に響くことだろう。たきさんの生き方が、起立性調節障害との向き合い方に悩む親子に届いてほしい。

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