昔懐かしい郷愁に誘われる葉っぱの切り絵。驚くほど繊細で優しいタッチの作品です。人気の葉っぱ切り絵アーティストのリトさん(35)=本名・橋本賢治さん=2年前まで収入、貯金ゼロで、芸術を学んだ経験もありませんでした。大学卒業後、一般企業に就職しましたが、「覚えが悪い」「使えない」などと叱責され、3社を転々とした末、無職になりました。気付けば30過ぎ。「仕事はできない。お金もない。家でできることをやるしかない」。芸術家への転身は、追い詰められた末の選択でもありました。
展示会はすべて完売
12月、京都市の書店「丸善京都本店」で開かれた展示会に、リトさんの姿がありました。葉っぱにデザインナイフで細かくを切り込みを入れた作品約50点を展示し、うち販売した5万円〜9万円の作品が完売しました。これまで行った展示会でもあっという間に売り切れています。今年出版した「いつでも君のそばにいる」「離れていても伝えたい」(いずれも講談社)は2冊で累計10万部のヒット。リトさんは「2年前には想像もできなかったこと」と無職だった当時を振り返ります。
就職先で叱責の日々
リトさんは大学を卒業後、寿司屋のチェーン店に就職しました。パートの女性たちからは「ものすごくきれいな寿司を作る」と評判でしたが、作るスピードが遅いことを先輩から叱られました。「過集中といって、集中しすぎてしまうんです。『いらない紙でメモ用紙を作っといて』と言われたら、えんえんと丁寧に作ってしまったり」。接客や発注など様々な仕事を同時に処理することも苦手で、7年勤めた末、退社しました。
2社目は段ボールの製造工場でしたが、深夜12時過ぎまで続く残業が体にこたえ、3カ月で退職します。3社目はハローワークに行って老舗の和菓子屋で販売員を務めましたが、「覚えが悪い」「言われる前に動いて」「どうしたら仕事ができるようになるんだ」と責められ、1年3カ月耐えた末、無職となりました。「自分では一生懸命やっているつもりなのに、やる気がないように思われる。会社に行くのが怖くなった」。ネットで原因を調べたところ、自身が発達障害と似た特性を持つことに気付き、病院でADHD(注意欠陥多動性障害)という診断を受けました。
「生き方ガラッと変えよう」投稿始める
自身に発達障害があることに気付いたリトさんでしたが、新たな就職先への展望は開けませんでした。ハローワークに障害者雇用の求人は少なく、特性に合った仕事場は見つかりませんでした。「障害があればもっと人が助けてくれるのかなと思ったけど、そうじゃなかった」。失望を覚えた一方、「組織で働くことは向いてない。生き方をガラッと変えよう」とアートの世界へ挑む決意を固めました。
表現に挑んだ2020年当初は、葉っぱ切り絵ではありませんでした。「仕事もない。お金もない。紙とペンを使って家でできることしかなかった」と過集中という特性を生かし、びっしりと絵を描き込み、毎日Twitterでアップしました。「みんなをびっくりさせたろうと思って。思いの外、反響があって、2作目、3作目と作っていった」。緻密な絵を作っていく中で、葉っぱに細かく刃を入れる切り絵にたどりつきました。
葉っぱの切り絵もすぐに人気を博したわけではありませんでした。「なかなか芽が出なくて、毎日毎日Twitterのみなさんの反応を見ていました」。デザインナイフで何時間もかけて刃を入れ、完成した作品の写真を撮っては捨てる毎日。「葉っぱは力を入れて押さえていると、野菜のように色が悪くなってしまうんです。だから初期の作品は捨てていたので残っていません」。辛抱強く制作を続ける中で、ゆったりと泳ぐジンベエザメと観覧客を描いた「葉っぱのアクアリウム」が反響を呼び、展覧会の開催や、出版社から本出版の依頼が舞い込むようになりました。初めて展覧会の開催し、収入を得たのが2021年1月。Twitterで作品を発表し始めて1年が経っていました。
Twitterで反響を呼んだことで出版社から「本を出しませんか」とオファーが届き、展覧会や取材依頼も舞い込むようになったといいます。展覧会でファンに出会うと、「涙が出ました」「目が釘付けになりました」と目を潤ませて感動を伝えられ、作品は飛ぶように売れました。
Twitterから表現者へ「継続しかない。みんなやめちゃう」
発達障害で悩む社会人は年々増えていますが、無職から表現者に転じ、成功した例は多くありません。なぜリトさんは成功できたのでしょう?「継続しかない。みんなやめちゃうんですよ」と話します。「僕はTwitterを365日やるしかなかった。そうすると、発信することがなくなりますよね。すると、発信できることは何か、考えるようになる。色んな情報を探すようになる。なんとなくやっていて、突然ドカン(とヒット)はない。地道に少しずつやっていくしかないんです」
リトさんも葉っぱ切り絵にたどりつくまでに、ペンで絵を描いたり、さまざまな表現を模索する中で、フォロワー数の変化、反響を見ながら、作品スタイルを築いていったといいます。「いつか自分はアートで活躍するんだ、と思って試行錯誤してやってきた結果です」
生きづらさを感じる人へ「自分の強さ、弱さを知って」
発達障害で生きづらさを感じている人へのメッセージをうかがいました。リトさんは自身の経験を振り返りながら、「自分を知ることがすごく大事だな、と思っています」と言います。「人によって色んな特性があり、人それぞれ違う。とことん調べて、自分の強さ、弱さが分かれば、手伝ってもらったり、頼んだりできるようになります」。リトさんへ連日届く取材やイベントの依頼といったオファーへの対応はスタッフにお任せし、自らは創作活動に専念しています。
今後は作品の販売を抑え、展示に力を入れていく意向です。「これまでは作っては売って、を繰り返して手元に作品が残っていないんです。美術館などで大きな展示会を開けるよう、作品をストックしていきたい」。2年で人気作家となりましたが、現状にとどまるつもりはありません。「どんどん新しいことに挑戦して、みんなを飽きさせたくない」。リトさんの新たな活動に注目しています。