3カ月に渡って続いている香港での街頭デモに対する中国政府の対応を見て、長期的な視点で中国株への投資に対して慎重になった投資家は多かっただろう。中国の中央政府は香港への対応を通じて、少なくとも中国本土の民主化はあり得ないというメッセージを世界に送り続けている。これは中国が「世界の工場」の地位を失ったとたんに、世界経済の中での役割を失う可能性を示す。香港は金融センターとして長らく機能してきたが、それも次第に縮小していくことになりかねない。
香港の林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は、中国本土への容疑者引渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案の正式撤回を発表した。だがデモによる要求はすでに、ここにはとどまらなくなっている。条例案の撤回に加えて▽警察への責任追及と外部調査▽「暴動」認定の撤回▽デモ参加者の無条件の釈放▽民主的選挙−−を求めており、5大要求と呼ばれる。香港のデモは条例への反対運動ではなく、もはや民主化を求める運動といえる。
意外に思うかもしれないが、民主的であることは経済成長にとって、特に世界経済をけん引する存在になるには重要なことだ。人種や民族、思想信条を超えて「1人1票」という形で同じ権利を持つ民主的な社会構造は、イノベーションを生み出す力になるからだ。簡単にいうと、こういうことだ。大勢の人とは少し違う物の見方をする「ちょっと変わった人」でないと、新しいことは思いつけない。変わった人がすべて新しいことを生み出すとは限らないが、多様性を維持できればできるほど新しいことは生まれやすくなるというわけだ。
こうした人材獲得競争に最も敏感なのは、すでに経済の先端を走っていて、新たな市場を開拓し続けなければならない欧米の大企業だ。彼らは従業員の賃金が高いため、誰かの真似をするビジネスでは、安い労働力を抱える新興国の企業に価格競争で太刀打ちできない。したがってイノベーションこそが収益の源泉と考えている。そのためには、それを可能にする人材が必要というわけだ。すると開発の現場では、たとえば服装や髪型が多少変わった程度の人なら何の問題もなく許容する企業風土が醸成されるという理屈だ。
欧米の企業が日本の自治体などに、LGBTと呼ばれる性的少数者への対応を求めるのも、こうした背景がある。要するに彼らは「誰もが尊重される」という形で多様な人を受け入れることで、ごくわずかな才能でもイノベーションにつなげたいと考えているわけだ。しかし中国の対応は、この真逆の方向性だ。中国共産党には疑問を持ってはいけない社会。それは、きわめてイノベーションを生み出しにくい社会といえる。言論の自由がない社会には、論文を発表する自由もないわけだから、優秀な頭脳ほど国外流出するだろう。
その萌芽とも取れるできごとを、米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)が日本時間8日の記事で取り上げていた。記事によると1997年の香港返還の際、約300万人が英国人から中国人になったが、英国のパスポートを保有する権利が維持された。ただ彼らはビザなしで英国に入国できるが、英国で生活したり働いたりする権利は自動的に付与されるわけではなかった。それがここにきて、完全な英国籍を求める香港の人が英領事館の前に集まっているという。これは中国から英国への、一種の人材流出といえまいか。
中国の共産党幹部が隠し口座を保つために香港は金融センターの地位を手放さない、というウワサもあるにはあるが、自由がなくなるのなら金融機関のシンガポールへのシフトは一層進むだろう。14億人という世界一の人口を武器に、工業製品に形を変えた安価な労働力を輸出することで世界第2位の経済規模を獲得した中国だが、別にスマートフォンを発明したわけでもなければ自動車を発明したわけでもない。賃金上昇に伴って世界の工場でなくなった後には、何が残るのだろうか。
そう考えると、中国経済の牙(きば)を抜くために中国への工場立地を批判し続けている、あの国の大統領の戦略は的を射ているのかもしれない。そういえばあの国は、スマートフォンも自動車も事実上、彼らが「2度目の発明」をすることによって普及した。同時に、変わり者を受け入れることで最も成功した国といってもよいだろう。それは現在でも、世界の株式市場の時価総額のうち、約半分を占める原動力になっている。