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マスターズとオーガスタの思い出~その3~鉄爺、旅の徒然#8

1992年のジャンボ尾崎と中島常幸は…

沼田 伸彦 沼田 伸彦

 1992年のマスターズに日本から出場していたのはジャンボ尾崎と中島常幸の2人だった。当時ジャンボ45歳、中島37歳、まだまだ全盛を誇っていた。取材は当然、この2人のラウンドが中心になる。コースを行ったり来たりしながらプレーを追った。第1ラウンド(R)、第2R、一体どれだけ歩いたことだろう。

 テレビ中継を見ればわかるようにオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブはアップダウンの少ないコースなので歩きやすい。それより何より、夢の世界の一端に足を踏み入れている興奮が疲れを忘れさせてくれた。

 この2人のマスターズへの挑み方は対照的だった。第一人者のジャンボはコース近くに一軒家を借り、チーム数人の合宿状態でコースに通った。もちろん料理を担当するスタッフもいる。余談だが、オーガスタに住む人たちにとって、年に一度、4月に訪れるマスターズウィークは格好のバカンスのタイミング。外部からの来訪者に家ごと貸して、家族でリゾート地に出かけバカンスを楽しむ人も多いと聞かされた。

 一方の中島は自然体だった。英語に堪能な夫人が同行しており、言葉の不自由がなかったことが大きかったと思う。

 この年、2人はともに予選落ちして2日間でオーガスタを去ることになるのだが、決勝Rが始まった第3日、中島は夫婦でコースに姿を見せ、クラブハウスの前庭に置かれたパラソル付きのテーブルに座ってのんびりと時間を過ごしていた。私自身はこの大会まで中島とは面識がなかったが、このとき声をかけてくれ、そのテーブルに同席して雑談に興じたことを覚えている。

 その第3日にはこの項「その1」で書いた月曜日の招待ラウンドの抽選に当たった取材陣の名前がプレスセンターに貼り出される。ドキドキしながらその神の前に立ったが、残念ながら自分の名前はなかった。ただ、数人いたスポーツ紙の記者のひとりが当選していることがわかり、仲間内で大いに盛り上がった。

 私よりかなり年上だったその記者はすっかりテンションが上がり、取材帰りにオーガスタの町中に出かけ、大枚をはたいてゴルフバッグからクラブ一式、すべて買い揃えてきた。「貸しクラブもあると言われたけど、一生に一度のオーガスタを借り物でというわけにはいかんだろう」。自分が当たっていたらどうしただろう、そんなことを考えるのも楽しかった。

 こうしてアッという間にオーガスタでの1週間が過ぎ去ったが、帰国を前に思わぬ余禄が与えられた。当時、アメリカ女子ツアーの一線で活躍していた小林浩美(現日本女子プロゴルフ協会会長)が、拠点をアトランタに置いていたこともあってマスターズ観戦にコースを訪れていた。旧知の記者がいたおかげで帰国前の一日をアトランタ郊外のリゾート地、レーニエ湖畔で過ごす段取りを整えてくれたのだ。

 記者数人で車を連ねてアトランタに向かい、うっそうとした森の中、湖のほとりに佇む瀟洒なホテルで一夜を過ごし、翌日は湖畔のコースでゴルフまで楽しんだ。

 今年の大会では自分にとってのトピックがあった。1992年の優勝者、フレッド・カプルスが自身5年ぶりに予選を通過したのだ。63歳6カ月という年齢は、史上最高齢での決勝ラウンド進出でもあった。

4日間、年々ぼんやりしていく思い出に命を吹き込むような思いで緑に覆われたテレビの画面を見つめ続けた。1992年当時に比べるとコースは大きく変わったようだ。道具が進化する中、競技として一定の難易度を確保するために、距離を延ばすための改造など手が加えられている。それでもマスターズはマスターズ。大会としての佇まいも、品格も、何より自分自身の中でのこの大会、コースに対する敬意が色褪せることはない。(この項終わり)

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