史上空前の大ヒットとなっているアニメ「鬼滅の刃」で主人公の師匠、鱗滝左近次役を演じた声優の大塚芳忠(おおつか・ほうちゅう=66、クレイジーボックス所属)は1980年代から今日にいたるまで日本を代表する数々のアニメ作品に出演してきた。そんな業界のレジェンドが「まいどなニュース」のリモート取材に応じ、声優となった経緯や鬼滅の刃がヒットした理由などを語った。
映画の興行収入が国内歴代トップに立ち、様々な商品とコラボするなど、社会現象ともなっている人気アニメ作品「鬼滅の刃」。そのテレビ版の中で主人公・竈門炭治郎を鍛え上げる師匠、鱗滝左近次を演じたのが大塚芳忠だった。
――なぜ、ここまでヒットしたのでしょうか?
これまで幾度となくこの質問をいただきましたが、はっきり言って難問です。何がどうなって、これほどまでの騒ぎとなったのか。私が思うのは、すべてが新しかったということです。大正という時代設定も、鬼というキャラクターたちも。美しい作画と音楽。兄が一途に妹を想ういじらしさが加わって涙を誘う。
それと世界がコロナという新しい脅威にさらされている、まさにそのタイミングであった、ということも大きな要因といえるかもしれません。
1983年、大塚は29歳で本格的に声優デビュー。その後は「うる星やつら」「キャプテン翼」「北斗の拳」「機動戦士Zガンダム」「美味しんぼ」「SLAM
DUNK」「NARUTO」など、ありとあらゆる人気作品に出演。吹き替えも多数あり「仮面ライダー電王」や洋画「ウォーターワールド」のケビン・コスナーや「ペリカン文書」のデンゼル・ワシントン役などを担当した。
また、ナレーターとしてもテレビ番組「真相報道バンキシャ!」などに出演。筆者は最近になって、グリーンチャンネル「競馬場の達人」のエンディングを担当していることにも気づいたが、もちろん、これだけにとどまらない。耳に心地いいバリトンボイスを聞かない日はないのではと思えるほどの活躍ぶりだ。
――声優になるまでのいきさつは?
岡山県内の高校を卒業して、そのまますぐ東京に。大学進学も就職もする気はなく、他になにかあてがあるわけでもなしに、です。すぐにアルバイト生活に入りました。レストランとか小さな食堂とかスナックの厨房とか、まかないの食事だけが目当てのアルバイトでした。そんな生活を5、6年続けるうちに、あるお店のお客さんから突然声を掛けられました。
――天から授かったその声が気に入られたのでしょうね。
お話を聞くと、その方は東京のテレビ局プロデューサーで、洋画の日本語版を専門に制作されている方でした。私にはピンときませんでしたが、その後何回かお話するうちに、吹き替え現場に見学に来てみないかという話になりました。そして連れられてスタジオに何度か通ううちに私も少しずつ声の仕事に興味が湧いてきたのです。そこからが始まりです。
――何歳ぐらいのときですか?
24、5歳の頃だったと思います。その方がなぜ私に声を掛けてくださったのか、どういう気持ちで親切にしてくださったのか、不思議です。それで一生の仕事に巡り合ったわけですから、私にとってその方はまさに恩人です。
その方がどなたかは言えませんが、声を掛けてくださらなかったらその後どういう人生を歩んだのだろうかと、今もよく考えます。
2017年には第11回声優アワードで助演男優賞を受賞。不動の地位を築いていく。
――これまで出演されてきた作品の中で特に印象に残っている役は?
アニメ「NARUTO」という作品です。「鬼滅の刃」の鱗滝左近次と同じ、主人公の師匠役という役どころで「自来也」を演じさせて頂きました。原作の岸本先生が私の故郷、岡山県の津山に近い所のご出身で「NARUTO」が大ヒットしていることは良く知っていました。
しばらくしてTVアニメになると知り、自分も出演できないかと考えていたそのタイミングで師匠役という重要なキャラクターに抜擢されたのです。嬉しくて興奮しました。何年も前になりますが、津山に帰省した折、津山線をNARUTOのラッピング車両が走っていて、自来也が車両いっぱいに描かれているのを発見したときはとても誇らしかったですね。
――師匠役の鱗滝左近次ではないですが、声優を目指している人にメッセージをお願いします。
いまは声優ブーム、特にアニメ声優は大変な人気です。声優を目指す若者はものすごい数ですね。養成所、声優事務所も星の数ほどあって、入り口はとても広くなっています。本気で考えるなら目指してみても良いと思いますよ。行動を起こしてみないと始まりませんから。大人はいろいろ言いますが、まずは飛んでみたらどうでしょう。
仕事としてはとても面白いです。ただ、苦労はします。40年この世界に居る私の経験から言いますが、本当に大変ですよ。その覚悟があるなら頑張ってみてください。
――最後に今年の抱負、今後の展望について教えてください。
今年ということではなくて、この先のことになりますが、とにかくずっとずっとこの仕事を続けて行きたいと思っています。とりあえず滑舌と気力さえ何とかなれば、いつまでもやっていけると思っています。まっ、それが難しいのですが…。80歳を過ぎても現役で活躍されている先輩方は大勢おられますからね。
あと、最近特に思うのですが、故郷岡山のお役に立てるような仕事をしていきたいですね。昨年も岡山西警察署の交通安全のアナウンスをさせていただき、最近では「岡山かるた」のPR動画に出演しました。岡山弁を織り交ぜたりして楽しい時間でしたね。
――貴重なインタビュー、ありがとうございました。