自分の体が自分のものではないように感じたり、目の前に広げる現実世界に膜がかかっているような感覚がしたりする「離人症」は苦しみが目に見えないため、周囲に症状の深刻さが理解されにくい。
すしのさん(@sushino_rain)は中学生の頃、一過性の離人感が現れるように。大学生の頃には、離人体験が頻繁に起きるようになっていた。現在は、自身の体験を漫画やエッセイで伝え、離人感や離人症の症状や向き合い方を伝えている。
中1の頃に現れた離人感が慢性化していって…
すしのさんは中1の頃、同級生と話している最中に自分を天井から見るという幽体離脱のような離人体験をした。それ以降、体が疲れると、たびたび、ふらつきやめまいなどが起きるようになったという。
「離人感が一過性だった時の発症頻度は明確には覚えていませんが、高校生になるまでは、年に数回程度だったと思います」
離人症には多くの場合、強いストレスが関係していると言われている。当時のすしのさんも家庭不和や学校でのいじめ、発達障害(ASDと ADHD)によるコミュニケーションの困難さに悩んでおり、常に過緊張状態だったという。
離人感が現れると、ひたすら耐え、症状が治まるのを待った。だが、離人体験をする頻度は増えていき、大学生の頃から、すしのさんの世界には鮮やかさが消えている。
「五感が歪んでいるように感じます。世界は平面で奥行がないし、音楽はただの音にしか聞こえません。自分に起きたことも他人事のように感じられる。まるで他人の体を生きているみたい。世界にひとりだけ置いていかれている感覚があります」
離人症の治療を進める中で大切だと感じたのは「安心感」を得ること
離人症は慢性的に症状が現れているだけでなく、離人感が起きたり消えたりを繰り返す状態でも当てはまるそうだ。すしのさんは自身の症状をネットで調べる中で「離人症」という精神疾患があることを知った。
言葉にすることが難しい離人感を和らげたくて、すしのさんは精神科へ通院。投薬やカウンセリングを受けるようになった。また、整体やセラピーなど、様々な方法も試したという。だが、今のところ、症状に変化はない。
ただ、過緊張状態な体の力を抜く方法は見つけることができた。例えば、体に優しく手を当ててもらうタッチセラピーの時は、いつもより深く息が吸える。カイロプラクティックは安心感を得られるのか、眠くなれた。
「私は過去のトラウマから、自分を監視して緊張しているので、遠くの音を聞いたり、自分が離島や別の惑星などの遠い場所にいる姿を想像したりして、“遠く”に意識を向けることも脱力に繋がっています。遠くに目を向けると、過度な自己注目から解放されて緊張を逃がせるんだと思っています」
離人症は哲学的な話では片付けられない“診断基準のある精神疾患”
自身の離人症を漫画やエッセイで伝えようと思ったのは、解離性同一性障害の体験談を漫画で描いている人がいることを知ったからだった。
「その頃はちょうど、自分がトラウマを抱えているということを認識でき、フラッシュバックの治療を受けるなどして頭の整理がついてきたタイミングでした」
自分も何か発信してみたい。私の想いも聞いてほしい。そう思い、『漫画 離人症のおはなし』をkindleでセルフ出版。その後も『離人症です。~離人症・現実感消失症患者のエッセイ~』など、当事者にしか語れない体験を書き伝えている。
周囲に伝えるのが難しい、症当事者の孤独感や苦悩を赤裸々に明かした。
「私自身、まだ治っていないので、あまりはっきりとは言えませんが、離人感を緩和するには安心感が必要だとは、ずっと感じています。私の場合はカウンセリングで辛かったことを話して泣けた時、張りつめていた警戒心が溶け、一時的に脱力感を得られて心地いいと思いました」
すしのさんは「自分が自分ではない感じがする」という当事者のSOSが中二病だと誤解されたり、哲学的な意味合いだと誤って捉えられたりしない社会になることを願っている。
「自分が自分ではない感覚を話しても、『若い頃は誰でも自分を見失うことはある』などと言われることがありました。でも、離人症や現実感消失症は診断基準のある疾患。そのことが、広く知られてほしいです」
理解されにくい離人感に悩み、孤独感を抱いている人は似た症状を持つ人の体験談を探しつつ、自分と向き合い、「蓋をしてきた辛い思いはあるだろうか…」と考えてみてほしい。
そう訴えるすしのさんはウェブサイト「離人症体験記」でも自身の体験談を発信中。サイトには、他の当事者の体験談も掲載している。
現実との間に距離ができる離人感や現実感喪失感は一説によると、自己防衛のために起きるものであるとも言われている。言葉で伝えにくい離人感に苦しんでいる人は専門家の力を借りつつ、自己防衛しなければ生きてこられなかった日々への想いを吐き出し、これまで私という人間を守ってきた自分自身を優しくケアしてあげてほしい。