「名古屋出身なんて、意地でも言わない!」愛知県で続く“深い確執”…いまだに尾張と三河は戦国時代?

吉田 祐貴 吉田 祐貴

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などたくさんの歴史的偉人を輩出した「愛知県」。歴史ある観光名所も多く、味噌煮込みうどんやひつまぶし、手羽先など、グルメな土地としても有名です。魅力たっぷりの愛知県ですが、実はその昔「尾張」と「三河」という2つの地域に分かれていたのをご存知でしょうか。明治初期に一緒になって今の「愛知県」ができましたが、150年以上たった現在も、県内では尾張と三河の“軋轢”が尾を引いているのだとか。今も「戦国時代」が続いていると、オーバー気味につぶやく人もいるようです。実情を両地域の出身者に聞いてみました。

「応仁の乱」からの因縁が現代に!?

尾張と三河がお互いを牽制しあっている理由については、諸説あるようですが、古くは足利家の後継者争いを発端として起こった「応仁の乱」が関係しているのではないかと言われています。

尾張は足利義尚率いる西軍、三河は足利義視サイドの東軍に付き戦ったことで、両者の間には大きな溝が。

そののち、戦国時代にこの地を治めていたのは、尾張は織田家、三河は松平家(のちの徳川家)。しかし思いがけない裏切りにあい、幼いながら三河地の当主になるはずであった徳川家康は織田家に囚われ、人質となってしまいます。

精強で家康への忠義が強いと言われる三河武士団。家康を人質に取った織田家にただならぬ恨みを抱いたことは、いうまでもないでしょう。このような積年の怨みつらみが重なってか、尾張と三河にはいまだ戦国時代の戦火が残っている…のではないかとも言われています。 

本当に仲が悪いの?…尾張・三河出身者に聞いてみると

両地域の関係性について、実際の愛知県民は、どう思っているのでしょうか? 愛知県内の公務員で尾張・三河出身者の男女20名に聞きました。

「 ズバリ、尾張と三河は仲が悪いと思いますか?」…。まず尾張出身者に聞いてみると、

「そんな風に考えたことはないですね…。でも三河人は尾張の人が好きじゃないというのは確かによく聞きます」(30代・男性)
「三河の人は尾張を敵視していると聞いたことはあります。でも尾張出身者の私はそんな風に三河の人を嫌ったことはないですねぇ」(40代・女性)

…といった感じのコメントが多く聞かれました。「(自分たちは違うが)相手の三河はあまり友好的ではない」というイメージが強いようです。

一方で三河出身者に同じ質問をしてみると、

「三河を田舎だと軽視しているな…と思うことがたまにあるんですよね」(30代・男性)
「仲が悪いというよりも、見下されてるのかな?と感じたことは多々ある」(20代・女性)
「尾張出身の人が名古屋を地元みたいに考えているのが、なぜか癪にさわってしまいます」(30代・男性)

…などと少々挑戦的な意見も。どうやら三河よりも尾張の方が都会だという風潮が、敵対意識の中に根づいているようです。

「名古屋出身」と語ってしまう「尾張」出身者たち…

尾張出身者と三河出身者の違いは他にも。特に面白い違いの1つが「出身地」の答え方です。

尾張出身者の10人に出身地を聞いたところ、8人が「名古屋出身」と回答。残りの2名からは「愛知県出身」という答えがかえってきました。

しかし実は「名古屋出身」と答えた人のうち、本当に名古屋市出身の人は4人だけ。それ以外の人は正確には他の住所なのにも関わらず「名古屋出身」を語るそうなのです。

理由を聞いてみると、「県外じゃ全くわからない市出身だから」など、わかりやすさを優先して名古屋出身と答えている人が多い結果に。決して見栄を張っているわけではないのですが、この「都会出身」を装うような尾張出身者の振る舞いが三河出身者にとっては、都会ぶっているようにみえてしまうようです。

対して三河出身者の人たちに同様の質問をしたところ、10人中9人が「愛知県出身」と答えると回答。

「名古屋を出身として語るのは『身売り』してる感じがして抵抗感があるんですよね」(40代・女性)
「名古屋出身と言われると、カチンとくるし、違います!と言いたくなる」(30代・男性)

…など、名古屋に対する独立意識の高さがうかがえました。三河出身の人は意地でも「名古屋出身」と言いたくない人がいるようです。

「ホトトギスの俳句」からみる三河と尾張の性格

なお、尾張出身者と三河出身者の性格については、歴代の武人を比較するために詠んだとされる「ホトトギスの俳句」に例えられることがよくあります。

尾張出身者の場合は、織田信長について詠まれた「鳴かぬなら殺してしまえ、ホトトギス」という俳句が例にあげられることが多いです。短気で激しい性格であったとされる織田ですが、尾張の出身者も同様に気の短い人が多いのではないかと言われています。

一方で三河生まれの徳川家康は「鳴かぬなら鳴くまで待とう、ホトトギス」と詠まれたように、忍耐強い性格の持ち主。そんな彼の性格が、三河住民にも受け継がれていると言われることがあります。

「ホトトギスの俳句」の例えについて、当事者達に聞いてみると…。

「そうですね。基本的にはプライドが強くて気の短い人が多いかもしれません」(尾張出身・40代・男性)
「信長が冷たいイメージで家康はふくよかで豊かなイメージだから、確かにホトトギスの俳句はそれぞれの尾張と三河の地域性を上手く表現しているかも」(三河出身・30代・女性)
「確かに家康の考えかたや、生き方にシンパシーを感じることは多いです。辛抱強く物事を我慢することもあるかな」(三河出身・30代・男性)

…他にも約半数の人が「ホトトギスの俳句は地域性をよく表現している」とコメントしてくれました。

同じ県内なのに、両者が認めるほど性格に違いがあるなんて…愛知県民を簡単には語り尽くせそうにありませんね。

応仁の乱から550年以上もの月日が経っても、いまだに存在する尾張・三河の確執。いつの日か、両者の“わだかまり”がとける日はくるのでしょうか?

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