「サーキュラーエコノミー」実現のフロントランナーはいかに生まれたのか? ビジネス立ち上げの軌跡を追う

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「サーキュラーエコノミー(循環経済)を追求する」をビジョンに掲げ、企業や店舗、工場等からの不用品を無料で回収、または買取し、必要な方に最適な形で提供するB to Bプラットフォーム「ReSACO」を運営するトライシクル株式会社。廃プラスチック問題や、SDGsなどへの関心の高まりから環境保護に注目が集まる中で、業界でもユニークな取り組みでにより注目される同社について、代表取締役である福田隆(ふくだ・たかし)さんにお話を伺いました。福田さんのこれまでの経歴や、同社サービス発足の背景、そしてこのビジネスモデルを通じて実現したい社会とは何かについて聞きました。

【サイクラーズグループとReSACOのサービス概要】
金属スクラップや産業廃棄物の処理を主事業とする明治35年(1902年)に創業した東港金属株式会社を中核とする東港金属グループを前身に、ホールディング体制に移行し2020年9月にサイクラーズ株式会社を持株会社として設立。傘下に東港金属株式会社、TML株式会社、トライメタルズ株式会社、トライシクル株式会社の4社を置いています。

ReSACOはトライシクル株式会社のサービスとしてリリース。従来、資源買取や産業廃棄物の処理依頼はメールや電話が中心であった中、Web上にて手続きを完了する他、法人向けのフリマアプリとしての機能をもち、回収品を必要とする企業に販売できる仕組みとなっています。

日本式とアメリカ式。二つの営業の在り方を身に着ける

―新卒ではミネベア株式会社(現ミネベアミツミ株式会社)に入社されたのち、EMCジャパン株式会社(DELL-EMC株式会社)に転職され、その後、家業を継いで東港金属株式会社へと移られ、代表取締役に就任されています。まずはこれまでのご経歴についてお話を聞かせてください

私は1996年3月に大学を卒業しました。そのころはバブルがはじけて就職氷河期に入り始めた頃でした。そうは言っても、まだまだ「大企業に入社することが絶対善」というような価値観が根強い時代で、総合商社や大手金融機関、広告やマスコミといった業界が人気でした。

父親からも総合商社など、大手企業での就職を勧められていましたし、海外で活躍できるというのも何となくかっこよく思っていましたので、特に何かやりたいことがあったわけではなかったのですが、私も同じように総合商社を第一志望に就職活動をしていましたね。

OBやリクルーターに電話をしたり、色々なことをしていましたが、結局、内定を得ることが出来ずにいました。他人に勧められてのことでしたので、振り返ってみると総合商社が何をしているのか理解を深めることも出来ていませんでした。

そんな中、メーカーは事業内容が分かりやすく、目指すこともより良い製品を世の中に届けるとシンプルなものです。次第に興味がメーカーに移っていきました。たまたま、私のラグビー部時代の先輩が在籍している会社があり、話を聞いて少しずつ興味が出てきて、かつグローバルに事業を展開していることから入社することに決めました。それがミネベア株式会社でした。

―ミネベアではどのようなお仕事をされていたのでしょうか

営業として入社しました。B to Bの会社でしたので、お客様にはプロとして接する必要があり、技術的な知見を積むことや、お客様の組織全体を考えての提案をしなければなりませんでしたし、色々な場面で社内調整が必要になるなど、とにかく勉強の日々でした。

また、1年目から仕事を任せる社風でしたので、入社してから早い段階で大手のお客様を任せていただきました。たくさんの挑戦をすることができ、充実した毎日を送っていましたね。

もちろん、お客様からも社内でも色々な人に怒られていました(笑)。「何を言っているのかわからない」とか、会議の議事録のとり方も「ポイントが全く抑えられていない」とか、とにかく怒られながら育ててもらったものです。

また、海外出張の機会もありました。特にタイに行くことが多かったのですが、普段の仕事や環境を離れ、東南アジアの現地工場に赴くなどしていると、自分の視野が広がったように感じました。

4年半ほど在籍し、営業成績も良く、順調に過ごしていました。ただ、営業として特殊なテクニック等が身に着いたわけではなく、お客様との約束事をきちんと実行するということを繰り返していただけでした。

―順調な社会人生活で営業成績も好調だったのに転職されたのですね

日本の会社ではあるので年功序列の考え方が当時はまだまだ根強く、「自分は社会で一体どんな評価を受けることができるのだろう」と思い、実力を試してみたくなったんです。それは恐らく大学の就職活動の時に第一志望の総合商社に落ちたこともあって、その悔しさを解消したいという思いもあってのことだったのだと思います。

そこで、転職活動では全て外資系の会社を受けようと決めました。当時はITバブル崩壊の直前のタイミングで、ITインフラ業界は人を積極的に採用していましたし、受けた会社全てから内定をいただけました。

その中でEMCジャパンは勢いもあり、営業活動も強い会社でしたので、転職を決意しました。

―EMCジャパンに転職をされてみて、どのようにお感じになりましたか

かなりアメリカンな会社だという印象を受けましたね。4半期に1回、成績の悪い社員はクビになるようなこともあり、一人ひとりが張り合っていました。ただ、営業活動が非常にロジカルなことは勉強になりました。日本の会社の場合、競合他社との提案で負けそうになるとすぐ値引きをするといった行動に走りがちだったのですが、対して外資系の会社であるEMCジャパンでは、高額な商品を取り扱っていましたが、安易に値引くということはしていませんでした。

金額の高い商品であれば、どのように付加価値を認識してもらってお客様に買っていただくのかという視点をもっています。そのためには営業活動にも非常に工夫が必要でして、「組織の中での問題とは何か」「その問題解決をすればどんな効果が見えるのか」「意思決定者が誰であり、どのように訴えかければ良いか」ということを何回も問われました。そうしたことが非常に勉強になりましたね。

日系企業であるミネベアと、外資系企業であるEMC両方の経験を積んでいき、1年程経って、そろそろ実家に戻ってこないかという話が出てきました。

―ちなみに自身の市場価値を知りたいと思っての転職とのことでしたが、自分の価値は認識できたのでしょうか

ある程度は評価されるのだということが分かりました。給与水準もミネベア時代とは変わりましたし、面接官も最終面接に近づくにつれてグレードが上がるのですが、部長・事業部長クラスがわざわざ自分と会おうとしてくれているというのは、自分の価値をある程度感じていただいているのだろうと思いましたね。

中間管理職を経験せずに28歳で代表就任へ

―そして家業である東港金属へと転職されたのですね

そうですね。2002年2月のことでした。まずは下積みとして現場作業からスタートし、2カ月くらいすると、ある大口のお客さんを失注してしまったということで、「お前も営業をやってくれ」と言われたんです。

社長の息子なのに営業成績が振るわないというのはかっこ悪いと思ったもので、それは気合を入れてやっていました。当時、世間的にはインターネットが普及していたものの、この業界はまだまだ普及していませんでした。インターネットが普及していないということは、産業廃棄物の会社が他にないか調べようがなく、でも、事業ごみは出続けます。すると、適正な金額・サービスなのか同業他社比較することができないまま、従来取引のあった会社を利用し続けるしかなくなってしまうのです。

何か不満を抱えている会社も多いもののどこかに相談できるわけでもない。そんな中、スーツや会社の制服といったきちんとした身なりで丁寧に営業する人が来れば、一回は話を聞いてみようと思っていただけると考えました。そこでスクーターを1台買って飛び込みでもやってみようかなと思ったんです。

そこから営業先をリストアップして、1週間で50件くらい回ったのですが、最終的に4件の取引に結び付きました。成約率8%、これは他の業界の営業と比べてもかなり高い水準です。意外と営業できるものなのだと思い、一般的には効率の悪いと言われる飛び込み営業ですが、それなら続けてみるかとなったんですよね。

そして少しずつ取引が増えていったときに、社長である父親が急逝しました。後任に誰が就くのかという話になったのですが、誰もなろうと言わず「それなら自分が引き受ける」と社長に就任したのです。ですので、係長や課長といった中間管理職としてのマネジメント経験を1回もしない中で代表取締役になったのです。これは東港金属に移って半年後のことでした。

―中間管理職としての経験も積まずに代表に就任するというのは、大きなプレッシャーもあったのではないでしょうか

代表に就任したのは28歳で、何となく出来るんじゃないかと思っていたんですよね。そうした漠然とした根拠のない自信はあったと思います。また、業界全体として社会的に遅れている部分もありました。例えば顧客に対しての向き合い方や、会社の決済の進め方など、色々なところが今では考えられないような状態でした。

「いまご来社されているのはお客様なんだから、きちんと対応しないとリピートで発注してくれないよ」といった、一般企業の一般的な感覚を伝えるところからでしたので、初めから大層なことをしていったわけではありませんでした。

―ただ、そうした基本的なところからきちんと整えたことで、会社の成長に結びつけることができたんですね

そうですね。今までまともな営業活動などしていなかったところに、アメリカ式と日本式の営業経験をもった人間が突然現れたわけですから、徐々に営業数字も伸びていきました。

―急激な方向転換だったと思うのですが、どのようにして既存の社員の方をまとめられていったのでしょうか

まとめるというか、まずは自分で実践して成果を上げるところを見せることで、そうやってやれば良いのかということを伝えていきました。それに営業成績が向上していけば、その分、ボーナスも出ていましたので、最初の数カ月こそ反発のようなものは感じましたが、しっかり営業をやりたいと思っていた人たちはそのまま付いてきてくれました。

脱炭素時代に注目をより集める。リサイクル業DX化のフロントランナーとして

―そしてトライシクル株式会社の立ち上げに至ったのですね

そうですね。ただ、東港金属の代表に就任してからだいぶ時間が空いてのことで、立ち上げに至るまで、会社の土台をきちんと築くために設備投資などもしていました。リサイクラーとしての技術を積み上げていったり、業務の自動化を進めるなどして、取扱量を増やしていったんです。ビジネスは順調に拡大していき、2003年6月期の売上は10億円でしたが、2006年6月期には43億円まで引き上げることが出来ました。

アメリカ式の営業方法が身に着いていたことに加え、最初に入社した会社がメーカーだったため、日本の製造業のやり方を知っていたこともあり、生産性を向上させることは意識していました。

―設立の背景には何があったのでしょうか

大きくは2つあります。1つは2016年の末から2017年にかけて第三次AIブーム、ディープラーニングについての話題がニュースで取り上げられるようになったことです。一度は勉強しておかなければと思い、AIのプロダクトをつくるという二泊三日のセミナーに参加しました。

そもそもAIを作るには裏側でどのような仕組みが必要なのかということで、ベースとなる数学からやっていきました。久しぶりに微分などをやっていったのですが、こんなときに使うならもっと学生時代に数学の勉強しておけばよかったと思いましたね(笑)。

そしてPythonというプログラミング言語を使って予測モデルをつくるのですが、徐々にAIのロジックというのが分かるようになってきました。この経験を活かしてリサイクル業界のIT化をしたいと思うようになっていったんです。

そして2つ目に「メルカリ」が登場したことです。メルカリは使わなくなったものを誰かに販売・譲渡するというものですから、よく考えるとリサイクル事業のようなものだと思ったんです。だからこそ、本来は私たちのような会社がやるべきだったのですが、それをIT系の新興企業がここまでのサービスにしてしまうのかという驚きがあり、それであればB to B版のメルカリのようなサービスを生み出したいと考えました。

そこで会社のIT化を進めたい、自分たちがプラットフォーマーでありたいと思い、そこでトライシクル株式会社の発足に至りました。

―業界全体をみても、そのような発想をもって動き出すような会社は他にはなかったと思います

そうですね。ほとんどなかったように思います。

私たちは東京・千葉でリサイクル業を営んでいますが、特に東京となると土地代が高く、保有できるリサイクル工場がどうしても小規模になってしまいます。

工場が小さいとリサイクル技術はなかなか高まらず、東京は事業者が多いので仕事はたくさんあるのですが、リサイクラーとしての格がなかなか上がっていかないのです。むしろ地方のリサイクル業者の方がとても大きい土地を持っている他、地方の名門大学を卒業した方がそこに就職することがあります。

東京だと東大出身の人がリサイクル会社に入社するということはほとんどないのですが、北海道だと北海道大学の人が入社するということもあり、そこで技術開発を進めていくのです。

それでは東京にいる私たちの強みとは何かということを考えたとき、それはIT技術を活用できるということだと考えました。リサイクル業界のDX化の推進役になろうと思ったわけです。

―メルカリの事例のように、ともするとSaaS系の企業が取り組みそうな内容に思えたのですが、リサイクル事業だけでなくIT事業も担う会社になろうとシフトチェンジされたということですか

IT化、DX化を進めることで、リサイクラーとしての私たちの強さが確立していきます。ただ、事業ドメインをITに置いたということではなく、一つの武器にするというイメージですね。

―その武器を体現したものがReSACOだと思うのですが、当初からうまくサービスを軌道に乗せることができたのでしょうか

いえ、サービスをローンチした当初から軌道に乗っていたわけではありませんでした。2019年1月にiOSとAndroid版のアプリをローンチしたのですが、2カ月経っても全くユーザー数が増えず、どういうことなんだろうと周りのお客様に聞いてみたんですね。

すると「そりゃあ企業の人はメルカリを使わないでしょ」と言われてしまいました。まだ使えそうだと言っても、1個1個の事業ごみを写真にとって企業がアプリに投稿するなんてしないと言われ、それはそうだと思ったんです。

一般家庭とは違って企業の場合にはオフィスをワンフロア丸ごとであったり、一つの工場を丸ごと移転するわけです。そうした中で家具や機材を一点ずつ売却したり、購入したりするということはないですよね。

また、企業のお財布と個人のお財布は別もので、確かにリサイクル品を購入した方がコストダウンには繋がりますが、そこまで切実という訳でもありません。個人と企業の行動様式がここまで違うわけですから、すぐに事業ピボットして、モノを集める方のサービスに特化していきました。

―事業ピボットをした結果、反響は大きかったのではないですか

そうですね。モノはどんどん集まってきました。そうこうしている内に、コロナ禍になり、在宅ワークへの切り替えからオフィスを縮小したり、飲食店であれば店舗をクローズするという流れになっていきます。すると更にモノが集まるようになってきました。ですが、今度は買う人がなかなか現れなくなってしまったんですよね。

一般的な中古品店やリサイクルショップの場合、そうして仕入れたものは保管場所がなければ廃棄しなければならないのですが、私たちの場合には自社で廃棄処理をしていたので、コスト負担なく不要なものは廃棄出来ましたし、とにかくモノを集めて貯めるだけ貯めることが出来るように新しく土地を買って、国内だけでなく全世界に繋げられるようにしていこうとしました。

―少しずつオフィスへの出社も増えてきましたし、購入する事業者も増えてきたのではないでしょうか

確かに以前より買われるようになったのですが、潮目が大きく変わったのは2020年に当時の菅政権が2050年にカーボンニュートラルを実現すると宣言したことです。

当初はカーボンニュートラルの宣言は私たちの事業とはあまり関係ないんじゃないかと思っていましたが、今となっては「プラスチックのリサイクルはどうすれば良いのか」とか「売れ残ったものを捨ててきたが何とか生かすことが出来ないか」といった相談が非常に増えてきており、環境負荷の低減に向けた取り組みを各社が本気になってやっていることを実感しています。

そうした相談に、「まずは中古品としてのリユースをしましょう」とお話し、それでもダメだったら「リサイクル処理をしましょう」と複合的な提案が出来るようになってきました。

特に大手企業は環境負荷の低減に真剣に取り組まなければ商品・サービスが売れない時代になってきていますので、今は大手企業からの相談が多いですね。

ビジョン実現のためにマーケットを10倍に

―企業ビジョンにも掲げられているサーキュラーエコノミーですが、それを実現しようと考えられたのはいつ頃のことだったのでしょうか

サーキュラーエコノミーという言葉では表現していなかったですが、早い段階で意識するようにしていました。それこそ東日本大震災で多くの廃棄ごみが出たこともありましたが、それ以前から考えていましたね。大量生産、大量消費が続き、その結果、大量の産業廃棄物が生まれ、そして大量に破棄されるという仕組みに疑問をもっていたからです。

また、飽き性なところがあって、ずっと同じ商品・サービスだけを扱い続けたくないと思うところもあり、循環されている色々なものを取り扱いたいとも考えていました。

―ReSACOをローンチして多くの方に利用されるようになりましたが、ビジョンの実現の実感や手応えはありますか

いえ、まだまだ課題は多く残っています。B to Bのリサイクルというのは、今はまだマーケットとしてそこまで大きくはありません。ですので、マーケット自体をもっと広げていきたいと考えています。恐らく今の10倍には広がると思っています。

また、マーケットが大きくない分、ルールもまだ曖昧なところがありますので、そうした整備も課題として残っています。

―マーケットが小さいということは逆に言えばまだ競合他社も少ないということですね

そうですね。ごく一部を除けばまだまだ競合と言えるような会社は少ないです。例えば中古のトラックとか建設機械とかの市場は成り立っていますが、それ以外はほとんどないです。

―すると、まさに業界のフロントランナーとしてマーケットの拡大やルール制定をしていくことになると思いますが、いつまでに何を実現したいなど、具体的な構想はお持ちでしょうか

マーケットをつくるというのは、私たちのようなB to Bの事業者にとっては一番苦手とする分野だと思っていますので、ここからどう動いていくのかは構想を練っているところです。ただ、いつかサーキュラーエコノミーが当たり前となる社会になると思いますが、そのタイミングというか勝負時を間違えてはいけないと考えています。

ただ単にずっと先頭を走り続けていれば良いというものではありません。メルカリにしても、フリマアプリとしては3番手とか4番手くらいでしたし、FacebookもSNSとしては後発でした。必ずしも先を行っているから良いのではなく、勝負を仕掛けるタイミングを見定めないといけないですよね。

それまでの間どうすれば良いのかと言えば、ひたすら実験を繰り返すことだと思います。どのような手法だと効率が良いのかとか、お客様のニーズに応えられるのかを試行錯誤していくということですね。

こうした活動はブランドづくりに繋がっていくとも思っていて、例えば色々な業界団体がある中で、その団体の活動に積極的に協力するといったようなことを行うことで、サーキュラーエコノミーという考えが広く普及した時に、「そういえばあの会社が率先して取り組んでいたな」となれば良いと思っています。

―先ほど東京の学生はリサイクル業には就職しない、といったお話もありましたが、DX化の進行など、業界と一線を画す取り組みもされています。新卒の学生や中途の方の応募なども増えてきているのでしょうか

そうですね。若い方や優秀な方がチャレンジする例は徐々に増えてきています。学生さんはもちろんですが、例えば自動車業界の方の採用に注力するようにしています。EVシフトしていく中で機械系のエンジニアの数も従来ほど必要とされなくなってきていますが、一方で私たちの業界のニーズは非常に高いです。リサイクル処理の機械を進化させるうえで内燃機関を使った自動車のような産業のエンジニアは、テクノロジーの発展には必要不可欠だと思っています。

当社としてはリサイクル技術の研究開発をしてみたいという方は積極的に採用していきたいと考えています。リサイクル技術は高度化し、従来のやり方ではついていけなくなってしまっています。例えばPCをリサイクルするとしても、どうすれば個別の素材を効率的に分類するのか、鉄なら簡単ですが、他の金属類を効率的に集めることは難しいのです。プラスチックのリサイクルも、色々なプラスチックが混ざり合っている中で、どのように個別の素材を分類できるかを研究していかないといけません。

また、B to Bのマーケットはまだまだ小さいとお話しました通り、マーケッターも必要です。そもそもマーケッターが必要という感覚を持ち合わせているような業界ではなく、「リサイクル再生資源って誰か買ってくれるよね」という風に思っているんです。例えば鉄鋼メーカーが金属の再生資源を買ってくれたり、素材メーカーが購入してくれたりといった具合です。

ですが、プラスチックの再生資源であれば、本当に良い物しかメーカーは購入してくれません。それこそペットボトルのリサイクル資源などは買ってくれるところが少なく、従来の様に素材メーカーに購入してもらうだけではなくて、買い手を見つけるためにどこにどういった用途があり、そこに対して何を作ったら売ることが出来るのかを考えないといけなくなっています。

だからマーケッターのようなポジションの人が必要です。「当社の技術でこういうものができるから御社で買ってくれませんか?」とか「こんな社会課題が解決できますよ」とか、そうしたことを考える人が必要です。

もちろん、認知を広げるための営業や、ITエンジニアも必要ですね。

―ここまでお話いただきありがとうございました。最後に読者に向けてメッセージをお願いしたいのですが、まずは起業やビジネスを興したいと考える読者に向けて、次にSDGsはじめ社会貢献への意識が高まってきていますが、そうしたビジネスに取り組む上で必要となる考えや姿勢について教えてください。

まず、起業したい、ビジネスを興したいと考えている方は、とにかく早くやることです。特に20代の内にやってほしいですね。私は偶然28歳の時に社長になったのですが、当時、仕事柄、中国に行くことがよくありました。そこで印象的だったのは、年齢に関係なく若かろうがフラットに接してくれたということです。確かに彼らとの交渉はキツいこともありましたが、そうしたフラットさは心地良かったですね。当時の日本では、20代の若者が社長になったのだから、あの会社は今後大変だぞ、と言われるようなこともありましたが、そんなことは中国では一切ありませんでした。

話を元に戻すと、今まで学生時代に人付き合いだってしてきたでしょうから、そこまで不安に思う必要もないと思います。もちろん企業活動だからビジネスの仕組みはある程度分かっておく必要はありますが、とにかく早く経験することです。

下積みを無駄とは言いませんが、下積み期間が長いことよりも、早い段階から「判断をする」という経験を積んだ方が良いと思っています。自分で決断する、選択する、ということをしていないと、いざより大きな判断を迫られたときに決めることができませんし、その積み重ねが経験値として生きてくると考えています。

これは私自身もそう思っていますし、日本電産の会長である永守さんも社長の経験値とは判断の数だと言っています。私が社長になって初めて電気炉のるつぼ交換のための決済を求められたことがありました。るつぼは一個400万円ほどするもので、定期的に交換してきたから購入してほしいと言われたんです。

その時、「高いな…」と判断に迷ってしまったのですが、これまでは3カ月で定期的に購入していたものでしたし、消耗品だから買えば良いんです。ただ、いざ社長という立場になって聞かれると、「本当に良いのか?」と自信をなくしてしまうものなんです。

その時に判断することの重さを身をもって感じ、そこから早い内に判断することを繰り返すことで、そのための基準を決めたり、事前に材料を準備するようにしています。日本の会社では60歳前後で社長に就任するというケースもありますが、そこから判断を迫られる経験をするというのは辛いだろうと思いますね。

―ビジネスを通じて社会課題を解決する上で必要なことはどんなことでしょうか

SDGsを挙げれば、私たちの世代はどこか「きれいごと」のように思ってしまう人もいるかもしれませんが、今の20代の方は学校で勉強しているでしょうし、私の子どもは小学校の授業でSDGsについて学んでいます。

ですから、今の若い方は本気で次世代のためにサステナブルな社会を実現したいと考えていると思います。では、そうした社会を実現するためには、キャッシュポイントと理想をうまく絡み合わせる必要があるのだと感じています。

当然ビジネスですので、理想だけを考えていれば良いことではなく、社会課題解決を実現するためのキャッシュポイント構築のためにどうするのかということを考えなければなりません。ですが、これは言い換えればその理想をいち早く実現するための方法ということでもあります。

その点では、私たちのようなリサイクル業はSDGsの達成に貢献しやすい位置にはいて、12番目のゴールにある「つくる責任 つかう責任」について言えば、従来は企業がゴミを出すとなると廃棄費用というものがとられていました。それがリユースする選択をとると、逆に企業にお金が入ってくるようになります。そうすると企業にとってはコストダウンになるし、環境にとっても優しい。そして私たちも収益が上がるということで、一気にビジネスを進めやすくなるのです。

常にキャッシュポイントを意識しつつ、ビジネスとしてうまく推進できるようなプロジェクトを考えてみるということが、ビジネスで社会課題を解決する上では重要なポイントになると思いますね。

【サイクラーズ株式会社(サイクラーズグループ)】
明治35年(1902年)に創業した東港金属株式会社を中核とする東港金属グループを前身に、ホールディング体制に移行し2020年9月にサイクラーズ株式会社を持株会社として設立。傘下にビジネス推進のための事業会社として東港金属株式会社、TML株式会社、トライメタルズ株式会社、トライシクル株式会社の4社を置く。グループ理念に“サーキュラーエコノミーを実現する”を掲げ、世界初のB to Bサーキュラーエコノミー対応プラットフォームアプリ「ReSACO(リサコ)」を2019年1月にローンチ。その後、2020年9月には2万3000坪の土地に「ReSACO リサイクルセンター」を完成させ、回収した不用品を一拠点に集積。大規模で高度なサーキュラーエコノミーを可能としている。

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