娘はタレント&Vリーガー 伝説の「10・19」第2戦先発投手は今…「株式会社高柳」の代表

あの人~ネクストステージ

山本 智行 山本 智行

 いまはなきプロ野球の近鉄バファローズで活躍した高柳出己さん(56)は現在、大阪府羽曳野市で整骨院と野球教室を運営する「株式会社高柳」の代表だ。治療では地域密着をモットーに、野球の指導では技術以上に体の使い方を重視する。また父親としては3男2女と子宝に恵まれ、長女はタレント、次女はバレーボールのVリーグで活躍中だ。

 やはりデカい。近鉄「恵我ノ荘駅」から徒歩10分ほど。「たかやなぎスポーツアカデミー」の扉を開けると長身の高柳さんが迎えてくれた。建物には整骨院も入っており、ベッドが4つ。奥側には20メートル×15メートルの室内練習場が備わり、時間を区切って総勢120人を指導。2階部分は筋トレなどができる広々としたフリースペースとなっている。

 「33歳で引退し、その後、軟式野球のコーチを経て、いまの整骨院と野球教室を始めようと思ったとき、偶然見つけた物件。昔は家具屋さんだったようです」

 現役時代は故障に泣かされた。肩、肘、ヘルニア手術…。このアカデミーから甲子園球児、プロ野球選手も巣立っているが、指導にあたっては柔軟性と体づくりを重要視している。

 「プロに行かせるためにやってません。まずは人間性を磨くこと。大学、社会人に行っても古田や宮本のように活躍している人もいる。余力がある人がプロに行けばいい。野球しか知りません、ではダメ。後の人生の方が長いですから」

 埼玉県出身。自身は春日部工から社会人の名門、日本通運へ。「人生の岐路でどちらに行くか。上尾から明治大という選択肢もあった。どっちが正解だったか。人生はタイミング。当時の全日本メンバーでプロに行った同期は(長嶋)一茂だけで、残りは野茂をはじめ、オリンピックを目指し、そうそうたるメンバーが翌年に入団した。私の場合、高校出てからプロ入りに5年掛かったわけで、大学に行ってたらどうなっていたか」

 1987年、ドラフト1位で近鉄入団。その年、監督になった仰木彬さんのことは全く知らなかった。指名挨拶で「何と読むのかと思ったほど。権藤という、いいピッチングコーチが入ったから”うちに来い”といわれた」と笑った。

 ルーキーイヤーではいきなり洗礼を受けた。どしゃぶり雨の中での横浜(現DeNA)とのオープン戦。バントはなし、と両軍申し合わせていたそうだが「高木豊さんがいきなりセーフティーバント。7点取られて2軍行き」となった。

 しかし、8月8日にプロ初勝利を挙げると2カ月半で6勝。7勝目を賭けて先発マウンドに立ったのが「運命の10・19」(対ロッテ、川崎球場)だった。プロ野球史に残る不条理な死闘。時間切れ寸前のシーンが広く知られるが、7回途中まで好投し、試合をつくったのが高柳さんだった。

 いま思えば、勝てばリーグ優勝という大一番をよくもまあ新人に託したもんだと思うが、13日間で15連戦というハードな消耗戦の果ての果て。高柳さんは「ローテの巡り合わせ。天にも昇るような最高の高揚感を味わいながらマウンドに立った。負けたのは残念でしたが、勝っていたらここまでの伝説になっていなかったかもしれませんね」と振り返った。

 その後、藤井寺球場のリリーフカーを運転していた女性と愛を育み、結婚。3男2女に恵まれた。長女の愛実さんは女子プロゴルファーを目指していたが、現在はタレントとして「王様のブランチ」などに出演。次女の萌さんはバレーボールVリーグ岡山シーガルズで活躍している。一方、長男は中学の英語教諭、次男はこの春浦和学院を卒業し、流通経済大へ進む。

 「小6の3男が性格的にも一番見込みがある。いまで体重も75キロ。見れば、どこまで行けるか分かる。ちょっと楽しみにしています。コーチとして一緒のチームでやれたら言うことないですね」

まいどなの求人情報

求人情報一覧へ

おすすめニュース

気になるキーワード

新着ニュース