今年度に行う大学入学共通テストは予定通りに実施することが決まりましたね。一方、日本の大学入学を目指す外国人が受ける民間試験はコロナ禍で中止に追い込まれています。では「試験」と言う言葉を聞いたら何を想像しますか。日本の方なら「暗記」「完全な沈黙」「選択問題」「暇そうな試験官」(失礼!)と言ったところでしょうか。私の国ベラルーシでは全く違うんですよ。
ベラルーシで試験というと、いわゆる「口述試験」が一般的です。それは私たちにとって「準備の美」「口述の興奮」「試験官へのパフォーマンス」「正しい言葉遣い」「論理的な考え」であるといえます。
旧ソ連時代から口述試験はエッセイやディクテーション(書き取り)とともに、学生の知識を評価する方法として採用され、現在でもベラルーシでは口述試験が高等教育の重要な部分であり続けています。では、その口述試験はどのようなものなのか。みなさんに紹介してみたいと思います。
試験の前に「チケットリスト」配布
先生によっても違いますが、学期はじめに、または試験の数週間前に、学生は「チケットリスト」と呼ばれる出題リストを渡されます。もちろん「覚えること」は重要なため、学期のはじめにチケットリストをくれる先生は優しい先生だと認識されます。そして、学生は、それをもとに、各々試験の準備を始めるのです。
試験前日には学生たちで解答の順番を決めます。順番決めには不文律があります。いわば“忖度の世界”ですね。5人1組でクラスに入るのですが、1組目には必ず雄弁で知識豊富な成績優秀者が入ります。
その理由は試験官である先生を喜ばせるためです。1日中、学生たちの、時に未熟な口述を聞いていなければならない先生にとって、1日の始まりが、その日の感情を左右しかねません。よって感情による弊害が自分たちの成績に影響を与えないように、学生たちは順番決めに神経を使うのです。
学生は教室に入ると、出題内容が1つ1つ書かれた試験用チケットを机の上から1枚取り、その場で20分ほど解答の準備をし、プレゼンテーションをします。1組目の順番も成績優秀順なので、前の人たちの解答時間を合わせれば、最後の人は1時間以上も準備時間があることになります。解答が終わると退室。2組目の1人目が入室し、準備に取り掛かるという流れです。
口述試験には雄弁さも必要
では、本題の口述試験についてです。自分が準備したプレゼンだけでは高評価が得られないのが難しいところ。口述試験は「パフォーマンス」と「論理」によって行わなければならないのです。与えられたトピックについて、ただ話すだけでなく、論理立てて推論し、豊富な観察力で知識を披露したり、それを際立たせるために雄弁さをスパイスとして加えます。
多くの先生は、単なる暗記を嫌うので注意が必要です。より高得点を目指すならば、トピックとは一見関係のない他分野の知識を織り交ぜたり、より斬新なアイデアを発表することが重要なのです。
先生と学生の間で建設的な論争も
口述試験では、記述試験にない双方向の対話が生まれます。これも特筆すべき点でしょう。先生と学生の間で話が盛り上がったり、時に意見の対立によって、根拠の提示を前提とした言い争いも起こります。単に、正しいものを選びなさいという一方的な解答にならない場合があるのです。
ここまで来ると、口述試験には限界があるのでは、とみなさんは考えるでしょう。例えば、歴史や政治などの文系科目について語ることはできても、数学や化学などの理系科目はある程度の記述や選択肢に頼るべきではという意見があると思います。
しかし、ベラルーシでは、理系科目でも口述試験があります。数学や物理の法則を正しく伝えたり、化学反応の仕組みを口述することがテスト内容なのです。その場合は、単に法則や仕組みを教科書通りに伝えるだけでなく、先生を退屈で眠らせないように口述する技術やアイデアが求められます。
このようにベラルーシでは暗記だけではなく、分析や論理の整理、そしてコミュニケーションの能力に重点を置いた教育がなされています。こう書くと母国持ち上げ記事と思われてしまうかもしれませんが、そうではありません。もちろん、いいことばかりではないのです。
口述試験は丸一日かかってしまうことがあったり(時に深夜まで続くことも!)、成績基準も先生の主観や感情が入ることも少なくありません。学生もそれを前提とした対策を練ることに神経を使わなければならないなど、必ずしも良いと言えない一面もあります。
もし、あなたが、国の教育の方針を決められるなら、口述試験と記述試験のどちらを選びますか。