オープンから1度も通常営業できていない大阪の立ち飲み店 それでも店主は「こんなに頑張れる街、見たことない」

脈 脈子 脈 脈子

 ここ数年で急激な盛り上がりを見せる大阪市内の東横堀川界隈。歴史と風情を感じるこのエリアで存在感を増している「yacipoci」は、この街を見守る平野町交番がかつてあった場所に2021年1月にオープンしたばかり。交番は南に350mほど下ったところへ随分前に移転しており、現交番の向かいにある立呑み店wapitiを営む秋谷夫妻の2号店だ。

 オープン日が2度目の緊急事態宣言中になってしまうという事態に見舞われ、まだ1度として通常営業はできていない。ところが、状況によって店休日を多くとったり時短要請に応じたりと変則的な営業にも関わらず、4カ月ほどでこの界隈の流れを確実に変えた。何がそんなに人を惹きつけているのか。店主の秋谷氏に話を聞いた。

全く知らない土地でやってみたかった

 夫妻はともに関東の出身。秋谷氏は金融系のシステムエンジニアとして社会に出た。新卒から8年、服装を気にすることもできないほどに過酷な環境だった。

 「証券取引所がらみの結構ゴリゴリのプロジェクトでしたね。かなりハードな現場で、ずっとリーダーを任せてもらっていて。プロジェクトメンバーも多かったし、内側に溜まっていくものはそれなりにありました」

 当時を振り返れば、エンドユーザーの顔が見えず自分の仕事がどう社会の役に立っているのかが分からないことに不満を感じていた。そしてある日、プロジェクトの進捗が思うようにいかなくなったこともあり、ついに内側に溜まったものが抑えきれなくなった。

 「急にアホくさくなったんですよ。ここから先はもう好きなことだけやろうと、一番大好きな趣味だった自転車を選びました。自転車屋をやるなら東京の方が需要も高いんだけど、せっかくだし面白そうな土地でゼロからやってみたいなと思って。人情味のある土地柄に惹かれて、15年ほど前に大阪に来ました」

 おじいちゃん子だった秋谷氏は、祖父と一緒に過ごすことが多かった。小学生の頃から自転車をバラしては組み立て、ということをやっていたのは、機械が好きで近所中の自転車を直していた大好きな祖父の影響だ。そんな背景から独立後の生き方を自転車店の経営に定め、修行先を大阪市内に決めて転居した。この時、前職の貯金は飲んだくれて使い果たしていたというから、文字通り「裸一貫」での再出発だった。

やりたいことは、ただ1つ

 自転車に次いで酒が好きだった秋谷氏は、ある日、自転車屋の仕事終わりに居酒屋へ立ち寄った。そこでの出会いが人生を大きく変えることになる。

 「大阪で初めて行った居酒屋の店主やスタッフが、1人で来てる僕をすごく可愛がってくれて。毎日のように一緒に飲み歩いてました。その居酒屋の営業終了後から朝まで飲んで、ろくに寝ずに自転車屋に出勤するっていう生活を続けているうちに、さすがにこれはマズいなと。死ぬぞ、と」

 酒を趣味ではなく仕事にして解決しようと考えた。エンドユーザーの顔が見える仕事がしたかった秋谷氏にとっては、その手段が自転車店か飲食店かだけの違いでしかない。喜んでくれる人の顔が見えることはどちらも同じ、業種を変えての独立に抵抗はなかった。

 「飲食店の経験が全くないから、いくつかの店を掛け持ちしてノウハウを吸収しました。食材の扱い方や仕込み、発注、掃除、混雑した時のお客さんのさばき方、いろんな人と一緒に働かせてもらって本当に勉強になりました」

 2017年8月に念願叶ってオープンした「wapiti」は、当時まだ人もまばらだった東横堀川西側の“鬼門”と呼ばれていた場所に構えた。ミナミや天満などすでに多くの人が集まっているエリアではなく、まだ文化のないところで挑戦したいと考えたからだ。そして、2号店となる「yacipoci」を南北の同じ通り沿いにオープンすると決断した時も、意識したところは共通していた。

 「この街にお世話になってたし、ここら辺をもうちょっと活性化したいなという大それた思いがあって。そのハブになれるよう、wapitiで南北、yacipociで東西、十字の流れをうまく作れたんじゃないかなと思ってます。人とタイミングの縁に恵まれました」

こんな状況でも、めげない街

 あっという間に人気店へと駆け上がった要因を、こう考えている。

 「お客さんが笑顔で帰ってくれてること、それを絶やさないためにできることを惜しみなく積み上げただけ。音楽や空間、料理、お酒はもちろんどれも大事だけど、あくまでサブコンセプト的な部分。いちばん大事にしてるのは、とにかく喜んでもらうこと、笑顔で帰ってもらうこと、寝る前にその日のことを思い出してクスッとしてもらうこと。そこだけは絶対にブレない」

 街と繋がり、その文脈の中で訪れる人を迎え入れる。そこで生まれる温かな愛のある関わり合いを思えば、この苦しい状況でも決して折れずにいられると感じている。縁もゆかりもなく飛び込んだ大阪について秋谷氏は次のように話す。

 「こんなに頑張れる街、見たことないなと思いますね。『めげない街』やなって。今のこの状況にはもちろん、思うところはいっぱいありますけどね。言ってもどうにもならないから、街のハブであり、みんなの笑顔を作る場所っていうのをとにかく守り続ける。で、ジジイババアなったみんなと、変わらずここで笑っていきたいなと思います」

 裸一貫からの挑戦は、大阪に新たなムーヴメントを生み出したと言えるだろう。最後に、秋谷氏にとっての酒場とは。

 「仕事場と家との間にあって、酒を通して人や世の中と触れる場所。その店ごとのルールに身を委ねる中で文化が生まれる場所、ですかね。とにかくyacipociに関しては、1回ちゃんと営業させてほしい。どれだけのポテンシャルがあるのか、思い切りやりたいですね」

 ターンテーブルを備え、センスのいいレコードが彩る空間。おおらかな笑顔で訪れる人を受け止めてくれる、夫人のとも恵さんが主に手掛ける料理はどれもしみじみと美味しい。そして、最近では珍しくなったスイングカランとよばれる独特の注ぎ口から、ここでしか味わえない個性あるビールがつむぎ出される。

 しかし、それら全てが「とにかく来た人に喜んでもらいたい」という力強い想いに集約されているのだと知り「そりゃぁ心地が良いはずだ」と腑に落ちた。

 当初、5月11日までとされていた緊急事態宣言は2度延長され、まだしばらく明けそうにない。街に活気が戻る時には、きっとこの足は平野町通の北東角を目指すだろう。通常営業に向けて今は静かに力を蓄えているyacipociで、新たな文化が生まれる瞬間をぜひ目撃したい。

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yacipoci
住所:大阪市中央区平野町1-1-1
※今後の営業時間などはInstagram(@yacipoci2021)にて

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