昔の新快速は「新大阪駅」通過!?「スカ色」塗装の電車だったことも…今では考えられないエリート列車の姿

新田 浩之 新田 浩之

たびたび関西の日常会話でも取り上げられるJR西日本が運行する新快速ですが、現在では考えられない?「常識」が存在したことをご存知でしょうか。

えっ、新快速が新大阪駅に止まらない?

新快速は1970(昭和45)年に登場しましたが、なんと1985(昭和60)年まで東海道・山陽新幹線の始発駅である新大阪駅には止まりませんでした。1978(昭和53)年の新快速の停車駅を見ると「京阪神間ノンストップ」にこだわっていたように感じます。

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▽1978(昭和53)年当時の新快速の停車駅(草津~姫路)
草津、石山、大津、京都、大阪、三ノ宮、神戸、明石、※西明石、加古川、姫路
※姫路直通列車は西明石駅通過

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一方、所要時間は内側線を走行していたので、現在よりも少し遅いです。1972(昭和47)年の時刻表を見ますと、京都~大阪間は約30分、大阪~三ノ宮間は約25分でした。

今日の昼間時間帯における所要時間は京都~大阪間は約30分、大阪~三ノ宮間は約20分。停車駅の増加と速達性維持の両立をはかった新快速の歴史が垣間見られます。

ややこしい! 時間帯によって通過する駅があった

現在の新快速はどの時間帯に乗っても停車駅は同じです。しかし平成初期は日中のみ停車する駅がありました。

新快速は1990(平成2)年に最高時速を時速110キロから時速115キロに引き上げました。同時に高槻駅(大阪府高槻市)と芦屋駅(兵庫県芦屋市)を停車駅に加えましたが、日中以外の時間帯の新快速は両駅には止まりませんでした。

日中時間帯は両駅で新快速と普通の相互乗り換えが可能に。そのため新快速通過駅でも、新快速の恩恵にあずかることができました。

筆者が子どもの頃は何時まで新快速が芦屋駅に止まるのか、祖母がホームにある時刻表を確認していました。また朝ラッシュ時には芦屋駅の大阪方面ホームで新快速が快速を追い抜くシーンが見られたものです。

その後、高槻駅は1997(平成9年)、芦屋駅は2003(平成15)年に終日、新快速停車駅になりました。

関東の電車がそのまま新快速に使われた?

先述したとおり新快速は1970年にデビューしましたが、当時は関東でよく見られた青色と白色の組み合わせ「スカ色」の電車が使われていました。関西には馴染みのない塗装だけに、なぜ新快速に使われたのでしょうか。

答えは1970年に開催された大阪万博です。国鉄は万博輸送のために関東から多くの車両を関西に集めました。その中には横須賀線で活躍していた「スカ色」電車の姿もありました。

「スカ色」電車は「万博号」で活躍した後、そのまま新快速に転用。その後オレンジ色と緑色の「湘南色」に塗り替えられ、1972(昭和47)年には白色に青帯をまとった急行型電車に交代。「スカ色」の新快速は短命に終わりました。

ちなみに現在の新快速の塗装はステンレス車体に白色、茶色の濃淡、青色の帯が施されています。このうち茶色は戦前に京阪神間を走破した「急電」の塗装を再現、青色はJR西日本のコーポレートカラーに由来。白色はJR化後に登場した221系の塗装を受け継いでいます。

ここ10年は停車駅も変わらず、一部車両を除き塗装も変わっていない新快速。今後、大きく変化するのはいつなのでしょうか。ともあれ、新快速が関西鉄道界のスターであることに変わりはないようです。

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