大阪と奈良の間、都会のすぐそばに潜んでいる全日本レベルの“酷道”…それは国道308号「暗峠」

小嶋 あきら 小嶋 あきら

 国道というのは国が指定した主要な道。なので、それなりに整備された走りやすい道路を想像しますよね。しかし世の中には「酷道」と呼ばれる酷い国道も存在します。平家の落人が住んだといわれる九州の山深い秘境を抜ける国道265号、人里を遠く離れた四国の山岳地帯を繋ぎ通称「ヨサク」と呼ばれる国道439号、途中に2箇所の未開通の峠を残す国道152号、いきなり道路が階段になる国道339号など、挙げていくと個性的な酷道がキラ星の如く存在します。

 これらは確かに走りにくい、通過するのになぜか覚悟を必要とする困った道路ですが、しかし同時にそれぞれ抗い難い魅力も備えています。

 大阪と奈良を結ぶ国道308号もまた、そんなとても楽しい道です。道幅が所々とんでもなく狭い、という酷道の基本を押さえつつ、さらに「全国の国道で一番急な上り坂」という強烈な個性を持っているのです。

ものすごく歴史のある街道なのですが…

 暗越(くらがりごえ)奈良街道。国道308号の大阪・奈良府県境あたりを昔はそう呼んでいました。現在では一般に「暗峠」(くらがりとうげ)と呼ばれる、大阪からほとんどストレートに生駒山地を越えて奈良に至る最短ルートです。かつては奈良、さらには伊勢参りをする旅人が通った街道なんですね。

 上方落語に「東の旅」という大作があります。これは喜六と清八という二人の男が伊勢参りをするお話で、全体としてはとても長い噺なのですが、その旅の場面ごとに細かく分かれていて、いわゆる連作になっています。その「発端」と呼ばれる旅立ちの部分で、暗峠のことが語られます。

   ◇   ◇

 「元々は坂があまりに急なさかい、馬の鞍がひっくり返る、「くらがえり峠」と呼ばれてたんやそうです。くらがりといえど明石の沖までも、という面白い歌が残ってございます」

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 そう、暗峠というおどろおどろしい名前ですが、別に「木々が鬱蒼と茂って昼なお暗い峠道」とかそういうのではなく、振り向けば明石の海まで見えるような展望の開けた道なんですね。

なぜそんなに傾斜が急なのか?

 生駒山地はいわゆる傾動地塊と呼ばれる地形で、比較的なだらかな奈良側に対して大阪側は傾斜が急になっています。そして、この急な斜面を「ストレートに登っている」というのが暗峠の無茶なところです。

 普通、クルマが走る「峠道」というのは右に左に曲がりくねっているものです。これはできるだけ距離を伸ばして上り坂の傾斜を緩くするためです。たとえば山間部の道路や湾岸の橋梁で、ぐるぐる回るループになってるところがありますよね。あれは一気に高さを稼ぎたい場合に、ぐるぐると回り道をして坂を緩くしているのです。同じ考え方で、急な斜面をきついUターンで折り返して行ったり来たりしながら上る「つづら折れ」というのもありますよね。

 暗峠はそれをやらないで、真っ直ぐに上っているから傾斜がものすごくきついのです。

 おそらくもともと歩いて旅をしていた時代の道なので、傾斜は急でも距離が短い方が良かったのでしょうね。

実際に走ってみたらこんな道でした

 筆者がこの道を初めて通過したのはもう30年以上も前、昭和の終わり頃でした。大阪の真ん中・心斎橋から国道308号を、途中何度か見失いそうになりながら辿りました。最初はとても広い道だったのが、東へ行くに従ってどんどん狭くなって、ついには一車線、それもあの輪っかのような溝が無数に掘られたコンクリート舗装になりました。そして同時に猛烈にきつい坂道が始まったのです。

 こんな国道があるわけがない、これはもしかして道を間違えたか、しかしこの坂道でUターンしたら絶対に転ぶぞ、これはもう、前に進むしかない。目の前の5ナンバーのタクシー、山側キワキワに寄ってるのに谷側のタイヤがはみ出しそうな道幅だけど、いやいやこれもきっと気のせい気のせい…。

 上り始めてから峠までの道のりは2.5キロほどですが、まるで平衡感覚がおかしくなってしまいそうな急な坂道は、もう終わりがないのかというほど長く感じました。

 そしてやっとたどり着いた峠では、舗装が石畳になっていました。

 全国の国道のうち本線に石畳の部分があるのもまた、ここだけなんだそうです。やるなあ、暗峠。

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