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脳出血で失語症になった47歳営業マン、子どもの絵本も読めず涙「誰にも会う気が起こらなかった」

京都新聞社 京都新聞社

 電車やバスを乗り継いでの外出など、これまで当たり前にできていたことが病を得て難しくなった後、人は現実とどう向き合えばいいのか。山根嗣臣さん(47)=京都市中京区=は、2023年5月末に脳出血を発症し失語症などの後遺症があって1年間、誰にも会う気が起こらなかったという。しかし現在は少しずつできることを増やし「電車の切符を自分で買って遠出できるようになった」。自身も高次脳機能障害と生きる僧侶の岸野亮哉さん(50)が、発症後の心の変化について聞いた。

 山根 (「左側頭頭頂葉皮質下出血」と書かれた紙を見せながら)僕の病気です。後遺症の失語症があるので、漢字ばっかりの病名は読めないんですよね。平仮名やカタカナは比較的読めるんですけど、漢字ばかり並んでいると難しい。

 岸野 僕も脳出血でしたが、症状には違いがありますね。そもそも山根さんと出会ったきっかけのひとつに、僕が昨年執筆した連載「変哲のある日常」もあるとか。

 山根 そうなんです。3カ月の入院を終えてしばらくたった頃、何となく新聞をめくっていて見つけました。当時は今よりももっと字を読むのが難しい状態だったんですけど、直観的に自分に関係する記事だとわかったので、家族に頼んで読んでもらいました。京都に暮らしているのだからいつか会えると思っていましたが失語症などの当事者の会で昨年、会えました。

 岸野 初めてお会いした時、じっと見つめられていたのを覚えています(笑)

 山根 やっと外に出る気力がわいてきた頃だったんです。発症から1年くらいまでは、気持ちがずっと沈んでいて友人からの電話にも出たくなかった。退院してまず、子どもの絵本を読んで全然わからず、情けなくて涙が出ました。リハビリしなくちゃあかんというよりも、なんやこれといった感じでしたね。

 岸野 僕も発症後、子どもが挑戦する迷路の絵が解けず、思わず笑ってしまいました。発症前は、どうして子どもは迷路を解けないのか不思議に思っていたんですけど。山根さんは自身を情けなく思ったとおっしゃいますが、最近はあちらこちらに一人でお出かけしていますよね。気力はどこから?

 山根 ようやく楽しいことが見つかるようになりました。退院直後は何を食べても味がわからなかったけど、おいしいものを食べたい欲が出てきた。たとえば近頃はコーヒーがおいしく感じるようになって、一人で神戸まで有名な喫茶店へ行きました。乗り換えをしながら、よしよし覚えてるぞと確認しました。

 岸野 以前に訪れたところだと記憶があるから、行きやすいですよね。

 山根 そうですね。電車やバスに乗っていて突然話しかけられるととっさの対応ができないのでドキドキです。対応がうまくできなさそうな時は、障害者手帳を見せるようにしています。発症前から知っている場所は行きやすいんですけど、再訪によって落ち込む部分もあるんです。前できたことができなくなっているのを実感しますから。初めての場所を訪れるのは大変ですけど、過去と比較することがないので楽しい。だから大阪・関西万博には2回も行きました(笑)。

 岸野 現在もリハビリは続けていますか。

 山根 ええ。文字を書くのは難しいので、パソコンでなんとかできないかと思っているんです。また、脳出血の後遺症で右側の視野が欠けているので、お金の計算で右端のゼロを見落とすなどいろいろと苦労はありますが、なんとかできることを増やそうとしています。白杖(はくじょう)も使おうと思っているところです。

 岸野 現在、会社は休職中とのことですが、どんな今後を描いていますか。

 山根 営業職で働いていましたが、仕事も遊びも以前と同じようにできるかはわかりません。どこまであがいたろうかなと考えているところです。今も気持ちが落ち込む時はありますが、当事者の会では僕より若い人たちが一生懸命頑張っている姿を見ることができる。僕も負けないようにしないといけませんね。今回の対談は、2年ぶりに仕事をした気分になれました。

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