京都の街を一度でも歩いたことがあれば、きっと見たことがあるだろう。レトロ感あふれるヒゲの「おじさん」の絵とともに、京都独特の住所表記で「○○通○○上ル」と書かれた縦長の看板。大抵、民家の外壁に掲げられており、京都人でも道に迷った時には「案内役」として頼りになる。実はこれ、100年以上の歴史を持ち、街の文化財的存在でもあるが、多くの謎に包まれてもいる。雨にも負けず風にも負けず、路傍でけなげに役目を果たすこの看板の正体とは?
碁盤の目のような京都の中心部を歩き、四つ角に目を凝らすと、ほらあった。手書き風の黒い文字で「○○通○○下ル○○町」。縦約1メートル、横約15センチ。薄い板状のホーロー製。一番下には大礼服を着た軍人のようなイラストが描かれ、大きく「仁丹」の文字がある。
「仁丹?」と首をかしげる若者もいるかもしれない。仁丹とは、今でいえば錠剤型ミント菓子「フリスク」のようなものだ。戦前から口中清涼剤として知られる。現在も大阪市の医薬品会社「森下仁丹」が製造している。
昭和の時代には、おじさまがスーツの内ポケットからケースを取り出し、仁丹の粒を口に入れる風景は珍しくなかった。この「森下仁丹」が商品の宣伝を兼ねて1910(明治43)年に街角に掲げたのが、今も京都に生き残っている看板なのである。
では、なぜ京都なのか。
実は、森下仁丹は全国の大都市に住所を表示した看板を設置したが、その多くが戦災で失われたらしい。京都市は戦災被害をほぼ免れたため、現在のように看板がたくさん残っているということのようだ。
だが、その文化財的存在が今、かつてない危機にさらされている。
仁丹看板を愛する人々で2010年に結成された「京都仁丹樂會」の調べでは、市内に現在残るのは約680枚で、この20年ほどで半減したという。町家などの古い民家が老朽化で解体される際、処分されてしまうのだそうだ。仁丹看板の減少は、京都の街の移り変わりを象徴しているともいえるだろう。「絶滅危惧の仁丹看板を守ろう」と、京都仁丹樂會は保存を呼び掛ける活動をしている。
看板の存続を脅かしているのは、家屋の処分だけではない。
「又々残念なお知らせです」。今年3月、京都仁丹樂會のフェイスブックページで、「上京区寺之内通大宮東入ル妙蓮寺前町」の仁丹看板が盗難被害に遭ったとみられることが報告された。仁丹看板は近年、インターネットオークションで高値で売れるため、盗難被害が相次いでいる。4年前には同じ上京区の看板が盗まれ、ネットオークションに出品された。このときは近隣住民が警察に相談し、元に戻ったが、こうした例はむしろ珍しい。京都仁丹樂會の立花滋代表(81)は「街でこそ仁丹看板は輝く」と訴えるが、不届き者はなかなか減らない。
希少性が年々増している仁丹看板。100年以上たっても文字がほとんど消えないのはなぜか。そもそも文字はどんな人が書いたのかなど、謎は多く残されている。「森下仁丹」にも戦災被害で当時の資料が残っていないといい、経緯ははっきり分かっていない。
京都観光の際は、今なお神秘のベールに包まれた仁丹看板をぜひ探してみてほしい。気をつけて見ていないと意外に見つけるのは難しいから、発見した時の感動はひとしおのはずだ。