彫りの深い端正な顔立ちで映画『網走番外地シリーズ』や、『不良番長シリーズ』、テレビドラマ『キイハンター』などに出演し、人気を博した俳優・谷隼人。そんな谷が「大きなターニングポイントになった」と話す番組が、1986年にスタートした『風雲!たけし城(昭和版)』だ。本番組で谷は、攻撃隊長として挑戦者たちを鼓舞。これまでの二枚目俳優というイメージを大きく変え、親しみやすいキャラクターは多くの人から支持された。谷にとっても「非常に思い入れの強い作品なんですよ」としみじみ語る。
40歳のときに出会った「風雲!たけし城」周囲には大反対する人も
谷と言えば、端正なマスクで「和製アラン・ドロン」と呼ばれ、数々の映画作品に出演する銀幕スターというイメージが強い。
「生意気なことを言いますと、昭和41年に東映という会社に入って、『飛行少女ヨーコ』という映画に出演し、その後も『網走番外地シリーズ』で高倉健さん、『不良番長シリーズ』で梅宮辰夫さんらとやって、テレビでも『キイハンター』などに出演し、いわゆる俳優という肩書で仕事をしていたんです」
そんななか、谷が40歳のときに出演したのが、ビートたけしが“殿”として君臨し、広大な敷地に作られた“たけし城”の天守閣を目指して、一般視聴者がさまざまなアトラクションに参加するバラエティ番組「風雲!たけし城(昭和版)」だ。派手な衣装で、参加者たちを「いけー」と鼓舞する姿や、数々の難所をクリアし、最後の決戦に挑む参加者たちに「よくぞ生き残った我が精鋭たちよ!」と声を掛ける姿は、谷の新たな一面が見られた。
「正直、周囲は賛否両論でした。やっぱり俳優業をしていたわけで。それがちょっとコミカルな感じでやるわけですから。『やらない方がいいんじゃない』という人もいました。僕もプロデューサーさんから話をいただいたときは『バラエティです』と言われました。でもちょうど節目の40歳になるぐらいのときで、自分のなかで広げていきたいなという思いもあったんです」。
六本木の交差点で実況の自主練も
企画内容を聞いていくなか、谷が興味を持ったのが、番組に参加する一般視聴者とコミュニケーションを取る立場の役だったということ。以前から、人と話をしたりすることが大好きだった谷は、攻撃隊長という参加者と話をする立場に惹かれ、作品に参加した。
「番組を見てくださっていた人は分かると思いますが、とにかく参加者はみんな一生懸命なんですよね。その熱意に惹かれたし、『痛快なりゆき』という通り、雨が降ろうがなんだろうが、やるんです。スタッフとかもみんな泥だらけになりながら、本当に全力投球なんです。やっぱり真面目にひたむきにやっている人たちと関わり合うのって、素敵じゃないですか。最初は半信半疑でしたが、やっていくうちにどんどんハマっていきました」。
「たけし城」への参加は、東映の映画スターという存在に親しみやすさを加えた。
「結局4年半ぐらいはやったのかな。あの番組に出演したら、行く先々で『隊長!』や『よくぞ生き残った、我が精鋭たちよ!』なんて声を掛けてくださるんです。番組が終わってから30年以上が経ちますが、いまでもそうですからね。本当にありがたいです」
もう一つ、トーク力も格段に上がり、俳優業以外の仕事の幅が広がっていったのも「たけし城」出演のおかげだったという。
「やっぱり俳優業をしていたので、最初アドリブなどはうまく出なかった。よく六本木の交差点を車で通るときなんかに『いま六本木の交差点にいます。いまアマンドの前を通りました。若い人々が行き交い……』なんてマイクを持ったときのことを想像して練習していたぐらい。そうやって過ごしたおかげで、映画やドラマだけではなく、いろいろな方面の仕事にも呼んでいただけましたからね」
Prime Videoで『風雲!たけし城』復活!
「あれから34年経過しましたが、いまでも『たけし城』には出て良かったと思っているんです」と語った谷だが、今年あの“たけし城”が Prime Videoで復活し、再度“攻撃隊長”を務めることになった。
「昨年の夏、それこそ34年ぶりに緑山スタジオに行ったんです。セットも昭和の時代から比べると数段バージョンアップしていてすごいんですが、現場に入った瞬間、スッと当時が蘇ってきました。そのとき、本当にあの時、お話を受けて良かったなと感激しました」
猛暑のなか行われた撮影だったが、当時75歳だった谷も、炎天下のなか、自然と最前線で参加者を鼓舞していたという。
「マネージャーが『木陰で休んでください』って言うのですが、竜神池やジブラルタル海峡など、参加者は本当に一生懸命やっているわけですよ。それを見ていると、攻撃隊長が脇で休んでいて、視聴者に伝わるのか……なんて熱くなってしまいました。最高に心も体も熱い夏になりました」
「もっと続けていきたい」と熱い思いを滾らせていた谷。“一生懸命”がいかに尊いものなのか――それを体全体で表現してくれていた。