石川県の古民家で発見された1938(昭和13)年発売当初と思われる日本初の合成接着剤「セメダインC」が、発見者から都内のセメダイン本社に寄贈された。その現場に立ち会い、80年以上の年月を経た実物を確かめながら、3年後に創業100周年を迎える同社スタッフに発見の意義を聞いた。
まずは、経緯をおさらいしよう。ぴんぽいんとさん(@pinpoint_m)こと佐藤正樹さんが「セメダインC」の80年以上前と思われる実物と、「新發賣」と旧字体で記された説明書の画像を貼って8月末にツイート。セメダイン公式(@cemedinecoltd)から「弊社にも史料が残っていない発売当初(1938年頃)のものだと思われます」とレスポンスがあり、佐藤さんが持参した。
佐藤さんは東京在住だが、取り壊し寸前だった石川県の能登半島、志賀町赤崎にある古民家を別荘として購入。仏壇脇の収納を片付けていた際、蚊取り線香の箱の中に説明書と一緒に入っていたセメダイン「C」を発見した。1回ほど使った形跡があり、貴重な物だと直感したという。
価格は「¥.30(30銭)¥.50(50銭)」。同社の広報担当者は「発売当初の価格なので、1938年、戦前の『C号』になります。ちなみに昭和15年で、おそば一杯が15銭程度だったそうです」と説明。では、この「C号」とは何なのだろうか?
物には順序がある。「C」の前には「A」と「B」があったのだ。同社は1923(大正12)年、富山県出身の今村善次郎氏によって東京で創業され、27(昭和2)年発売の「桜のり」に続き、化学処理したニカワをチューブ詰めにした「セメダインA」、さらに改良した「セメダインB」を発売。いずれも水に弱く、その弱点を克服したのが38年発売の「セメダインC」だった。
広報担当者は「Cの現物では資料として残る一番古い写真が63年でしたので、38年版が出てきたことはすごいです。まさに『最初の最初の現物』。後世に語り継がれる資料となります」と歓迎する。
当時の新聞広告を見ると、社名は「今村化学研究所」で商品名「セメダイン」の後に「A号、B号、C号」と記載されていた。つまり戦前は3種同時に発売されたが、AとBは歴史の波間に消えた。同社では「C号以上にB号が謎に包まれていて、何者か分からない。原料が自然由来とされるAとBは淘汰されて生き残れなかったのでは」と推測する。
そんな「接着剤史」に思いを馳せつつ、現物を手にした。黄地に黒のタイガーカラー。黒地に映える赤文字で「CEMEDINE」。現在はカタカナ表記なので、戦前の方が視覚的にトンガった印象がある。チューブ中央は縦に細長く凹み、使用感がある。触るとカチカチに硬い。中身は「化石」となっている。鼻を近づけたが、無臭だった。先端のネジ式の部分は「ヒートン」と呼ばれる、金属製で先が小さい輪になっていて、これで開閉ができる。そこには時代の古さを感じた。
数々の商品を開発し、「接着剤博士」の異名を持つ社歴52年目の大ベテラン、同社技術部の木村修司氏にうかがった。
木村氏は「私は昭和44(1969)年入社で、今の社内では創業者の姿を見た最後の社員になります。今村善次郎さんは富山県の高岡から上京し、9月1日の関東大震災に遭った東京の地で同年11月に創業した。よほどの精神力がないとできないと思います。高岡のご本家や埼玉におられる家族の方たちは、私がお伝えする前に、ネットニュースで今回の発見を知って感謝されていました。100周年を前に、創業者の故郷の隣県である石川で発見されたことにも運命を感じました」と語り、C号を凝視しながら「よくも破れずに…」と感慨に浸った。
セメダインCの普及には、戦前の国策となった模型飛行機作りが背景にある。木村氏は「文部省も模型飛行機作りを推奨し、授業に入れられ、組み立てる際に使われて知名度も上がりました」と解説。説明書について「昭和13年にこれだけキチっとした物が作れるとは、なかなかですね」と絶賛する。説明書には「廃物を再び世に出すセメダインC號」のフレーズ。物が壊れたら修復して再利用する「物資節約」の時代にマッチした。
その「捨てない精神」から生まれたのが今回の発見だった。
佐藤さんは「物を簡単に捨てないで、古い物であればメーカーにお譲りしたら役に立つ可能性があるのではないかという、そういう活動が活発になっていけばという思いから寄贈させていただきました」と語る。木村氏は「一度お使いになったものであるところに、何とも言えない人間的なものを感じます。歴史的価値がありますね」と実感を込めた。同社の100年史には今回発掘された「歴史遺産」がしっかり刻み込まれることだろう。