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おなかの赤ちゃんに脳の異常の可能性 夫は出産2カ月前から10カ月仕事を休んだ その後も成長に寄り添い…息子が初めて発した言葉は「ぱぱ」

そんでなライターズ そんでなライターズ

妊娠30週の健診で、母親はおなかの中の息子の脳に異常がある可能性を告げられました。夫は出産の2カ月前から仕事を休み、出産後の育休と合わせて計10カ月間、妻の通院の送迎のほか、息子の入院生活やリハビリをサポートするなど、家族を支えてきたといいます。夫への感謝をつづった投稿はThreadsで43万回表示され、「息子さんのために今できることは何かを一番に考えて起こされた行動がとても素晴らしいです」「同じ親として、同じ男として旦那さんをリスペクトします」といった声が寄せられています。

投稿したのは、片麻痺のある2歳の息子との日常を発信している「リトノオト」(@rito_no_oto_)さん。息子さんの脳に異常がある可能性が分かったのは、妊娠30週の妊婦健診でした。生後20日に診断された病名は「片側巨脳症」です。厚生労働省が指定難病に定めているまれな病気で、難治性てんかんや発達への影響を伴うことがあります。

息子さんは生後3カ月で「半球離断術」を受けました。片側の脳でてんかん発作の原因となる異常な電気活動が起きており、その広がりを防ぐための手術です。リトノオトさんは「後遺症が残ることは理解していました。だからこそ、親として主体的に情報を集め、短期間で病気や治療について勉強しました。その中で半球離断術を知り、脳外科手術を専門的に行う国立精神・神経医療研究センター病院(NCNP)への転院を、かかりつけ医にお願いしました。医師から勧められて決めたのではなく、自分たちで調べ、医師とも対等に話せるよう準備した上で選んだ治療でした」と話します。手術前は両手両足を自由に動かせていましたが、手術後は片麻痺が残り、2歳になった現在は発作を抑えながら、歩く練習を重ねています。 

出産2カ月前から仕事を休んだ夫 「とても心強かった」

――投稿では、妊娠中に赤ちゃんの脳に異常があるかもしれないと分かったとき、夫が有給と育休を使い切って休んでくれたとつづっていました。当時、どのように受け止めましたか。

とても心強かったですし、「夫らしい決断だな」と思いました。

夫は昔から、周囲の評価や常識に流されることなく、自分が大切だと思うことに真っすぐ向き合う人です。見方によっては冷静すぎたり、冷たく見えたりすることもあるかもしれませんが、私はそんな夫の信念を貫く姿勢を尊敬しています。そのため、今回の決断にも大きな驚きはありませんでした。

一方で、夫が仕事で積み重ねてきた経験や実績、職場の方々に大切にしていただいていたことも知っていました。それらを手放すことへの葛藤や、直接ご挨拶もできないまま離れることへの心苦しさは、私自身も強く感じていました。

それでも、夫の意思を尊重し、背中を押してくださった会社の皆さまには、感謝の気持ちでいっぱいです。

――ご主人は、いつからいつまで仕事を休まれていたのでしょうか。

私の出産2カ月前から、出産後8カ月まで、計10カ月仕事を休んでいました。出産前は有給を消化し、出産後は育児休暇という形で休みを取得しています。復職の際は、人事にも事情を説明したうえで、息子の生活環境やリハビリによる回復を優先し、勤務地を変えて復職させてもらいました。

――突然の里帰りや転院が続く中、投稿では「どの場面にも当たり前のように夫がいてくれた」と振り返っていました。特に、どのような言葉や姿勢に支えられたのでしょうか。

私に感情移入しすぎず、ただそばにいてくれたことです。

夫も最初の1週間ほどは一緒に落ち込んでいましたが、その後はとても冷静でした。私は出生前診断や胎児MRIなど、さまざまな検査を受けるたびに気持ちに波がありましたが、夫は感情的になることなく、常に状況を整理しながら落ち着いていてくれました。

何か特別な言葉をかけてもらったというより、「何が起きそうか」「どう解決できそうか」を考え、何が起きても悲観しすぎず、「じゃあ次はどうするか」と向き合う姿勢でいてくれたことが大きかったです。

妊娠中の医師とのやり取りは主に私がしていましたが、困ったときや判断に迷ったときも、「夫に相談すれば大丈夫」と思えました。その安心感があったからこそ、不安な日々を乗り越えられたのだと思います。

8時間の手術、入院、リハビリ…いつもそばにいた夫

――妊娠中から現在まで、ご主人は具体的にどのように支えてくれましたか。

妊娠中は、仕事を休んで病院まで車で送迎してくれ、常に横にいてくれました。入院中は付き添いを定期的に交代してくれましたし、私が付き添っている間は、家で体を気遣った料理を作り置きしてくれていました。心がつらくなる話は、夫が医師と徹底的に話し込んで理解したうえで、私に翻訳して伝えてくれました。

8時間に及ぶ手術の間は、ずっとそばにいて、他愛もない話をして気を紛らわせてくれました。退院後は刺激が大事だと思い、さまざまな場所へ出掛けました。夫が休んでいて車を運転してくれたからこそできたことで、家族のかけがえのない時間になりました。

リハビリでは、いつも楽しい雰囲気にして、息子のやる気を引き出してくれます。私が毎日一緒にいると見逃してしまうような小さな成長にも気づき、息子だけでなく私のことも褒めて励ましてくれました。

初めての言葉は「ぱぱ」 少しずつ見えた息子の成長

――息子さんが一生懸命に伝えてくれた初めての言葉が「ぱぱ」だったそうですね。そのときのことを教えてください。

何か一言でも話せるようになれば、希望の光が見えてくる。そんな気持ちでいたので、初めて「ぱぱ」と言えたときは、率直にとてもうれしかったです。

当時はまだ発達への不安が今よりも大きく、「言葉を話せるようになるのだろうか」と考えることもありました。だからこそ、その一言には想像以上の喜びがありました。

「ぱぱ」と言えるようになってからは、夫が仕事から帰ってくるたびに「ぱーぱー!」と叫びながら玄関へ向かうようになりました。その姿を見るのが、私たち家族の日々の楽しみでした。

ちょうどその頃、運動面で大きな課題だったハイハイもできるようになってきました。言葉でも運動面でも少しずつ成長していく姿を目の当たりにして、改めて息子の力強さを感じたことを覚えています。

家族は今も「選択」の途中

――同じように育児の不安や病気と向き合い、一歩ずつ進んでいる家族に向けて、伝えたいことはありますか。

病気が分かったときも、子育てをしているときも、将来のことを考えて落ち込んだり悩んだりすることは何度もありました。正直、「こうすれば乗り越えられる」という方法は今でも分かりません。少し乗り越えたと思ったらまた新しい壁が現れて、そのたびに悩み、立ち止まり、心が折れそうになることもありました。

そんな中で、今でも心に残っている言葉があります。生後20日で息子の病気が分かり、私たちが人生に絶望していたとき、義父が「人は誰しも、生まれた意味が必ずある。現に大切なことをたくさん考えさせてくれている。生き続けることが大切」と言ってくれました。

その言葉は、病気や障害そのものに意味を持たせるということではなく、息子自身の存在をそのまま肯定し、まずは生きていくことを大切にしようと思わせてくれた言葉でした。

子育ては選択の連続です。病気や障害があると、その選択はさらに増えていきます。何が正解なのか分からず悩むこともたくさんあります。最近はてんかん発作が再び起こるようになり、再び病院に通う日々になりました。私たち自身もまだ迷いながら進んでいる途中です。子どものための選択を大切にしながら、私たちも少しワクワクできる選択や、穏やかに過ごせる時間、自分の心と体を大切にしていきたいと思っています。同じように病気や育児と向き合っているご家族と、それぞれのペースで一緒に頑張っていけたらうれしいです。

【リトノオト⌇片麻痺の2歳息子の日常さんのnote】
▽息子さんの病気についての記録
https://note.com/rito_no_oto_

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