私立の中高一貫校に通っていると、保護者同士の距離は思いの外近くなります。文化祭などの学校イベントや保護者懇親会を重ねるうちに、気心が知れた関係になることもあります。しかしその近さが、ある日突然、営業の入り口に変わったとき、戸惑いは小さくありませんでした。
「痛くない死に方ができる」――それは安心材料か、恐怖の種か
大阪府在住のMさん(50代)の同じクラスのママ友Aさんは、保険会社で営業をしています。最初は、何気ない会話がきっかけでした。「最近保険を見直したんだよね」というMさんの言葉に、Aさんが反応したのです。「え?何の保険?どこの保険会社?」という確認から始まり、やがて掛け捨ての医療保険、そしてがん保険の話題へと進みました。
Mさん宅は、家族全員分の保険に加入しており、数年ごとに見直しもしています。Mさん自身はがん家系でもなく、保障内容を精査した結果、数年前にがん保険は解約しました。その事情を丁寧に説明しましたが、彼女の提案は止まりませんでした。
ある日、やんわり断ろうとして「人生半ばだし、子育ても大半を終えた。もう死ぬのも怖くない。できるなら健康なまま、ぽっくり人生を終えられたらいいのに」と半ば冗談交じりに伝えたところ、返ってきた言葉に息をのみました。
「痛くない死に方もあるんだよ」「がんになって高度医療が受けられなくて苦しむ人をたくさん見てきた」「保険に入れば、痛くない治療と痛くない死に方ができるんだよ」
その瞬間、背筋が冷えました。保障の説明ではなく、「死に方」の具体性が示されるとは思ってもみませんでした。安心を売るはずの保険が、恐怖を前提に語られる。その構図に、強い違和感を覚えました。
ブロックできない関係という逃げ場のなさ
その後もLINEで金融セミナーの案内が届きます。「将来困らないために」「賢い選択を」といった文面が並びます。返信を控えても、数週間後には別の切り口で再び連絡が来ます。
クラスの他の保護者にそれとなく聞いてみると、どうやら勧誘を受けているのはMさんだけではありませんでした。複数の保護者が同様にセミナーへ誘われていたのです。
さらに背景として無視できないのは、私立の中高一貫校という環境です。世間一般から見れば、通っている家庭は比較的裕福だと受け取られがちです。そのイメージが、営業という仕事にとっては格好の市場に映っているのではないかと感じる瞬間もありました。
学校という閉じたコミュニティで、子どもを介して築いた関係性が、営業の対象になっている現実に複雑な思いが募っていきました。LINEをブロックすることも、あからさまに距離を置くことも難しい。同じ学年で、今後も顔を合わせます。断れば気まずくなり、応じれば営業は加速する。その中間が存在しないことが、何よりの重圧でした。
仕事と学校コミュニティの境界線
仕事に誇りを持つこと自体は素晴らしいことです。しかし、子どもの学校という場に仕事を持ち込むことは許容範囲なのでしょうか。断りづらい関係性を前提にした営業は、対等とは言い難いのではないでしょうか。
「保険に入れば安心」という言葉の裏に、もし恐怖が忍ばせてあるのなら、それはほとんど脅しに近いものです。親同士の信頼関係が揺らいだ出来事は、保障内容よりも、人間関係のほうがよほど繊細で高価なものだと教えてくれました。