行き詰まった会社社長を助けたのは被災地との縁…南相馬を希望の地に #これから私は

浅井 佳穂 浅井 佳穂

 事業に行き詰まった会社経営者を助けたのは、東日本大震災の被災地との縁だった。福島県南相馬市と滋賀県を毎月往復している男性がいる。滋賀県栗東市でIT企業を営む井上昌宏さん(60)=大津市=だ。数年前に高齢者の見守りサービスの立ち上げを模索したものの、地元自治体の協力が得られずじり貧状態に陥っていた。そんなさなか、震災直後にできた関係をきっかけに南相馬市とつながり、現地での事業展開を成し遂げた。井上さんは「日本の未来に希望をともせるモデル地域にしたい」と意気込んでいる。

 2011年3月11日に発生した東日本大震災。「正直に言うと、最初は他人ごとだった」と振り返る井上さんだが、実は自身の会社で手がけたサービスが被災地で大活躍していた。携帯電話でもホームページを立ち上げられる「小窓君」だ。

 震災発生後、東日本一帯では電話が通じにくくなった。南相馬市に工場を持つ産業用資材の会社の社員たちは「小窓君」を活用。書き込みで取引先に無事を知らせていた。

 そのことを井上さんが知ったのは、地震発生から数日後。この会社の社員から連絡を受けたのがきっかけだった。

 当時「小窓君」は有料版と無料版があり、資材会社で使われていたのは広告が付く無料版だった。広告の画像を読み込むのに時間がかかっていたため、社員は「広告を外してもらえないか」と依頼してきた。井上さんは「ちょっとしたことでお役に立てるなら」と快諾し、対処した。

 これで途絶えたかに見えた井上さんと被災地の関わりだが、その5年後の2016年にひょんなことからつながりが復活する。産業用資材の会社の社員から、再び連絡が入ったのだ。

 聞くと、震災後の迅速な工場復旧が評価され、取引先の自動車メーカーから表彰を受けたという。「お礼をしたい」という産業用資材の会社の申し出を受けた井上さんは、一つのお願いをした。暗礁に乗り上げていた新事業へのサポートだった。

 当時、井上さんはビーコンと呼ばれる位置特定技術の装置を使い、認知症などが原因で行方不明になる高齢者を減らすサービスの立ち上げを模索していた。行政と連携しようとしたものの、地元の自治体の反応は芳しくない。事業がうまくいかないうちに辞めていく社員は増加。「人生最悪の時期」(井上さん)に突入していた。

 わらをもつかむ思いで産業用資材の会社に頼った井上さん。その願いは1年後にかなった。この会社がサーバーの運用費やビーコンの提供を引き受けてくれたのだ。

 2017年4月、井上さんは初めて南相馬を訪ねた。そして月に1回、滋賀と福島を往復する日々が始まった。福島は井上さんにとって「1人も知り合いがいない」場所。溶け込むのには時間がかかった。当初は「関西から何しにきた?」とよく聞かれた。「来るのが遅い」とさえ言われた。

 転機は2018年2月、南相馬市のケアマネジャーを対象に開いた研修会だった。数十人のケアマネジャーを前に、ビーコンがいかに役立つかを力説した。「高齢者が行方不明になっても解決方法がある」と次第に評判が南相馬市内で広まっていった。

 2018年12月に南相馬市で会社「猫のてコミュニケーションズ」を立ち上げた。現在展開している高齢者見守り事業には、約100人が登録している。

 高齢者にビーコンを持ってもらうと同時に、ボランティアの市民数百人のスマホに専用アプリをダウンロードしてもらい、位置情報提供の同意を依頼している。家族から高齢者捜索の依頼が入ると、市内のケアマネジャーがビーコンを探す。すると、半径45メートル以内にある同意した人のスマホが反応し、ビーコンの位置を示し、捜索が容易になるという仕組みだ。

 高齢化や過疎化が急速に進む南相馬市は「30年後の日本の姿」と言われる。井上さんは「南相馬で役立てば、全国でも必ず役に立つ。南相馬を日本の30年後に希望をともせるモデル地域にしたい」と将来を見据える。

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