大企業を辞めてNYで起業→出産してみたら「子どもを安心して預けられない!」…実体験から生まれた「ママの罪悪感」を減らす“新事業”

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ニューヨークで幼児教育のスタートアップを自ら立ち上げ、経営にたずさわる中澤英子さん。育児と経営を両立する起業家として、最近は日本でも活動を広げられています。もともとは大手企業の会社員だった中澤さんですが、留学したスタンフォード大学大学院での学びや、自身の出産の経験が、現在のキャリアに活きているといいます。起業を選択した経緯や、今後成し遂げたいことなどについて聞きました。 

20代で韓国に赴任し組織を任される

―まずはこれまでのご経歴について教えてください

香港とシンガポールで育ち、慶応義塾大学の法学部を卒業してソニーに入社しました。ソニーでは営業や海外事業展開、韓国赴任を経験し、社内留学制度をつかってスタンフォード大学で経営学修士を取得。その後、2011年にはソニーアメリカに赴任し、グローバルブランディングとデジタルマーケティングを担当、2014年12月に退職しました。

退職後、2015年にダイニングアプリの会社をコロンビア大学のインキュベーターで起業し、2017年には働く親を支援する会社「Dearest」を起業しました。2021年にはニューヨークから東京に住居を移し、リモートでDearestを共同経営しつつ、教育×Fintechを事業テーマとする株式会社ikuraを共同創業しています。その他、Innovation Global Capitalでベンチャーパートナー、サステナビリティー革命を牽引する株式会社TBMの社外取締役も務めています。

―様々なご経験を積まれているのですね。ファーストキャリアでソニーを選ばれたのはどのようなきっかけからだったのでしょうか

幼少期から海外で長く生活をしており、ソニーの製品を様々な国で目にすることがあったのですが、日本人の一人として誇らしく思ったことが何度もありました。そのような日本で生まれた企業の製品を世界に広めていくような仕事がしたいと思い、ソニーへ入社しました。

―そしてソニーでは社内留学制度を使ってスタンフォード大学で経営学修士も取得されたのですね。留学をしようと思われたのはなぜでしょうか

20代の頃に、ソニー韓国に赴任し一つの部門の責任者としてターンアラウンドや経営にチャレンジする機会をいただきました。言語はもちろんですが文化も異なりますし、何より経営のノウハウも身に付けなければいけません。周囲の支えやご指導のもと、とにかく必死で学び、失敗も重ねながらなんとか結果を残すことができたのですが、この経験から、もっと経営について体系的に学びたいと思うようになりました。また、当時のソニーは様々な経営課題を抱えており、それを解決して会社の成長に少しでも貢献したいという想いから、テック・イノベーションに関する最先端の理論を学べる場所に留学しようと考えました。

―ターンアラウンドや経営を20代で経験するというのは相当大きなチャレンジだったのではないでしょうか

赴任当時は、ソニー韓国のマネージメントの中では私が最年少でした。責任の大きい仕事だったので、失敗するんじゃないかと怖さでいっぱいでした。ただ、当時の上司から「あなたが失敗したくらいで会社は潰れない」と言われ、そこで少し気が楽になりましたね(笑)。

また、営業をするにしてもスタッフとコミュニケーションをとるにしても、韓国語を習得しなければいけないということに、赴任してから気付いたんです(笑)。英語ベースのオフィスとは聞いていましたが、実際にビジネスをするとなれば韓国語。よく考えたら当たり前のことですが、必死に言語を学び、少しずつ周囲と信頼関係を築いていきました。

―最初はとても大変だったのですね。希望されてこのような経験を選択されたのですか

ソニー韓国に赴任する前に、海外進出を担当する部署に在籍していました。インドネシアの担当をしていた時、現地に行って人を採用し、現地政府からのライセンスを取得し、販売チャネルを探すといった一連の業務を経験する中で、もっと現地に長く滞在し事業を広めていくような仕事がしたいと思いました。

そこで、「ポジションが空いている国があれば、ぜひ行かせてください!」と上司に希望を伝えたところ、韓国に行くことになりました。

―偶然、韓国に行くことになったんですね

はい。ただ、韓国は儒教の国です。当時は女性がマネジメントをするということに慣れておらず、周囲からは心配の声もありましたが、送り出す側の上司も受け入れる側の上司も、あまりそのようなことは気にしない人でした。もし、過保護にされ過ぎてしまっていたら、こんなチャンスに巡り合うことはできなかったかもしれません。

―ただ、女性という立場だからこそ苦労されたこともあったのではないでしょうか

最初は全員が男性で、アドミだけが女性というチーム。社内共通言語が英語と決まっていて他の上司には英語なのに、私には英語を一切話さない人もいました。今となっては、韓国語を学ぶ上で良い環境だったのだと思いますが、当時はショックを受けて悩むこともありました。

ただ、あまり考えすぎても仕方がないので、メンバーにもどんどん質問をしたり、下手な韓国語でも思い切って話かけにいったりとアクションを起こした結果、徐々に仲間が増えて仕事をしやすくなりました。「年下の女性」という固定観念に囚われたロールにはまりすぎず、自分らしさを出したことでうまくいったのだと思います。

―ソニー韓国の経験と、当時の経営課題から留学へ進まれるかと思いますが、その経営課題とは具体的にどのようなものだったのでしょう

全社的に業績が低迷していた時期であらゆるところでリストラクチャリングが起きていたことと、イノベーションが出てこないという閉塞感が社内全体に広がっていました。 

固定観念や価値観を見直すきっかけとなったスタンフォード留学

―そしてテック・イノベーションを学ぶためにスタンフォード大学に進まれたのですね

スタンフォード大学はシリコンバレーに位置しているだけでなく、エコシステムの中心でもあります。アメリカの中では「テック企業と言えばスタンフォード大学」という認識もありますし、GoogleやFacebookの本社もあるような環境です。ここで学ぶことが一番良いと考えました。

―社内留学制度で大学院に通ったことで、自身の考えやキャリアにどんな変化があったように感じますか

会社から頂いたチャンスですので、とにかく最大限に生かすべく、経営理論からリーダーシップ、イノベーション、スタートアップのプロジェクトなど様々なことに取り組みました。

留学先では課題だと感じていることを解決するプロダクトを生み出し、それをゼロから1、そして100から億へとものすごいスピードで成長させていく人が周りにいて衝撃を受けました。講義でも、あまり夢のない事業提案をすると「そんなことをするためにスタンフォードに来たのか」と呆れられるなど、自分の固定観念や価値観を見直すことができた貴重な経験になりました。

学校のスローガンに「Change Lives, Change Organizations, Change the World」というものがあり、それを体現する人々に囲まれて学びを深めた結果、世界を変えるような事業をいずれは生み出してみたいという気持ちが強くなっていきました。

留学後はニューヨークに拠点を置くソニーアメリカに赴任となりますが、以前よりもソニーグループ全体の経営に関わるような仕事に従事できるようなりました。グローバルな経営層と共通言語で話をすることができるようになり、スタンフォードでの学びを活かして会社に貢献していると実感できました。

―大学院で学ぶ経営やマネジメントと、ソニー韓国で経験した経営やマネジメントには何か違いは感じましたか

フレームワークやケーススタディを使って、ある経営課題をどんな風に解決していくのかをみんなで議論するような科目が多く、自分が経験してきたことがどういったものだったのか、感覚的な理解から体系的な知識として身に着いていきました。

逆に言うと、実際のマネジメント経験なくして授業を受けたとしても深い学びを得ることは出来なかったように思います。 

ゼロから1を生みだしたい!起業を決断

―そしてその後、ソニーを退職されて起業することになったのですね

ニューヨークに赴任して3年が経つ頃、どうしても起業したいという気持ちが消えず、友人と一緒にダイニングアプリの企業案を創り、コロンビア大学のスタートアップのインキュベータに提出しました。そして、その案が選ばれたときに会社を辞めて起業することを決断しました。その時に「がんばってこい!」と送り出してくださったソニーの上司や同僚には今でも感謝しています。

アメリカで起業したのは、起業をサポートする大学のインキュベータがニューヨークにあったことに加え、共同創業者と私の大学院のネットワークが米国にあったこと、市場規模が大きいこと、女性起業家の成功事例がいくつかあったことなどがありました。

―ソニーでも経営に近い仕事をされていたそうですが、起業を選択されたのですね

ゼロから1をつくるというのと、巨大な企業の一人として働くこととは全く別のものです。顕在化していないバリアや社会課題を解決するために会社をつくるというのは、会社員として働くことと異なるスキルセットが必要ですし、仕事の進め方も違います。そうした経験を一度は積んでみたいという気持ちがスタンフォード在学中からありました。

ソニーでの仕事も忙しかったこともあり、起業するとなると辞めるしかないという判断もありました。

―全く迷いはなかったのでしょうか

最後までとても迷いました(笑)。ただ、コロンビア大学のスタートアップラボというところでリソースをサポートしてくれるということが心強いと思ったのと、サポートの条件も本業がスタートアップということでしたので、背中を押してくれたように思います。

―そしてアメリカでの起業理由の一つに女性起業家の成功事例があったということですが、女性が起業することへのハードルを感じられていたのでしょうか

そうですね。テックスタートアップをつくるとなると、ファンディングが必要になることは分かっていました。それも億単位での資金を調達しなければなりません。

ジェンダーギャップの観点から日本に比べて進んでいると言われる米国においても、まだ是正の余地が大きいと感じています。例えば3割以上スタートアップが女性により創られているものの、女性のファウンダーにいくベンチャーキャピタル(VC)マネーの割合は全体のわずか2%です。

背景には様々な理由がありますが、一つには投資家の男性率や白人率が高いことがあり、女性がやりたいビジネスへの共感がなかなか生まれず、お金が回ってこないということがあります。

そうした実態がデータとして出てきていたので、女性の起業が簡単ではないと思っていましたが、それでも成功事例が出てきたときだったのでアメリカでの起業を選択しました。この人たちができるなら、自分でもできるのではないかと思ったということです。

失敗した1社目の学びを最大限に生かしたDearest

―1社目でテックスタートアップを立上げられた後、2社目として「Dearest」を起業されました。これはどんな理由があったのでしょう

1社目は当初思い浮かべていたテックスタートアップとしての成功には至りませんでした。失敗の経験にはたくさんの学びがありました。特に大きな気づきは「なぜ、あえて起業という手段を通じてその事業に取り組みたいのか」といった問いへの向き合い方です。起業は本当に時間と労力がかかる上に、成功率は低いものです。だからこそ、「なぜ」の部分がしっかりしていることが重要だと再認識しました。

そうした中、1社目を起業した後に出産を経験します。すぐに会社に復帰したいと思い保育サービスを調べていましたが、なかなか安心して子どもを預けられるような質の高いサービスが見つからず、愕然としました。

友人からも安心して子どもを預けられないことが理由で離職する親が絶えないと聞き、この状況を変えたいと強く思いました。親が罪悪感を覚えずに、自由にキャリアを積むことができるサポートシステムを創りたいというミッションの下、生まれたのが幼児教育のスタートアップ「Dearest」でした。

―「なぜ、あえて起業という手段を通じてその事業に取り組みたいのか」といった問いへの向き合い方が大きな気づきというのは印象的です

起業するということは、本当にたくさんの失敗を乗り越えなければいけませんし、毎日、そのビジネスに向き合い続けなければなりません。だからこそ、「何で起業したのか」という理由が自分の中で腑に落ちていなければ、続けることは絶対にできないと思っています。

私の場合は「ゼロから1を生み出したい」、「起業してみたい!」という気持ちから起業家の道を選んだところがありますが、ソニーというバックボーンを失ったときに、そうした気持ちだけでは足りないと気づいたんです。

人によって関心を持つ課題もアプローチも違いますが、どんな分野であれ、「何かをもっと良くしたい、変えたい」という気持ちが大切だと思います。私の場合には「Dearest」を通じて「働き続けたいのにソリューションがない。今まで頑張ってきたのは何だったの?」と思っている人の助けになりたいという想いを持っています。この想いは困難を乗り越えるときの活力やエンジンとなるものです。

ミッションとも言い換えることができると思いますが、強いミッションを持っている経営者の方がコロナ禍のような厳しい環境になっても何とか事業を継続し、今では元に戻りつつあるという話もよく聞きます。

―「Dearest」は軌道に乗り、現在もミッション実現に向けビジネスを展開されています。1社目との違いはどこにあるのでしょう 

失敗からたくさんの学びがあったとお話しましたが、例えば資金調達はビジネスのアイディアの段階でVCの人に見てもらい、ダメ出しをもらいながらスケールアップが実現できるビジネスを構想していったことがあります。

また、各ドメインの専門家に参加してもらったということもあります。例えば教育の専門家や、テックの専門家など、プロ集団としてビジネスを実行していきました。

あくまで一例ですが、こうした気づきを反映したのが「Dearest」で、その分、スケールアップしやすくなったり、お金が調達しやすくなったりといった結果に結び付いています。

―ドメインごとの専門家はどのように見つけられたのでしょう

最初のパートナーはスタンフォード卒業生の繋がりです。彼女は卒業後、教員としての経験を積み、その現場経験を活かして米国の教育省で政策立案に従事し、現在も教育政策について大学院で教鞭を取るスペシャリストです。彼女とパートナシップを築いたことで、次第にビジョンに共感する人が集まってきました。そう考えると最初のパートナーがキーになったと思います。

ちなみにそのパートナーは友人の紹介で出会いました。同じ問題意識を持っている人がいるというのでカフェで会い、二人で1日中お互いの想いを話し、一緒にやろうとなりました。そうしたネットワークを大事にするというのも大切なことです。

―それにしても、働き続けたいのにそれが実現できないという問題意識は多くの方が持っていたように思います。類似のサービスもあったのではないかと思いますが、なぜ「Dearest」はうまく成長に結びつけることができたのでしょう

理由の一つとして、私たちが「質」を重視したということがあります。なぜ質を大事にしたのかというと、子どもは生まれて5年間で脳の8割が形成されるというデータがあるからです。この5年間での体験が、大人になった時の思考や判断に影響するのでいかに良質な体験を積むことができるかは非常に重要だと考えています。

そのため、幼児教育の最先端とは何かということを突き詰めていき、子どものエクスペリエンスを重視してサービスをデザインしていきました。また「親の罪悪感(Parent Guilt)」、特に「ママの罪悪感(Mother’s Guilt)」にフォーカスしました。

幼い子どもを他人に預けることに対して、親は罪悪感を持つ傾向があります。その罪悪感を少しでも減らすには、自分だけでは教えられない、やってあげられないことを第三者が提供できるようにする必要があると考えました。

例えばスペイン語が習得できる、楽器やSTEM(Science, Technology, Engineering and Mathematics)のプロジェクトが楽しめるとか、そういったことです。こうしたことを提供できるようになれば、子どもにとって良いエクスペリエンスに繋がると考えましたし、親の罪悪感を軽減することにも繋がると考えました。そのために、当初から幼児教育の専門性を持っている人に仲間になってもらったということもあります。

―「Dearest」起業時は出産直後と聞いています。大変な中での起業だったと思いますが、ここまで急いだのは何か理由があってのことなのでしょうか

起業する上でスピードは非常に重要です。今やらなければ、誰かがやってしまうかもしれません。また、自分で計画するタイムラインより実際はもっと時間がかかってしまうものなので、起業家というのは焦っている人が多いものです。

また、夫も半分以上の家事をやってくれているので、そうしたサポートもあって起業をしようという気持ちが生まれたと思っています。 

日本も、アメリカも、もっと明るい未来を創るために

―最後に、中澤さんが今後、起業家として成し遂げられたいことを教えてください

大学院の授業の一つに「自分のお葬式をイメージしなさい」という課題がありました。他界して人生を振り返るときに考えていること、思っていることを具体的に想像し、自分の人生のコンパスとなる大切なことを描いていくという内容です。

そこで私が分かった最も大切なことは二つありました。一つは「家族・仲間・恩人の幸せに貢献できること」。二つ目は「自分の仕事を通じて世の中に存在する問題を解決して、より良い未来を残すこと」です。最後に人生を振り返った時に、この二つにきちんと向き合い、取り組めていたと思うことができれば、幸せだと思います。起業家、社外取締役、投資家としてもこの二つのことを軸に活動しています。

―現在の中澤さんの問題意識や、実現したい社会像はどのようなものでしょうか

それぞれの地域で様々な課題があると思っています。シンクタンクCenter for Work-Life Policyによると、アメリカの高学歴女性労働者の離職理由の74%が育児です(ちなみに日本の数字は32%で、仕事への不満や行き詰まりなどを理由にした要因による退職の方が圧倒的に多い)。

医療や育児サポートが国からきちんと提供されている日本からは想像しづらいと思うのですが、この数字からも、米国の育児をサポートする基盤が弱いことは明確だと思います。国としてこの課題解決に取り組んでいく必要はもちろんありますが、限界もあります。その分、企業が福利厚生という形で働く親をサポートしたり、スタートアップが技術を活用して古い非効率な市場に革新をもたらす必要があると思っています。その結果、頑張っている人が罪悪感なく自分のキャリアや夢を追える社会が実現できるのではないかと思っています。

日本に関しては、まさにいま、同じ課題意識を持つ仲間と教育に関する会社を創っています。日本に帰国して、「日本の未来は明るくない」といった声をよく耳にします。確かに数字を見れば高齢化社会も進んでいますし、政治と経済の課題も絶えません。

では、もっと明るい未来ある日本にするにはどうすれば良いのかということを考えると、私は教育に行きつくと考えています。子どもたちが失敗を恐れずに色々なことにチャレンジできる環境をつくること、独自性を大事にして自分が生きたい未来を創る力を育てていくことで、新しいアイディアが生まれ、経済が活性化し、閉塞感ある社会から脱却できると思います。 

   ◇    ◇

◆中澤英子(なかざわ・えいこ) 新卒でソニー株式会社に入社。営業、海外マーケティング、海外新規事業の立ち上げなどを経て、スタンフォード大学に留学。経営学修士を取得後、ソニーアメリカで勤務。独立後、ダイニングアプリのスタートアップの立ち上げを経て、ニューヨークで幼児教育のスタートアップ「Dearest」を設立。現在はDearestを共同経営しつつ、教育×Fintechを事業テーマとする株式会社ikuraを共同創業中。その他、Innovation Global Capitalでベンチャーパートナー、サステナビリティー革命を牽引する株式会社TBMの社外取締役も務める。

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