お城と言えば平野の、街の中心地に築かれているイメージを持つ人は多いと思う。
しかし、それらの大半は安土桃山時代以降に築かれたもの。それ以前の室町時代のお城は、山間地など現代としては不便な場所に築かれることのほうが多かった。
今、SNS上で大きな注目を集めているのは、
「室町時代の有力大名って『名門なのにこんな所に住んでんの!?』ってなるくらい山だの谷だのに本拠地をおいてる一族がいるよね。
いや、防御面を考えたら当たり前なんだけど、ここに城下町作るの無理じゃねってなる。
どういう領地運営構想があったのか凄く気になる」
という投稿。歴史好きでweb小説執筆やイベントへの展示参加をしているサムハラさん(@meizisamuhara)の発信だ。
応仁の乱を引き起こした赤松氏の赤松氏居館跡(兵庫県上郡町)と言い、織田信長との抗争の末に滅ぼされた朝倉氏の一乗谷朝倉氏遺跡(福井県福井市)と言い、たしかに現代的な感覚からは「なんでわざわざこんな山奥に…」と思うような場所が多い。
はたしてどんな背景があったのだろうか?サムハラさんにお話を聞いた。
ーーこの傾向に気づいた経緯は?
サムハラ:朝倉氏の一乗谷城、北畠氏の霧山城は信長の野望でおなじみの城でした。しかもこの2つの城はゲーム内では大名の本拠地扱いで、街を発展させるスペースがあったのでそれなりの平地に面した山城だと思っておりました。
一乗谷は大河ドラマや地元PRで「小京都」と呼ばれていたことは知っていたので、さぞ栄えた城下町があったのだろうと思ってましたが、グーグルマップで一乗谷を調べたら、幅500メートルほどの谷であ然としました。(たぶん小京都とは京都みたいな街ではなく、京都みたいな立派な建物があるという意味だったのでしょう)
それと先日、三重から和歌山に行くことがあり、霧山城の麓にある北畠神社に寄ったのですが、ここも狭い谷の中にあり、とても発展の余地がないと思ったので、面白い話題の種にSNSへポストしてみた次第です。
ーーご投稿に対し大きな反響がありました。
サムハラ:現代感覚だと考えが及ばないの一言に尽きます。
「貨幣経済が未熟なので街の経済発展とか考えてない」「今は不便そうに見えるが、当時は峠や山越え道があり、川と街道さえあれば物流には困らない」「治水や土木技術が未熟だから、下流の開けた土地の方が逆に洪水の危険がある」「上流域の方が傾斜があるので農業用水路を作りやすい」など参考になるコメントが多くありました。
言われてみれば分かるけど、一人で考えてたら絶対気付けない。こういういろんな視点の声が聞けるのがSNSのいい所ですね。
◇ ◇
室町時代の大名が山間地に本拠を置いたのは、決して防衛だけが目的ではない。治水や灌漑(かんがい)が十分におこなわれていなかった時代、平野部よりも山間部や丘陵部のほうがむしろ生活環境が整っており、交通や商業も盛んだったようだ。
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