「別れの覚悟ができるまで待っていてくれた」 家出がきっかけで衰弱し切った子猫、懸命の看病で回復して10年生きる

渡辺 陽 渡辺 陽

野良猫が産んだ子猫

ごにゃちゃん(享年17歳・オス)は、野良猫だったうぅちゃんが連れてきたかわいい子猫だった。一人暮らしだった中村さんが初めて見た当時は、生後2カ月くらいだった。母猫うぅちゃんの教育が行き届いており、はじめは警戒心が強く、いっちょ前にシャーをしたり、人が見えなくならないとごはんを食べなかったり、ちびっこながらちゃんと「野良」していた。

しかし、毎日ごはんをあげるうちに少しずつ警戒心が解け、ごにゃちゃんは子猫らしい好奇心と適応力でどんどん距離が縮まっていった。はじめは外でごはん、次に部屋の中にごはんを置いて人間は陰に隠れた。そのうちだんだん人がいても部屋でごはんを食べるようになったという。

「私が寝っ転がってお腹の上にごはんを置き、そのまま寝たふりをしてみると、最初は恐る恐るでしたが、最終的にお腹に乗ってごはんを食べてくれました」

母猫と人間の母の愛

やがてごにゃちゃんは、おもちゃで遊んだり、一緒に布団で寝たりするようになり、夜は家に泊まって一緒に寝た。朝になると外に出て行ってトイレを済ませ、母猫うぅちゃんと合流。昼間は庭で親子仲良く昼寝をしていた。母猫と人間の母に甘やかされたごにゃちゃんは、すっかり甘えん坊の自由な男の子になった。

1年ほど経った頃、中村さんはアパートを引き払って実家に帰ることになり、うぅちゃんとごにゃちゃんも一緒に連れて行った。しばらくは出せ出せコールがひどく、猫も人もノイローゼになりそうな状態だった。ごにゃちゃんは出せ出せと鳴いたが、中村さんには懐いていたので、疲れたらぐぅぐぅベッドで寝るし、夜は一緒に布団で寝た。

「外に出し始めてからは自由を謳歌し、その後、完全室内飼いになるまでの6年間は、外と家のいいとこ取りで楽しく過ごしていたのではないかと思います」

不思議だったのは、家ではすぐ膝に乗ってくる甘えん坊なのに、外で会うと絶対に「他人のふり」をすることだった。

散歩に出たまま帰らず

2008年の夏、中村さんの叔父と、叔父が飼っていた犬が一時的に中村家で一緒に暮らすことになった。ごにゃちゃんは中村さん以外の人は全く受け付けない猫だったので、知らない人と犬が増えて、自分のテリトリーを脅かされたように感じたのか、ある日散歩に出たまま戻らなくなった。

「3日ほどは心配ながらも様子を見ていたのですが、さすがに4日目に入ると焦りが出始めました。当時はまだ珍しかった迷い猫のチラシを自作して、近所を一軒一軒回りながら配り歩きました」

1カ月が経ち、毎日心配で泣き暮らしていた中村さんのもとに1本の電話が入った。

「電柱に貼ってあったチラシの猫によく似た子がいるんですけど…」

電柱にチラシを貼った覚えはなかったが、詳しく聞くとごにゃちゃんの可能性がありそうだった。家から徒歩5分程度のご近所!ということで、好きだったごはんとバスタオルを持って中村さんは無我夢中で駆けつけた。しかしそこにいたのは、ガリガリにやせ細り、毛は抜け、眼は白濁し、骨に薄い皮が張り付いているような、見るも無残に弱り果てた猫だった。

「ごにゃちゃん…?なの…?」

どうしてもごにゃちゃんには見えなかったが、確かに模様は似ている。話しかけながらそっと近づいてごはんを差し出すと、その猫は力を振り絞って逃げ出した。中村さんは夢中でしっぽを掴み、引き寄せ、抱っこした。その瞬間、「ごにゃちゃんだ!!」と確信。疑念は吹き飛んだという。

10年そばにいてくれた

中村さんは涙をポロポロ流しながらバスタオルでくるんだごにゃちゃんを動物病院に運んだ。ごにゃちゃんはひと月入院し、なんとか危機を乗り越えた。「乗り越えた」といっても良くなったわけではない。「おそらくそう遠くない将来、その時は訪れるだろう」「だったらもうこれ以上病院に置いておくのはかわいそう。自宅で看取りたい」と思い、連れ帰ることにしたという。

そうはいってもまだ6歳。なんとか元気になってほしくて必死で強制給餌をしたり、点滴に通ったり、ずいぶん苦しい思いもさせた。部屋の隅に追いやり、嫌がっているのにシリンジで流動食を与えては吐かれ、また流動食を与えては吐かれ…の繰り返し。じーっと全く動くことなく部屋の暗い場所でうずくまっているごにゃちゃんを見て、「これって虐待なんじゃないか?完全に私のエゴなんじゃないか?もうやめた方がいいのでは…」と中村さんは逡巡した。

ところが本当に「もうやめよう」と思ったその日、ごにゃちゃんは自らごはんの器に向かって行き、自分の意志で食べ始めた。

「その時の感動は忘れもしません。今でも思い出すと涙で震えます」

その後、徐々に危険な状態を脱したごにゃちゃん。腎不全が悪化していたため、お世辞にも元気とは言えなかったが、それから10年、ごにゃちゃんはずっと中村さんのそばにいてくれた。

「別れの覚悟ができるのを、気長に待っていてくれた。なかなか覚悟が決まらなくてごめん。そして本当にありがとう、と伝えたいです」

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