胸に染みた松山千春の助言「歌なんかどこでも歌えるんだよ」ド直球の大阪弁の新曲をリリスースした香西かおりさん 歌手生活35周年

仲谷 暢之 仲谷 暢之

35周年イヤーを記念して第一弾の新曲「恋街しぐれ」を。続く第二弾として「もしや・・・あんたが」、そして今年5月3日には、第三弾「澪標」をリリースした香西かおりさんに、今回の曲のこと、そして現在は故郷、大阪に戻って暮らしながら歌手活動を行なっていることなどをお聞きしました。

――歌手活動35周年を迎え、昨年から新曲のリリースラッシュですが、最新曲である「澪標」を含めいかがですか?

香西:去年の3月に出した「恋街しぐれ」は、デビュー曲「雨酒場」を書いてくださった里村龍一さんの遺作でして、ご遺族、スタッフの皆さんから、是非にと、いただいた詩に同じくデビュー曲を書いてくださった恩師、聖川湧さんにお願いして曲を書いていただきました。私に“お酒”を歌う楽しみをくれはったお二人の作品で、デビュー当時を思い出す曲。The演歌であり昭和を感じさせる曲です。

続く10月に出した第二弾が「もしや・・・あんたが」は、1997年に出した「人形(おもちゃ)」から25年を経て、荒木とよひささんと浜圭介さんという黄金コンビに書いていただいた作品です。
今の荒木さんの年代に来たものが、ある意味、樹木葬みたいな歌詞になってて、最初はまだまだこれからやっていかなあかんのに“え~っそこ!”って思ったんですけど、香西かおりにしか歌えない曲をと、付けてくれはった浜さんのメロディがいかにもな演歌ではなく、歌詞にうまいことどハマりしているメロディだったので、なんとか歌えている部分はあります。けど、正直、コロナ禍でのリリースやったので、さっぱりでしたわ(笑)。

そして今回の「澪標」と「私、女やからねぇ」は、数年前から家族ぐるみでお付き合いさせていただいてる関西在住のブルースシンガー、Rioさんが作ってくださったんですけど、コロナ禍になる前にできていた曲で、今回リリースするにあたり、その存在を知り、いい曲やなぁと。

聞くと、街ブラをしてる時に、澪標住吉神社というのを見つけて、興味を持って境内に入ってみたら、澪標ほんでなんやろ?と思って入ってみたら大阪のシンボルである澪標がドーンと立ってて、社伝を読んでみたら、昔、流通が船やった時代、帰路を迎えるにあたり立てたということを書いてあったそうで、そこからインスピレーションして生まれた曲だそうです。そして調べると和歌でも“澪標”を“身を尽くし”ともかけてたそうで、そこからも広がったみたいです。

曲も演歌ではあるけれど、ベタベタ感がない小洒落た感じがあるなぁって思いました。歌詞もね、これまで大阪をテーマにした曲がなかったわけではないですが、関西ではない方が歌詞を書くと、やっぱりニュアンスや言葉に違和感があったりすることがあったんですが、今作はバリバリ大阪在住のRioさんが書いてはるので、同じ大阪人として、なんの違和感もなく歌詞がストンと入ってきたんです。

それともう一曲の「私、女やからねぇ」は、女性には特に凄い刺さる曲やなぁと思ったんです。こちらもメロディと詩に全く違和感なくて・・・。ブルースシンガーさんやからメロディにその匂いもしっかり出しつつ、大阪弁の歌詞も、聴いて下さる方、これを聴いて歌って下さる方にきっと染み入ると思います。

歌手生活も35周年から36周年へと向かってますが、やっとコロナ禍が過ぎて、ものすごくいいタイミングに、35周年の締めであり、36周年のスタートとしていい曲と出会えたなって感じてます。

――大阪人としてと言われていましたが、意外や、長らく大阪に住んで活動してらっしゃるんですね。

香西:別に隠してるわけやないんですけど、私にはあんまり大阪のイメージを持ってはらないみたい。天童よしみさんや神野美伽さん、中村美律子さんらの関西イメージの強さに隠れてる感じかも(笑)。実は17年前に大阪に帰ってきたんですよね。まずは母の体のことがきっかけなんですけど、お医者さんから危ないですよって言われてたんで、できるだけ顔を見に帰ってきてあげようなぁって思って通ってるうちに、母親もなんとなく持ち直してくれて長生きしてくれて、東京から通えてたなってことは、その逆も然りやなって思い始めて。それで北海道に住んではる松山千春さんに相談したんです。そしたら「香西な、歌なんかどこでも歌えるんだよ」って言われて“あ、それもそうやなと”背中を押してもらって帰ることに決めたんです。

やっぱり生まれ育った地元なんで、東京やその他でお仕事させていただいて大阪に帰ると完全にオフのスイッチが入ります。反対に、明日は東京出張やと思うと、新大阪でどんなお弁当買おうかなって旅気分になったり、富士山見えたら、“そろそろやわ”ってオンのスイッチ入った気がするし。結局、自分にはそういうスタイルが合ってるなって実感しました。

やっぱり東京に住んでたときは、外でご飯食べに行っても、いわゆる業界人の方たちにばったり会うたりするじゃないですか、ほんなら仕事が終わって、着物脱いでても、常に心には衣装を着てなあかんみたいなね、そういう別な意味でのクタクタ感が常にありましたから。今はオンとオフを楽しみながら歌うことに対峙してますね。

――36周年に入られましたが、これからは?

香西:昔のように演歌も歌謡曲もJ-POPもロックもクラシックも洋楽もテレビで一緒くたに共有できた時代ではなく、今は個々が耳を塞いで聴く時代になり、それに伴って私たちが過ごしてきた音楽、演歌の業界も随分と違ってきてるので一概には言えないですけど、ただ、やり続けなきゃいけないのは、次の世代に渡すための音楽は残していかないとっていうのはありますね。その中に私の曲があればいいなと思いながら歌い続けたいと思います。まずは「澪標」と「私、女やからねぇ」を代表曲にできたらなと思ってます。

◇ ◇

5月にリリースされた2曲は香西さんの言うとおり、大阪弁の歌詞が曲と見事にしっくりきており、関西人のDNAに触れまくりの、すでに名曲。是非とも聴き込んで大阪の匂い、情景を浮かべていただきたい。

香西かおり(こうざいかおり)
1963年、大阪市港区出身。1988年にシングル「雨酒場」でデビュー。以降「恋舟」、「流恋草」など数々のヒット曲をリリース。1993年に「無言坂」で『第35回日本レコード大賞』大賞を受賞した。数多くの音楽賞を受賞している。
香西かおりオフィシャルYouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCWT_6A92z7Ql_v4ZLs5jV6Q
香西かおりオフィシャルサイト
http://kouzaikaori.com/

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