「ドーハの悲劇」からカタールW杯へ 当時の主将・柱谷哲二さん「あの試合があったから、日本は強くなった」

京都新聞社 京都新聞社

 20日開幕のサッカーワールドカップ(W杯)が開催されるカタールは、日本にとって因縁の地だ。1993年10月、同国の首都で行われたW杯アジア最終予選のイラク戦。終了間際に追いつかれ、W杯初出場の夢がついえた。「ドーハの悲劇」として刻まれる試合で主将を務めたのが、柱谷哲二(58)=京都商高-国士舘大出=だった。

 センターバックで激しく体を張った闘将は「忘れられないし、忘れてほしくない。若い人にも、歴史を知ってほしい」と語る。

 日本代表の現監督である森保一(54)は、当時のチームメート。宿舎で同部屋だった。「物静かだけど芯が通っていて、勉強家。昔も今も全然変わらない」と振り返る。中盤で堅実にプレーする森保を信頼していた。

 海外クラブに所属する日本代表は皆無だった時代。国内合宿を数多くこなし、一体感を高めた。柱谷は「勝つために先輩後輩の関係は必要ない。フラットに意見を言い合える関係づくりを心がけた」と、チームの潤滑油になった。小学生から各年代で主将を担ってきた生粋のリーダー。協会にも要望を伝え、トレーナーの増員や食事の改善を実現させた。

 イラク戦で失点した直後のことを、柱谷はよく覚えていない。部屋に戻った後、森保がベッドに倒れ込み、うつぶせになって泣き始めた。しばらくしてベランダの方へふらふらと歩いていく。「森保、どうした」「暑いので外に出ます」「いや、外の方が暑いぞ」。そんなやりとりがあったという。心の傷は深かった。それでも「あの試合があったからこそ、日本は強くなった。誰かが経験しないといけないことが、たまたまわれわれだった」と思うようになった。

 再びカタールで大勝負を迎える森保に、柱谷は「不思議な縁と思うが、今回は予選ではなく本大会。ベスト8という目標を掲げている以上、達成できなければ成功とはいえない。いい仕事をしてほしい」と応援する。主将は、柱谷と同じくセンターバックの吉田麻也。「キャプテンシーを評価している。自分で考えたことをやり切って」と激励した。=敬称略

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 はしらたに・てつじ 京都市右京区出身。京都商高-国士舘大出。日産自動車、ヴェルディ川崎でプレー。日本代表は国際Aマッチ通算72試合6得点。引退後は東京Vや水戸などで監督を務め、現在は花巻東高のテクニカルアドバイザー。

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