9月7日はタスマニアタイガーが絶滅した日。その絶滅の理由とは?

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9月7日は、今から85年前の1936年のこの日、オーストラリアの動物園で飼育されていた最後のタスマニアタイガーが死去し、絶滅したことから、オーストラリアの「国家絶滅危惧種の日 (National Threatened Species Day)」と定められています。オセアニアの生態系の頂点・大型肉食哺乳類として進化したタスマニアタイガーはなぜ絶滅したのでしょう。一方、ほぼ同時期の20世紀初頭、日本の生態系の頂点にあったニホンオオカミも絶滅しています。彼らはなぜ絶滅したのでしょうか。
※画像クレジット:Unknown authorUnknown author, Public domain, via Wikimedia Commons

飼育下にあるタスマニアタイガー。有袋類随一の猛獣でした


最後のタスマニアタイガー・ベンジャミンの悲しすぎる末路

タスマニアタイガー(タスマニアウルフ、フクロオオカミ、サイラシンとも Thylacinus cyanocephalus)は、フクロネコ目フクロオオカミ科フクロオオカミ属に属し、絶滅以前はこの科の唯一の生き残りでした。オーストラリアやニュージーランド、アメリカ大陸のごく一部にのみ進化した、いわゆる有袋類(オーストラリア/アメリカ有袋大目)の一種で、カンガルーやコアラと同様にメスにはポケット(育児嚢)があり、幼体をポケットの中で育てます。
体長は85~135cm、根もとが太く、急速に細くなる独特の長い尾は犬やキツネよりも、ネコやジャコウネコに似ていて尾長30~65cmほど、全長は大型の犬種よりもやや大きいものの、足は平均的な犬よりもやや短めで肩高は60cmほどでした。
灰色から黄褐色の体毛は短く、背中の途中から臀部、尾にかけて、13~19本の茶褐色か黒の条が入り、この独特の縞模様が「タイガー(トラ)」の呼称の所以となっています。
口吻は長く、目の真下まで裂け、ワラビーなどの草食動物をその鋭い牙で捕食していました。
育児嚢は後ろ向きで尾の側に口が開いており、袋の中には4つの乳首、通常一回の出産で2~4頭の子供を産み、3か月ほどポケットの中で育て、以降子供は一年ほど親の庇護下で生活しました。
かつてはオーストラリア全土に分布していましたが、12万~7万年ほど前、オーストラリア大陸の気候変動による乾燥化で次第に数を減らし、彼らが好む森林性の環境を求めて南部へと生息分布していきました。そして6万5千年ほど前に、東南アジアから渡ってきたオーストロネシア人の持ち込んだタイリクオオカミの一種ディンゴ(Canis lupus dingo)が野生化するようになると、その競合に敗れ、離島であるタスマニア諸島のみに分布するようになりました。狩猟能力や体格はほぼ同じではあるものの、単独で狩りをする神経質なタスマニアタイガーに比べて、ディンゴは犬科らしく家族集団で狩りを行うためと考えられています。
その後18世紀になり、ヨーロッパ、主にイギリスからの移住者が全土に増加し、牧畜農業をはじめると、牧羊を襲撃するタスマニアタイガーは、人々によって徹底的な掃討が行われました。大きな口とトラのような模様の猛獣は、狩猟対象としても好んでターゲットにされ、タスマニア島で2,000頭を超す個体が捕殺されました。
こうして野生の個体が姿を消すと、オーストラリアやヨーロッパ、アメリカの各地で、生きたまま捕獲された一部のタスマニアタイガーが動物園の檻の中で生き残るのみとなりました。それらも次々と死んでいき、オーストラリア南東部のホバートの動物園で飼育されていた最後の一頭「ベンジャミン」のみとなります。
そして1936年の9月7日、閉館すれば戻るはずのバックヤードの寝ぐらが飼育員の不注意により夜になっても閉ざされたままとなり、観覧檻の中に取り残されたベンジャミンは、寒冷地の早春の極寒の中、ひっそりと凍死してしまったのです。
オーストラリアは悲劇を繰り返さないよう、後年この日を「国家絶滅危惧種の日」に制定しました。「絶滅」から85年経つ今も、オーストラリアでは頻繁にタスマニアタイガー「らしき」生物を原野や森で目撃されています。それは、この魅惑的で個性的な猛獣を絶滅させてしまったことの悔恨が見せる幻影なのでしょうか。
しかし、あまりにも目撃例が多いことから、1910~2020年までの110年間の目撃情報をオーストラリアの研究チームがマッピングし、詳細な解析を行いました。すると、なんと実はつい近年の2000年ごろまでは、タスマニアタイガーはわずかに生き残っていた、とする結論が出ました。そして今でも10%ほどながら、「生き残っている可能性がある」ともされたのです。もしそれが本当なら、人類にはまだ、タスマニアタイガーに謝罪できるチャンスが残されているかもしれません。
※画像クレジット:FunkMonk (Michael B. H.), CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons

この剥製よりもずっと美しい生き物だったはず


現代人のあこがれる伝説のニホンオオカミ。滅ぼしたのは誰?

私たち日本人もタスマニアタイガーの絶滅をとがめだてはできません。タスマニアタイガー絶滅に先んじること約30年、1905年に私たちは日本列島で固有に進化したオオカミの亜種、ニホンオオカミを絶滅に追いやっています。
ニホンオオカミ(Canis lupus hodophilax ,Japanese wolf)は本州以南の全土にかつて生息していたイヌ科の哺乳類で、17万年ほど前に、タイリクオオカミから分岐して進化した島嶼型亜種とされます。
体長1メートル前後、肩高55cm、体重15kgほど、タイリクオオカミよりもひとまわり小型でしたが、現存している剥製ほどは小さくはなく、その1.5倍ほどはあったようです。おおよそボーダーコリーと同じくらいでしょうか。
縄文人とともに渡ってきた縄文犬、弥生人と渡ってきた弥生犬などの飼い犬と、時に交雑して野犬化したり、日本犬の起源となったりもしたともされますが、詳細はわかっていません。
日本に生息する小型から大型の野生の草食動物を積極的に捕食し、生態系の頂点に立つ明確なアンブレラ種でした。牧畜がほとんど行われなかった日本では、ヨーロッパのようにオオカミが家畜を襲う悪者として明確に認識されることはありませんでしたが、人が襲われることもあるために、恐れられてはいました。江戸時代の元禄年間から宝永年間(17世紀末~18世紀初頭)には、弘前藩や南部藩の領内の村落で、記録に残るだけで89人の村人(多くは子供)が襲われて殺されたようで、現在のクマよりも多い被害が見られました。人々は「狼祭(おいのまつり)」を行って祟りなすオオカミを何とかなだめようと腐心しました。
江戸時代、下総には幕府直轄の牧(馬の放牧地)が広がり、東北の伊達藩や南部藩、会津藩などは「御買馬」用の牧を経営していました。これらの放牧地の野馬を、江戸時代中期の享保年間ごろから盛んにオオカミが襲い、大きな被害を受けるようになりました。各藩は献上馬が被害を受けると、大規模なオオカミ狩りを行うようになります。巣穴を煙でいぶったり、毒殺などの方法を用い、また報奨金を設けて、藩が遺体を買い取ることで駆除を徹底しました。「狼取」という専門業者も登場します。
これに同期するように、オオカミの頭骨や牙などを用いた狐憑き祓いなどの加持祈祷が流行し、また骨を煎じて飲むと、しょう紅熱の治療に効果があるとして、盛んにオオカミが狩猟されるようになりました。
江戸時代が終わり、日本が開国してもオオカミの駆除は続きました。北海道では、開拓使たちが、馬を襲うエゾオオカミ (Canis lupus hattai) を硝酸ストリキニーネによる毒殺で徹底駆除し、ニホンオオカミに先立ち1896年にはほぼ絶滅してしまいます。
明治になり欧米の酪農文化が導入され、各地に羊や乳牛の牧場ができると、オオカミは家畜を脅かす害獣として一層の駆除圧がかかりました。こうして1905年、奈良県の東吉野村で捕殺された雄の個体を最後に、正式な記録上のニホンオオカミ生存の証拠は途絶え、この頃絶滅したと考えられています。

タイリクオオカミ。ニホンオオカミもその亜種と考えられ、生きていたらこんな姿だったのかも


「オオカミ信仰」の虚実。悲劇を繰り返さないために

それにしても、「古くから日本人はオオカミすなわち大神を神としてあがめてきた」という言説を多く目にします。定説にすらなっているでしょう。もしそうなら、なぜそれほど厚く信仰する生き物を絶滅に追いやったのでしょうか。
オオカミ信仰の根拠としてよく挙げられるのは『日本書紀』にある日本武尊を助けた大口真神で、以来日本人は農業に被害をもたらすシカやイノシシ、サルなどを追い払ってくれるオオカミを神として信仰していたというのです。
けれどもシカは言うまでもなく春日大社の神鹿が知られるとおり、春日神の眷属ですし、サルもまた山王神社で日吉神の眷属となっています。イノシシは、神社では目立ちませんが仏教寺院では天部の騎乗する眷属となっています。蚕が飼われていた地域ではネコが守り神として信仰されていますし、オオカミだけが特別なわけではまったくありません。
たとえば京都の賀茂神社の眷属が八咫烏(やたがらす)だからと言って、「カラスが神としてあがめられてきた」と単純には言えません。カラスを嫌い、駆除する人は昔も今も多くいます。
オオカミはカラスと同様、むしろはるかに恐れられ、嫌われていた動物だったというのが事実でしょう。
上述したように近世から近代にかけてのオオカミの絶滅時期は、オオカミの札や遺骨を加持祈祷に使用するまじないが大流行した時期でした。現在、「オオカミ信仰」と言うと、その名が挙がる埼玉県秩父の三峯神社は、江戸後期に加持祈祷で信仰圏を拡大したものです。天台宗系の本山派に属し、聖護院の配下にあった三峯山観音院(現在の三峯神社)は、聖護院から遣わされる修験者の配る火除け・害獣除けの加持札などを配布していたのが三峯信仰の広がりの起源です。
江戸末期には、すでに純血のオオカミは激減しており、代わりに野犬が多く繁殖していました。人々が抱くのは観念上のオオカミ像であり、現実のオオカミを信仰対象にしてたわけではなかった、とも言えます。
とはいえ、真正なオオカミ信仰が日本にはまったくなかった、というわけではありません。
火伏の神として知られ、全国に分社のある秋葉神社の総本社になる静岡県浜松市の秋葉山本宮秋葉神社からさらに奥山にある日本総鎮守「山住神社」はまごうことなく「ヤマイヌ(狼)」を眷属とする神社です。クダショウ、キツネなど、あらゆる動物霊の憑き物は、その名を聞いただけで震えあがり、憑依対象から逃げ出すと伝えられています。創建は和銅二(709)年、この地域一帯にあった土着の山犬信仰の神社なのです。このオオカミ信仰については、あらためて詳しく取り上げることにいたします。

オオカミ信仰はロマンチックにとらえられがちですが複雑な側面があります

現在地球上には約211万種の生物種が知られていますが、このうち13万近い種が国際自然保護連合(IUCN)により絶滅危機種とされています。特に、哺乳類の20%、鳥類の13%、両生類にいたっては33%もの種が絶滅の危機に瀕しているとされています。この傾向は、人類の機械文明化が進み、資源開発や環境破壊が引き起こされるようになってから続いているものです。私たちは、タスマニアタイガー、ニホンオオカミの悲劇から学び、同じ末路をたどる生物が出ないよう、共存の道を模索するべきではないでしょうか。

(参考・参照)
東北の山岳信仰 岩崎敏夫 岩崎美術社
憑物呪法全書 豊嶋泰國 原書房
秩父地域における三峰信仰の展開 三木一彦 地理学評論1996
絶滅の危機に瀕している世界の野生生物のリスト「レッドリスト」について |WWFジャパン
Tasmanian Tiger Sighting 2009

深山の奥の奥にたたずむ山住神社。「ヤマイヌ」とも呼ばれたオオカミ信仰の聖地です

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