京都が舞台の推理小説を数多く書いた作家・山村美紗さん(1931~96年)の実像に、京都市在住の小説家・花房観音さん(49)が初の評伝で迫った。没後20年以上たつ今も作品がドラマ化される「ミステリーの女王」として知られる美紗さんだが、文壇の「タブー」に阻まれ、素顔は霧に包まれていた。「何としても記録に残したかった」。数々の伝説に彩られたベストセラー作家の知られざる素顔に挑んだ。
「もう小説の世界では生きていけないかもしれないと思うと、眠れないこともありました」。主に京都を舞台にした男女の愛憎を描いてきた花房さんは、執筆中の心境を明かす。
山村美紗を書きたい。何人かの編集者に持ちかけると、「うちではダメですね。美紗さんのことを書くとなると、京太郎さんに触れずにはいられないでしょ」と断られたという。
美紗さんは生前、今も現役の作家西村京太郎さん(89)と、清水寺近くにある元旅館の渡り廊下でつながった本館と別館に分かれて住み、「パートナー」関係にあるとみられていた。
多くの編集者は、西村さんから怒りを買って自社から本が出せないことを恐れているようだった。「美紗さんに近かった編集者への取材も固辞されました」
同じ作家でありながら「文壇タブー」を破ってまでも美紗さんの人生を描きたいと思うきっかけは、美紗さんの夫、巍[たかし]さん(91)=東山区=の存在を知ったことが大きかったという。
巍さんは亡き妻を絵画に描き、展覧会を開いていた。「隠された存在の夫が、なぜ亡き妻を描き続けるのか。いろんな『なぜ』がわき起こってきました」
西村さんも美紗さんの死後、2人の関係を思わせる小説を発表していた。「亡くなってもなお男を取り憑かせる山村美紗という人を、同じ女としてもっと知りたくなったんです」
2016年に巍さんが初めて美紗さんについて語った京都新聞の記事がきっかけで、巍さんに初めて会って話を聞いた。「ベストセラー作家としての華やかな姿はあくまで表の顔で、隠された苦悩が見えてきた」
200冊以上の本を書き、高額納税者として新聞に名前が載った。スポーツカーの運転やクレー射撃が趣味で、赤やピンクのドレスを身につけて人前に現れる。テレビでは毎週のように「山村美紗サスペンス」が放映され、また本が売れる。しかし、勝ち気で派手な面だけではなかった。
「40歳を過ぎてデビュー。そして念願の江戸川乱歩賞を受賞できなかったコンプレックスをずっと抱えていた。だから病弱な体にむち打って猛烈に書き続け、売れなくなる恐怖と戦いながら、戦略として夫の存在を隠していた」。遅咲きを隠すように年齢を3歳詐称し、エッセーで小説を書き始めた時期を偽っていたことも分かった。
デビューして12年。1986年から京太郎さんとつながった元旅館に住み、巍さんは向かいのマンションに住むという「今でも常識ではありえない」形を取ったのも、「全ては作家として成功するためだった」と花房さんはみる。「すでに長者番付上位にいた京太郎さんと組むことで出版社に対して優位に立てた」
美紗さんは重鎮、松本清張も引きつけた。乱歩賞に応募していた無名時代、京都女子大での清張の講演に駆けつけた。帰り際に駐車場で偶然知り合い、親しくなって作家として後押ししてもらう。「美人というだけでは収まらない、引き寄せる力が半端じゃない」
96年9月。東京・帝国ホテルのスイートルームで執筆中に倒れ、心不全で亡くなった。65歳だった。
「元々病弱で『いつ死ぬか分からない』と人間離れした仕事量をこなした。ただ、初期作品はとても面白いのに、出版社から望まれるものを優先して質が落ちた。長生きすれば、もっと重厚な文学的な作品を書いていたんじゃないか」
近年の出版状況も、花房さんを執筆に向かわせた理由の一つという。
「山村美紗作品は新刊書店からはほとんど消えている。今、多くの人が京都について思い描く『ミステリアスで華やかな街』というイメージをつくったと言える山村美紗が、このままでは忘れ去られてしまう。女はこうあるべきという価値観にあらがい続け、自立の時代を築いた女性として見直してほしいと思います」
著書「京都に女王と呼ばれた作家がいた 山村美紗とふたりの男」は1650円。