作ったのはLUNA SEAの衣装手掛けた敏腕デザイナー ド派手衣装「使い古しでも作品になる」新庄ビッグボスの思いに応え

山本 智行 山本 智行

 ”ビッグボス”こと、日本ハム・新庄剛志監督(50)が球界の話題をさらっている。キャンプ地沖縄入りの際には”全身グラブ”の斬新な衣装で登場。大反響を呼んだばかりだが、その背景には見た目のド派手さだけではないストーリーがあった。ビッグボスが今の世に届けたかったメッセージとは。ファッションブランド「tenbo(テンボ)」の代表デザイナーで製作者の鶴田能史(たかふみ)さん(41)を直撃した。

 いかにもサプライズ好きなビッグボスらしいコーディネートだった。赤を基調に裾に金色をあしらったロングコート姿でキャンプ地の沖縄に現れた新庄監督。度肝を抜かれた人は多いのではないか。しかも、使った素材は使い古された本物のグラブ40個をベースにしており、革靴までグラブ。その徹底ぶりに2度ビックリだ。

 手掛けたのはファッションデザイナーの鶴田さん。「あの日のお披露目はシークレットでした。凄い反響でしたね」と振り返ったが、衣装製作のそもそもの始まりは昨年11月4日14時、札幌市内での監督就任会見が地上波で放送されたことがきっかけだった。

 「野球はずっと好きで、これまでも気になる選手を追っかけていました。新庄監督のストーリーにも着目しており、就任会見をみていてインスピレーションが働き、番組の真っただ中にオファーを出させてもらいました」

 だれよりもファンを楽しませようとするビッグボスとなら必ずいいコラボ作品ができる。そう確信した。衣装製作はピンとひらめいたもののひとつだったそうだ。

 「日本を元気に、日本を盛り上げようとしている新庄さんと僕自身の考え方が近く、リンクするような思いもあった。そのときは、日本ハムの選手をモデルにしたファッションショーなど、複数のアイデアが浮かんでいました」

 少し脇道にそれるが、鶴田さんが野球に目覚めた小学生のころは西武ファン。秋山、清原、デストラーデの時代で一番好きだったのは”兄やん”こと松沼博久。「アンダースローは少ないから憧れて、よくマネをしていました」と野球への下地はあった。

 オファーから1週間後に初対面。そのとき、ビッグボスから阪神→メジャー→日本ハムという17年間の現役生活で1つのグラブを試合で使い続けたエピソードを聞き「グラブを使って、コートなんか作れない?」と提案された。

 早速、デザイン画を作成。その後、生地として使用するグラブを公募し、ひとつのムーブメントにしようというアイデアもあったそうだが「サプライズにしたい」というボスの一声で水面下にもぐった。

 「使い古しでもひとつの作品になるんじゃないか」というボスの思いで集められたグラブは亜細亜大学をはじめ、身近な知人を通じて届けられた。鶴田さんは衣装の製作にあたって、かつてないプレッシャーを感じたという。

 「いままでとは違う素材ですし、グラブを提供してもらう際には”大切に扱ってもらえるなら”と言われていました。その人にとっては形見というか、宝物のような存在。なのでメスを入れるときは覚悟がいりました。端切れひとつとっても大切に扱おうと。思いが詰まっているので精神的に疲れたのは確かです」

 さらに実際のグラブを使用するため、衣装の総重量は20キロに。これまでロックバンド「LUNA SEA」のSUGIZOら1000着以上の衣装を手掛けたそうだが、その中でもズバ抜けて重く、製作中には全身筋肉痛になったという。

 「通常なら革製品はすいたりして、軽くできるのですが、今回はすくのも、はばかれるという思いでした。製作にあたって新庄さんは時の人でもあるので、足を引っ張ってはいけないし、それでいて派手さだけではない、ものを大切にする熱い思いを込めてつくりました」

 作品を見れば、それが痛いほど分かる。背番号1をはじめ、各部分にこだわり、専用の衣装ケースも含めて、完成したのは12月中旬。値段は「プライスレス」。その間、打ち合わせや撮影などでビッグボスの人柄にも触れた。

 「オーラがあるのはもちろんですが、オフモードのときは、いい意味でピュア。それがスタッフにも伝わり、和やかな現場でした。みんなの期待に応えようとする姿勢を感じましたし、当然ですがエンターテイナーとして演じている面もありますよね」

 実は筆者もビッグボスと少しばかり縁がある。”亀新フィーバー”に沸いた1992年はスポーツ紙のトラ番記者。テロ直前の2001年8月末のニューヨークではメッツの選手ロッカーで再会。9年も御無沙汰していたのに覚えていてくれ、ホームランをおねだりしたら本当に放ってくれた。2004年長野でのオールスターでは単独ホームスチールし、その場で取材した。その意外性とスター性。鶴田さんがほれ込むのも無理はない。

 そんな鶴田さんは現在、ファッションブランド「tenbo」の代表デザイナー。障害者に寄り添い、SDGsにも熱心で活躍の場はファッション界だけにとどまらない。駆け出しの頃はコシノヒロコさんに師事。2003年にはコシノさんと当時の星野仙一監督とのつながりで阪神の交流戦ユニホームの製作に携わり、数々の虎グッズもデザインした。

 ちなみに新庄監督のド派手グラブ衣装は「プライスレス」な一着なのだが、「一般の人から同じものを売ってほしいと言われたら、いくら?」と聞いてみた。「ご要望があれば応じますよ。50万円ぐらいかな」と笑う。

 「野球とのご縁をいかし、今後もメッセージ性のあるものをつくっていきたい。交流戦のユニホームをデザインできればいいですね」と話した鶴田さん。どんな作品ができるのか、ぜひ見てみたい。

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