関西の都市部で自営業を営むAさんは、学生時代に田舎から出てきて以来都会で暮らしていました。父親のBさんは農家をしており、後を継がなかった長男であるAさんに対していい感情を持っていません。Aさんの弟たちは田舎に残っていたものの、ひとり都会に出たAさんに対して彼らも憎しみを抱えていました。
そんなある日、Bさんが体調を崩し入院します。それまで大きな病気もせず仕事に励んでいたBさんでしたが、入院がショックだったのか日に日に老け込んでいくのでした。Aさん以外の子どもたちは定期的にお見舞いに来て、献身的に世話をします。一方で仕事が忙しいという理由で、Aさんは姿を見せませんでした。
しばらくしてBさんが亡くなり、親族が集められます。Aさんも流石にその集まりには同席し、話し合いに参加しました。その席でBさんが残した遺言書の話になります。正式な手続きを経て公開された遺言書には、Bさんが残した財産を子どもたちに遺すというものでした。
てっきり自分には財産は遺されないだろうと思っていたAさんでしたが、少しでも財産を遺そうとしてくれたBさんに感謝の気持ちを抱きます。ただ遺言書の中身はそれでは終わりませんでした。遺言者から相続人へ残したい言葉が付言事項として書かれており、BさんからAさんへの言葉も書かれていたのです。
そこには「Aは子どもの風上にも置けない。おまえがこの世に生を受けたのが私の人生の最大の過ちだった。卑しいAに私の財産を渡すことは解せぬし、断腸の思いだ。遺留分相当の財産は渡すので、財産を得たらとっとと失せろ」と書かれていました。
決して仲がよかったとはいえないとはいえ、自分への最後の言葉がこれかと思うとAさんは怒り心頭で、「こんな遺言書は無効だ!」と言って訴えを起こそうとします。Aさんが訴えを起こすとどうなるのでしょうか、北摂パートナーズ行政書士事務所の松尾武将さんに聞きました。
ー遺言書の無効を申し立てるにはどのような手続きになるのでしょうか
遺言書の無効を主張するには「当事者間での話し合い」「家庭裁判所での遺言無効確認調停」「地方裁判所での遺言無効確認請求訴訟」という段階を踏みます。Aさんのケースだと、当事者間の話し合いでは決着はつかないと思われるので、調停に進むことになるでしょう。
ーAさんの訴えは認められるのでしょうか
今回のケースでAさんは、遺産分割については異論がなく、付言事項の罵詈雑言部分のみを問題視しています。そのため、遺言書の本文である遺産分割の内容に問題がない限り、付言事項の内容だけで遺言書全体の無効を主張するのは無理があります。
ただ、「こんな内容の遺言を父親が遺すはずはない。父親にはその当時遺言能力が欠如しており、誰かが書かせたに違いない」という主張のもと遺言無効確認請求訴訟を提起した場合には認容の余地があるかもしれません。
遺言書の付言事項は、遺言者の思いや遺産分割内容の理由を記す部分であり、法的拘束力はありません。しかし、不穏当な記載に憤慨した相続人により「遺言無効確認請求訴訟」を提起されることがあり、この場合には解決に相当の時間を要することとなります。
私も以前、相続人を感情的に煽る内容の付言事項が記された遺言書の作成支援と保管を求められたことがありましたが、理由を述べたところ受け入れられず委任がとりやめとなった経験があります。
結果的に相続人間の感情的な対立に至ることが予想されるため、スムーズな遺言内容の実現を目指すには付言事項の内容にも注意を払う必要があると考えます。
◆松尾武将(まつお・たけまさ)/行政書士 大阪府茨木市にて開業。前職の信託銀行員時代に1,000件以上の遺言・相続手続きを担当し、3,000件以上の相談に携わる。2022年に北摂パートナーズ事務所を開所し、相続手続き、遺言支援、ペットの相続問題に携わるとともに、同じ道を目指す行政書士の指導にも尽力している。