「最初はただ、力になれれば、と思って、家を貸しました。でも、人を支えるというのは難しいものですね」
ある古いアパートの大家さんは、肩を落とし、疲れた表情でそう仰いました。
生活を立て直したいという男性に、家賃を少し安くして部屋を貸した大家さん。しかし、入居後はアルコール依存症の男性が酒に酔って騒ぐなどの問題行動を繰り返し、他の住人にも迷惑が及ぶようになりました。
何とか解決できないかと考えていましたが、次第に自分一人では手に負えなくなっていったそうです。
男性は、新しく入った住人・内山さん(35歳・仮名)です。
何か助けになったら、と思って家を貸したが
アパートを借りるにあたり面談した際の内山さんからは、真面目で誠実な印象を受けたそうです。
当時無職だった内山さんは大家さんに、こう語ったそうです。
「自分は、貧しい家庭で育った。成人してからも仕事が長続きせず、安定した生活を送ることができなかった。でもこれからは心を入れ替えて、今度こそ自分の生活を立て直したい。仕事を見つけて働き、人生をやり直したい」
自らも貧しい家庭で育った大家さんは、内山さんの話を聞いて、思うところがあったようです。まだ若い内山さんのこれからを応援したい、何か手助けができたら、という思いで、家賃を少し安くして、一室を貸すことに決めました。
お酒を飲まなければ真面目だが、お酒を飲むと…
ところが入居当日の夜、内山さんは警察に付き添われ、大声をあげながら、新居にやってきました。
同じアパートに住んでいる大家さんは気になり、翌日、内山さんの家を訪ねてみたそうです。内山さんは反省した様子で座っていました。お酒を飲んで、街で大声をあげていたところ警察を呼ばれ、自宅まで連れてこられた、とのことでした。内山さんは、すみません、もうこんなことのないようにします、と申し訳なさそうに頭を下げました。
しかしそれから、大家さんは内山さんの対応に困ることが、続けざまに出てきました。
内山さんは大体いつも酔っている様子でした。大家さんは、酔った内山さんと出くわすたびに「殴ってやろうか」などと言われるようになりました。あるときは「金を出せ」と要求されました。理由を尋ねると、「この部屋で人が死んだんだろう。騙したな」と、鼻先3センチほどの近さで怒鳴られたそうです。その部屋で人が亡くなった事実はありません。
日中は、別の職場で働く大家さんの携帯には、頻繁に内山さんから、支離滅裂な内容の電話がかかってくるようになりました。
またある時は、深夜3時に電話があったそうです。鉈(なた)を持った男が部屋に居座っているので今ベランダに逃げている、助けてくれ、という内容でした。万一本当なら大変だから、と警察に通報し、後から状況を聞いてみましたが、部屋には内山さん一人しかいなかったそうです。
自分一人の問題ではなくなってきた
そして今度は、内山さんの迷惑行為が、大家さんだけにとどまらず、他の住人にも及ぶようになってきました。
朝から飲酒しては「暑い、どうにかしろ」とアパートの外壁をドンドン叩き、見かねた住人の一人が、内山さんを止めに出てきたところ、その方に対しても大声をあげたそうです。揉めている声がアパート外の近隣にも響き、近隣から、体格の良い若い男性が仲裁に入ってくれました。その近隣の方が内山さんに注意すると、内山さんはアパート住人の方に向かって「お前のせいで注意されただろうが」と怒鳴ったとのこと。これに対し、近隣の方が「うるさいのはあんただ。あんたが来てから毎日大声で迷惑だ」と言ったところ、黙って自分の部屋へ戻ったとのことでした。
大家さんが知るだけで、1カ月に5回警察が呼ばれたそうです。
このようなことが続き、アパート住人から、退去の相談が2件寄せられました。内山さんの大声がうるさく、行動が怖いので、内山さんが出ていかないなら自分が退去する、という内容です。
こういった状況になると、もう大家さん一人の問題ではなくなります。内山さんの行動は明らかに、周囲の方の安全を脅かし、平穏な環境を乱していました。
入院も困難、受診・治療を求めても拒否されて
大家さんは、それまでにも内山さんと何度か話し、注意はしていたそうですが、改めて場を設けて話し合うことにしました。
その中で、内山さんはアルコール依存症と診断されていたことがわかりました。内山さんは、自分が酔うと、大声で周囲に攻撃的に詰め寄ることを自覚していました。これまで仕事が続かなかったのは、飲酒して出勤し、職場で問題を起こしたからだったそうです。
それを聞いた大家さんは、精神科の病院を受診し、必要な治療を受けるよう求めました。同行も申し出ました。また、問題行為を止めるための対策、例えば専門施設での回復支援や、自助グループへの参加、といった方法を検討してほしいことも付け加えました。
そしてもし、こういった対処ができないのであれば、他の人にこれ以上の迷惑を掛けられないため、アパートからの退去を考えてほしい、と伝えたそうです。
しかし内山さんは、「すみません、すみません。もう二度と酒は飲みませんから。」と涙を流して何度も謝り、それでも病院や専門機関に行くことについては頑なに拒んだとのことでした。
とはいえ、本人の意思に反して精神科の病院に入院させることは簡単ではありません。措置入院には、精神障害による自傷・他害のおそれが必要で、医療保護入院にも、入院治療の必要性や本人が任意入院できる状態にないこと、原則として家族等の同意など、法律上の要件があります。
内山さんは、お酒が入ると大声で挑発的に絡むことが常態化しているようでしたが、他人に直接的な暴力行為を行うことは、知る限りありませんでした。単なる酩酊や酒乱だけで、すぐにこれらの対象になるわけではありません。
また、受診を拒んだこと自体を理由に部屋から退去させることはできません。ですが、アパートのような共同住宅で騒ぎを繰り返し、他の住人の平穏な生活を害し、注意しても改善されない場合には、賃貸借契約上の信頼関係が破壊されたとして、契約を解除し、建物の明渡しを求めることができる場合もあります。大家さんは、そこまでの可能性も考えて、私たちの事務所に相談に来られたのでした。
不安の残る結末ではあるけれど
そこから1週間程経ったある日、内山さんから「他県での就職が決まったので退去します」との連絡があったそうです。
大家さんとしてはほっとしたのも正直なところです。しかし、内山さんが県外で就職したとして、トラブルを起こさず暮らしていくことができるのかについては、この状態では大きな不安が残ります。
内山さんにとっては、治療を受けられない事情があったのかもしれません。
普段の内山さんは、生真面目で控えめな方だそうです。内山さんの問題行為は、酔った状態で引き起こされるものです。ですが、酔った状態の内山さんに実際に直接関わった人からすれば、不安や恐怖を覚えるのは無理もありませんし、「理解しよう」などと思うのが難しいのもまた事実です。
今回のように、支援が必要な人と、支援をしようとする方の間で、気持ちや考えが食い違い、思うように支援できないこともあるでしょう。
力になりたいと思っても、できることには限界があります。それでも相手を気にかける大家さんの姿に、人を支えることの難しさを感じました。
◇山下静香(やました・しずか)関西第一司法書士事務所所属。事務職兼社会福祉士。
相続、成年後見、不動産登記などの実務に携わる一方、高齢者支援や福祉分野にも従事。 法律と生活、双方の領域にまたがる現場経験をもとに、「制度の中で実際に起きていること」をテーマに執筆している。 相続や介護、家族をめぐる身近な問題について、わかりやすく伝えることを目指している。