例年ですと、雨空の真っ只中で迎えることの多い新暦の七夕(旧暦では、七月七日は梅雨明け以降の真夏から晩夏になります)です。しかし異例の早さで梅雨明けした地域も多く、今年は織姫と彦星の逢瀬は実現する可能性が高そうです。今回は、七夕神話の織姫星と彦星ではなく、ギリシャ神話の中でのベガとアルタイルに焦点をあててみましょう。
古くはこと座を「舞い降りる鷲」わし座を「飛び立つ鷲」という対に見立てていました
ベガとアルタイルはもともと二羽の鷲だった?
七月の夜空。北東の空高く、ベガ、アルタイル、デネブの三星が形作る「夏の大三角」が輝いています。
日本では織女星・織姫星という和名で呼ばれるベガ(Vega)はこと座(Lyra)のα星。わずかに光度を変える変光星で視等級は0.03等級。これは全天21の一等星の中でも、シリウス(おおいぬ座)、カノープス(りゅうこつ座)、リギル・ケンタウルス(ケンタウルス座)、アルクトゥルス(うしかい座)に次いで5番目に明るい恒星で、「北天の女王星」「真夏のダイヤモンド」という二つの名で知られる夏の夜空を代表する白く輝く星です。
地球からの距離はおよそ26光年と比較的近く、惑星系を従えているとも推測されています。大きさは直径が太陽のおよそ3倍もある巨星ですが、地球時間で一周12時間ほどの高速で自転しており、このため遠心力で赤道付近が大きく膨らんだミカンのような形状をしています。表面温度は9500度で、太陽の3倍もの輝きをもつ激烈な活動を示す恒星です。しかしそのため3億歳という若い恒星にも関わらず、残りの寿命は10億年ほどと、短い寿命で燃え尽きてしまうと推測されています。目立つ明るい星にも関わらず、透明感のあるはかない印象を与えてしまうのはそのせいでしょうか。
こと座は、トレミーの48星座の一つの古い星座で、主星ベガに、平行四辺形を形作る四つの星がつながる形をなし、この四辺形を竪琴の弦に見立てています。
一方、彦星・牽牛星として有名な、ベガとは天の川を挟んで対岸で向かい合い、対となるアルタイル(Altair)。わし座(Aquila)のα星で、ベガよりはやや暗い0.77等級の一等星です。地球からの距離はベガよりもさらに近く17光年。太陽の1.8倍の直径をもつアルタイルもまた、ベガと同様に超高速で自転しており、9時間で一回りしてしまいます。このためやはり赤道付近が膨らんだミカン型の恒星です。ベガとアルタイルがともに似た性質・形状を持つのは単なる偶然なのか、不思議な符号ですね。
わし座は、天の川に覆いかぶさるように翼を広げた雄大な星座で、アルタイルはその胸付近の星になります。
かつてバビロニアではわし座を飛び立ち上昇する鷲、こと座を翼を畳み下降する鷲に見立てていました。「アルタイル」「ベガ」という名称も、バビロニアの天文学が伝わった古代アラビアでの「飛び立つ鷲」=アン・ナスル・アル・タイールのアル・タイールが転写されてアルタイルに、「降下する鷲」=アン・ナスル・アル・ワーキュアからワーキュアが転写されてベガになったと考えられています。この二星はイスラム世界での農事などの指標として大切にされてきたようです。
「夏の大三角」周辺図。晴れた日の夜空にさがしてみましょう
愛惜の思いが満ちる、こと座の冥府巡り神話
古代ギリシャにもバビロニアの天文学は伝播していますが、ギリシャでは飛び立つ鷲のみがわし座として残存し、下降する鷲はこと座に置き換えられました。
こと座の琴とは「オルフェウスの竪琴」で、冥府巡り神話として有名です。
アポローンから、ヘーラークレースが殺したリノスおよび歌によって木石を動かした吟遊詩人オルペウス(オルフェウス)が生まれた。オルペウスはその妻エウリュディケーが蛇に噛まれて亡くなった時に、彼女を取り戻そうと思って冥府に下り、彼女を返すようにとプルートーンを説き伏せた。プルートーンはオルペウスが自分の家に着くまで途上で後ろを振り向かないという条件で、そうしようと約束した。しかし、彼は約を破って振り返り、妻を眺めたので、彼女は再び帰ってしまった。(アポロドーロス「ギリシア神話」)
冥府下りの神話のモチーフと落ちは、日本神話でもイザナギ・イザナミ神話にそのまま見ることができるものですが、音曲の神アポロンの血統であるオルフェウスは、冥府下りの道程で、冥府の河の渡し守カロン、冥府の番犬ケルベロス、そして冥府の王プルートーン(ハーデス)などによる強硬な拒絶を、竪琴を鳴らすことで次々に懐柔し、突破する逸話が独特です。
そして妻の奪還に失敗したオルフェウス、後にアポロンの宿敵ともいえる混沌の神ディオニュソスの信者の狂乱した女たちにより八つ裂きにされて殺されるという悲劇の運命がまっています。
こと座の竪琴はオルフェウスの冥府巡りの神話を由来とします
天高く輝く夏の二星に色濃くこめられた死のイメージの意味とは
ベガとアルタイルは、世界各地で「夫婦星」と見立てられて対になっています。
昨年当コラムで、織姫彦星の二星聚会神話には古代の共同体での生贄の乙女と牛馬たちの御霊鎮めが基層にあるのではないか、と論じました。(7月7日「七夕」。儚くもロマンチックな織姫彦星伝説の背後にある悲しい深層とは?)
だとするなら、天の川の両岸に向かい合う両星を、あの世とこの世に引き裂かれた伴侶と見立て、その運命にあらがう冥府下りの神話へとつなげるのは自然なことだと思われます。北天(天の赤道よりも北側の空)の輝星であるアルタイルとベガを、北方の守り神・毘沙門天とその妻・吉祥天に見立てる物語も、『御伽草子』の「梵天王」の逸話として伝承され、これもまた死んだ妻を求めて星空(あの世)を巡る夫の物語なのです。
旧暦の七夕はお盆行事と重なり、全国各地では川に精霊舟、つまり死者の魂を乗せてあの世に送る行事が行われます。このイメージはそのまま、夏の夜空高くにかかる天の川と重なっていたのです。神話伝承の時代を過ぎて、近現代の個人の物語(小説・童話等)が紡がれる時代になっても、やはりそれは変わりません。旧暦の七夕頃と設定される宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は、死者との冥府巡りの物語であり、主人公ジョバンニは「どこまでも一緒に行こう」と誓った友をあの世に残し、引き裂かれてこの世に戻ってきます。その物語の中の「ケンタウル祭」も、岩手の精霊流しの行事である「舟っこ流し」を元にしています。
誰もが人生で体験しなければならない愛する者との永遠の決別。七夕とは、青白く輝く二星にその傷をたくし、癒すために受け継がれた神話・伝承、そして祭りだったのかもしれません。
「梵天王」「銀河鉄道の夜」…天の川には古今東西共通するイメージ投影が
(参考・参照)
星空図鑑 藤井旭 ポプラ社
ギリシア神話 アポロドーロス 高津春繁訳 岩波書店
盛岡舟っこ流し 公式サイト
七夕行事も冥界へと追いやられた牽牛・織女の鎮魂の祈りが生んだのかもしれません