鳥取県鳥取市の西部にある青谷町。界隈に通る国道9号線(山陰道)建設に関連する発掘調査によって出土した弥生時代の遺跡の中に、2世紀頃に埋まった溝から大量の人骨が発見されました。その人骨の数なんと約5300点。推定最小個体数は109体にも及んだそうで、人骨はどれも保存状態が良く、3個体の頭蓋骨には、脳みその一部まで残っていたそうです。
この人骨を元に、鳥取県では「青谷弥生人の復顔像」を作成。発表するやいなやネット上でおおいに話題になりました。この「青谷弥生人の復顔像」についてさらに深く鳥取県の担当者に取材。その全貌により詳しく迫ってみることにしました。
鳥取・青谷町の地下は、「地下の弥生博物館」だった!?
青谷町で出土した弥生時代の遺跡は、冒頭で触れた膨大な数の人骨だけでなく、弥生時代の生活の様子がうかがえる物なども数多く見つかったそうです。
「土器や石器だけでなく、鉄の工具類、木製の器や建築部材、動物の骨や角を素材とした漁ろう具など弥生時代の人々が制作し、使用していた様々なものが、まるで最近まで使用されていたかのような綺麗な保存状態で発見されました。通称『地下の弥生博物館』とまで呼ばれるほどです。
今は海岸線の位置が変わっていますが、弥生時代の青谷町界隈はすぐ海の側にあって、日本海を行き交う人々が集う、交易の拠点として賑わっていたようです。このため弥生時代の港湾集落と考えられています。また、ものづくりに長けた職人さんがたくさんいたようで、秀逸なデザインをした、美術工芸品としても価値の高い木製の容器なども発掘されました。さらに、石川県で産出する碧玉(緑色の石)がこの青谷町界隈に運びこまれ管玉(ネックレスのビーズ)を製作。中国製の銅鏡や朝鮮半島製の鉄器や土器も合わせて出土しており、当時広範囲の人々と交流していたこともうかがえます。
これらは弥生時代の歴史や文化を考える上で極めて重要な遺構であり、現在、国の史跡に指定されました。また、何万点もある出土品の中で、特に優れたもの約1300点が国の重要文化財に指定されています。
こういった背景から鳥取県では、史跡公園の整備を進めており、令和5年11月に重要文化財などを展示公開する施設がオープンする予定です」(鳥取県・担当者)
母は渡来系、父は縄文系の弥生人
これらの歴史的価値がある遺構と合わせて、「青谷弥生人」の復顔を行ったというわけですが、どういった点に注力したのでしょうか。また、「青谷弥生人」の顔の特徴として、どういった点が挙げられるのでしょうか。
「復顔は、最も多く脳みそが残っていた成人男性の頭蓋骨(第8頭蓋)から行いました。この男性は複数残っていた頭蓋骨の中でDNAの保存状態もが良い個体でもありました。
このDNA分析を行うと母系は渡来系、父系は縄文系であることが判明。つまり、縄文と渡来の混血であることがわかりました。面長な顔の作りは渡来人的である一方、はっきりとした顔つきは縄文的のように思います。
ただし、さらにDNA分析の結果から見ると、この男性は現代日本人と同じグループに属していることが分かっており、この顔つきは現代日本人と比べても全く違和感がありません」(鳥取県・担当者)
各地を巡回し続ける「青谷弥生人」の復顔像
果たして、神秘的であり、歴史的価値も十分な「青谷弥生人」の復顔像はニュースとして各メディアで取り上げられる、ネット上でもおおいに話題になりました。現在、「青谷弥生人」の復顔像は各地で巡回展示を行なっていますが、2月19日には中日文化センターによって開催中の6県リレー講座『北海道・北東北の縄文遺跡群 縄文から弥生へ各地の遺跡を巡る』の「日本海を望む弥生の村と人々-妻木晩田遺跡と青谷上寺地遺跡」で公開が決まっているそうです(見学は受講者のみ)。
「弥生時代には本格的な米づくりが広まり、私たち日本で暮らす人々の生活文化の基礎のようなものが形作られていきました。こういった背景からも、『青谷弥生人』の復顔像を通じて、弥生時代の歴史や文化、さらには青谷上寺地遺跡など、弥生時代の遺跡に興味をもっていただけると嬉しいです」(鳥取県・担当者)
鳥取県が「青谷弥生人」の復顔像を公開したところ「身近な誰かに似ている」「有名人の誰かに似ている」といった声が多く寄せられ、この反響に合わせて全国から「そっくりさん」を募集するに至りました(現在は終了)。
後に応募者の中から「最も『青谷弥生人』の復顔像に似ている人」10名を選出。2022年5月頃には「青谷弥生人大集合」ツアーに招待し、そっくりさんグランプリを決定するとのことです。さらなる盛り上がりが予測される「青谷弥生人」、今後も是非注目していってください!