1998年に、オーディション番組をきっかけに発足したアイドル集団「Hello!Project(以下ハロプロ)」は今年、25周年を迎えました。モーニング娘。をはじめ、数々のアイドルたちを生みだしてきたハロプロ。歴代メンバーはなんと150人以上にも上ります。25周年の歴史の中で、変化してきたこと、そして、変わらず受け継がれる魅力とは。モーニング娘。OGの矢口真里さん、田中れいなさんに、お話を聞いてみました。
「今でもOG」でいられるのがうれしい
―ハロプロが25周年を迎えました。お2人の受け止めはいかがですか?
矢口真里「入れ替わりの激しい芸能界で、25回も年をとれたのは当たり前のことではないですよね。みんなで集まってライブもできて、幸せな年を迎えました」
田中れいな「私は、25年のうちの10年間、ハロプロに携わりました。元々モーニング娘。のファンだったので、自分も入れてうれしかったし、現役メンバーがモーニング娘。'23として活動してくれていることによって、今でも『OGの田中れいな』であれることがうれしいです」
―ご自身の活動の中で特に印象に残っていることは何ですか?
矢口「やっぱりハロプロはライブが主な活動なので、年間300本以上のライブ、イベントをこなしていたこと。お正月からスタートダッシュとして、中野サンプラザで1日3回の公演を3日間とかやってました。1年がライブで始まりライブで終わるのがモーニング娘。のスタイルなんです。今も後輩たちは毎週末、いろんなところでライブやイベントをやっています。コロナ禍では活動が制限されて苦しかったと思うけど、今また自由にできるようになりました。いつも駆けつけてくれるファンの方々は、ありがたい存在です」
田中「印象的なことはたくさんあるんですけど…ふと思ったのは、モーニング娘。に入った当初、ファンクラブツアーでハワイに行っていたんです。でも私が在籍している途中からなくなってしまった。なので、ハワイにファンの方と一緒に行けていたのは良い思い出です」
40歳でミニモニ。「至難の業だった(笑)」
―今年9月には、25周年記念コンサートが国立代々木競技場であり、お2人も出演されました。特に印象的だったパフォーマンスはありますか。
矢口「すべての曲に思い入れはあるんですが、しいて言うならミニモニ。を40歳で歌ったこと。なかなか至難の業だったなあと思います(笑)。まず衣装が当時の、10代の頃に作ったものだったので、これはどうしようか…と。駆け込みで、1週間くらい食事制限をやりました。それから、一緒に歌ったメンバーも10代の松本わかなちゃん、豫風瑠乃ちゃんと若かった。(同じくステージに立った)辻ちゃんは完璧でしたが、私は必死で、なんとかついていきました」
田中「私は、鈴木愛理ちゃん、夏焼雅ちゃんと3人で『あぁ!』ができたこと。『あぁ!』は20年前のユニットなんですが、誰一人欠けることなくステージに立つことができました。言葉で表すのは難しいのですが、子どもの頃、急に『ユニットやるよ!』と言われて集まった3人なので、見えない絆というか、他の子たちとは違う空気感が3人の間にはあるんです。今もそれぞれで活動している中、またこうやって集まれたのはすごいと思いました。それから、ファンとして見ていた『タンポポ』や『ミニモニ。』を生で見れたこともよかったです!」
―田中さんは、「あぁ!」をやることが決まった時、鈴木さん、夏焼さんと何かお話ししましたか?
田中「衣装について『黒で合わせて、ポイントだけそれぞれで決める?』みたいな会話はしました。でもあまり時間がとれないまま本番を迎えました。しかも私たちは事前のリハーサルがなくて、当日会場に入って、当時の場位置で歌ってみて、はい本番!みたいなかんじだった。でも2人がいると安心感があって、それぞれが『大丈夫よね』みたいなかんじで、緊張することなく楽しくできました」
―大人になる中で、2人との関係性は変わりましたか?
田中「身長差が逆になっちゃいました(笑)。当時は私が1番大きかったのに、今はもうゴーン!って抜かれて。本当は矢口さんたちの『ミニモニ。』みたいに、私たちも当時の衣装でやりたかったんですけど、2人の身長が伸びたので無理でした」
アイドルの「私立高校」?
―矢口さんはここ数年、後輩グループ『OCHA NORMA』のMVに出られたり、モーニング娘。2期のイベントがあったりと、現役メンバーとコラボする機会が多かったのではないでしょうか。今のメンバーについて何か思うことはありますか?
矢口「いつも言っているのは、ハロプロってアイドルの『私立高校』だと思ってて、本当にみんな優秀で、歌もダンスもはもちろん、とにかく優等生がそろっている。ここに入ったからには、もっともっと輝いてほしいと思っています。昔と比べて歌番組が減ってしまったので、テレビに出られる機会も少ないんだけど、もっと業界の方たちにハロプロの魅力を分かってもらいたい。1回ライブを見れば絶対に心つかまれると思うので、見てほしいですね。それに、昔と今とではクオリティに歴然の差があります。現役メンバーがやっているダンスを昔のメンバーたちが踊るとなると、多分1カ月くらい練習期間が必要なんじゃないかな」
―25周年記念として、過去のハロプロMVがYouTube上で解禁されました。思い入れのあるMVはありますか?
田中「私はモーニング娘。内ユニットの「おとめ組」のMVですね。私がデビューした後、すぐ「さくら」と「おとめ」にチームが分かれてしまいました。コンセプトなどをお互いに気にしていて、先輩方がバチバチしているのを横で見て、『がんばらんと』と思ってました。『さくらには負けない!』というかんじで、MV撮影の時も本気でした。セクシーな雰囲気で、寝そべって、髪がぬれていて、みたいなシーンもあったのですが、(同じ『おとめ組』で先輩の)石川梨華さんを見て参考にしていました」
矢口「私はモーニング娘。の曲で、自分が初めてセンターをもらった「そうだ!We’re ALIVE」。すごくきれいに撮ってもらったんですよ。照明もキラキラしていて、お金がかかっていると思います(笑)。衣装もすごく素敵で、『街にこういう人いるよね』というようなバラバラの服を着ているんですが、それが集まって踊るのが斬新だなと思っていました。今見ても良いMVだと思います」
進化し続ける、常に更新し続ける
―25年の歴史の中で、ハロプロはどう変化したと思いますか? また、変わらない部分はあるのでしょうか?
矢口「進化し続けている、常に更新し続けているところは昔から変わらない。現役メンバーたちに久しぶりに会うといつも驚かされます。私たちOGも、もっと一緒に何かできればと思います」
田中「根本的に変わらないと思うのは、人としてのマナー。ハロプロでは、昔も今もちゃんと教えられていますし、私もハロプロで育ててもらいました。そういう部分は変わってなくていいなあと思います」
―30年、35年に向けて、意気込みはありますか?
矢口「これからも進化しながら、続いていってくれればいいなと思います。田中れいなは、ずっとこのまま、年を取らないかんじでいくと思います!」
田中「頑張ります(笑)。34歳ですが、まだまだバリバリに踊れるように頑張っていきます」