「霜降」季節が変わった? そう感じた朝はきっと初霜が降りています

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『歳時記』は晩秋も後半へ「霜降」となります。初霜が降りた朝、いつもの朝とは違う空気感に季節の移ろいを実感します。北国から初霜の便りが届くのがこの頃。日脚は日々目に見えて短くなり寂しさも増してきます。時雨が降るのもこの時期。雨に濡れれば色づいてきた蔦や楓の鮮やかさがひときわ目に美しく感じられます。秋がフィナーレを見せてくれようとしているのでしょう。冬支度の前にもう少し秋を楽しんでみませんか。


古来、霜の美しさに魅せられてきました

霜は自然界で起こる気象現象の一つ。晴れた日の夜、昼間温められた大地の熱がさえぎる雲のない空へと放たれ、空気中の水蒸気が冷やされ細かい氷の結晶となって、草木や地上にあるものを白く見せてくれます。
ひと夜明けて広がる霜につつまれた白い世界は万葉の昔から歌われ、人々を魅了してきました。百人一首にもこんな歌があります。
「心あてに折らばや折らむ初霜の おきまどはせる白菊の花」 凡河内躬恒
初霜の美しさを白菊の清楚な美しさと見わけがつかないほどだ、と一面をおおっている霜の白い美しさを歌っています。またさまざまなたとえを霜の美しさから作り出し、今に伝わっています。
「霜の花」は霜そのものですが、美しさを花にたとえています。
「霜の衣」は景色いっぱいにおおわれた霜のようすをダイナミックに衣にたとえたことばです。
「霜の声」は霜の降りてくる夜の冴えわたった空気感を音にたとえています。
霜を作る氷の一粒そのものを見る目、そこから広がる景色、更に霜の降りる気配、と五感を研ぎ澄ました人々の暮らしを感じずにはいられません。
「霜」に季節をめぐる1年の時の流れを感じてきたのでしょう。年月の意味をもつ「星霜」や「歳霜」ということばもよく使われます。歳を重ねて髪が白くなることを「霜を戴く」、白髪の老人を「霜の翁」など歳取ることを美しく表現する工夫を感じます。
「霜」は季節が曲がり角を迎えたことを毎年知らせてくれます。目の前に広がる美しい白い世界を一つ曲がり、二つ曲がり、と数えれば自然にいだかれ生きていると確信でき、歳を重ねることも嬉しく美しく思えてきます。

放射冷却で森に降りた霜(恩原湖周辺)


霜でおおわれる時季、大地に降る秋の時雨は?

時雨は、晴れていたかと思うとにわかに降り出し、またすぐ止む。降ったり止んだりの曇りがちな空模様ですが、秋の時雨にはすぐ後ろに控えている冬が垣間見える、侘びしさを感じます。
雨に濡れた道には落ち葉が重なり始めています。落ち葉の合間をよく見ると小さなドングリがたくさん落ちているのに気づきます。お椀のような帽子をかぶっていますがこの部分、殻斗(かくと)という名前を持っています。木により殻斗の模様も変わるようです。モジャモジャとイガのようなクヌギ、横縞が特徴のカシ、鱗のようなボツボツとした模様のドングリもありました。ドングリの背比べ、などと言われますがよくみれば豊かな個性がひしめいています。
拾ってきたドングリを植木鉢で育てている人に出会いました。小さな植木鉢に細い芽が真っ直ぐに伸びていました。大きな樹木になるとは想像もできません。飢饉の時の非常食となり鳥や動物たちにとっても大切な食べ物だと思うと、縄文時代から生き延びてきたどんぐりの持つ力は侮れないと気づきます。ドングリなどの木の実の落ちる音は「木(こ)の実時雨」とよばれ晩秋の季語になっています。秋、さまざまなものが降ってきます。


秋のフィナーレは野に山に里に、深まる紅葉で決まり!

「秋の夕日に照る山紅葉」と口ずさまれてきたように、秋の楽しみは紅葉にあります。「もみじ」は「もみづ」から来ており、秋になって草木の葉が赤や黄に色づくことをいいます。特定の木の名前ではありませんでしたが、いつの間にか美しく色づく楓をさすようになったようです。
銀杏のように黄色く色づくこともやはり「もみじ」といっていたようです。今でも「黄落(こうらく)」といえば黄色くなった葉が落ちていくことです。やはり思い浮かぶのは、銀杏が続く並木道に華やかに舞う黄葉ではないでしょうか。
里山が赤や黄色に染まり、パッチワークのようでもあり、合間に見える緑と溶け合って作る景色の美しさは「錦秋」とよばれます。正に「錦繍」。何種類もの色糸を使って織り出す高級織物の紋様の華麗さに匹敵し、多くの和歌にも歌われてきました。
「千早ぶる神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは」 在原業平
「このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」 菅原道真
百人一首でお馴染みの秋の歌が秋のフィナーレを締めくくります。

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