傷だらけで道にたたずんでいた三毛猫のばーにゃちゃん。たまたま通りかかった保護主は、このまま放っておけば、間もなく衰弱して死んでしまうと思い、ひとまず保護することにした。治療をして里親を探すために譲渡会に参加したが…。
捨てられ衰弱しきった三毛猫
2016年4月19日、雨上がりの肌寒い朝だった。東京都に住む林さんは、道路にたたずんでいる三毛猫を発見した。林さんが立ち止まると、「ニャ」と小さく鳴いて寄ってきた。痩せて鼻や前足は傷だらけ、耳は潰れて舌が出たままだった。林さんがしゃがむと、小さく震えながら膝の上に乗って、香箱座りをして喉をならしたまま目を閉じて寝てしまった。「その姿には飼い猫だった素直さがあった。野良猫ではない。よほど疲れていたのだろう」と思い、不憫に思った。
「そこはペット禁止のマンションエリアで、野良猫も見かけないようなところ。別の場所から連れてこられて捨てられ、カラスなどに襲撃され、震えながら空腹や寒さに不安と恐怖で眠れぬ時を過ごしていたようでした」
放置すれば衰弱して一日も持たないと考えた林さんは猫を抱き上げ、とりあえず自宅に向かった。猫はその間も喉を鳴らしてしがみついていた。
てんかんのため生涯投薬が必要
保護した日の午後、ばーにゃちゃんという名前が突然舞い降りるように頭に浮かんだ。なんとなくロシア語の愛称っぽい感じがしたのが気に入って、ばーにゃちゃんという名前にしたそうだ。
ばーにゃちゃんは、フードを勢いよく完食し、水もたくさん飲み、身体も温まったのか、ボロボロの身体の毛繕いを始めるとそのまま爆睡した。
「初めからここに暮らしていたかのように安心しきっていました。軟便も1週間もしないうちに普通便になり、きちんとトイレでできるようになりました」
動物病院に連れて行くと、耳血腫とエイズが判明。過去に治療のため歯を全部抜歯されていたので年齢も分からなかったが、5~9歳と推察された。
1カ月後、地元「むさしの地域猫の会」の譲渡会に参加したが里親希望者は現れず、ケージの中で終始固まっていた。林さんは、かわいそうなことをしたと思った。
2週間後、突然口から泡を吐きながら激しい痙攣と失禁の発作を起こし、病院での精密検査の結果、てんかんと判明。生涯毎日投薬しなければならなくなり、2度と辛い目にあってほしくないので、家族として迎えることにしたという。
終の棲家を見つけて幸せに
日中は日だまりで昼寝、夜は林さんのベッドの上や布団の中に潜り込んで寝た。出かけるときはいつも玄関まで追いかけてきて、帰宅すると玄関に迎えに来た。捨てられたトラウマからか、分離不安症は今も続いている。
おっとりして優しい性格で、高いところが苦手。キラキラした瞳でじっと見つめて、小さい声で「ニャッ」と鳴く。
「どんなときでもこれをされると人間は彼女の言いなりですが、私がインフルエンザや骨折で寝込んだ時も、ずっと枕元に添い寝してくれました。この子はいったいどんな半生をたどってきたのか…何も語ってくれないけれど、きっと優しいお婆ちゃんに可愛がられていたのだと確信しています。というのも、実家の整理をした時、母が着物をしまっていた茶箱の中に潜り込んで朝まで寝ていたのです。樟脳(しょうのう)の匂いが染み付いた紙に親近感があったようです」
保護から2年半、乳首の脇にしこりができて、乳腺腺癌と判明。乳腺切除の手術をしなければ、臓器の自壊に苦しみながら余命半年という宣告。高齢で免疫が弱いばーにゃちゃんが手術に耐えて、術後、低体温と低血圧で生死を彷徨いながら生き延びたのは「まだ死にたくない、おうちに帰りたい」というばーにゃちゃんの強い意志が影響したのかもしれないという。その後4カ月の抗がん剤治療も頑張った。
ばーにゃちゃんを保護してから夫婦の会話はいつもばーにゃちゃんのことばかり。毎月の通院記録を綴ったノートも12冊超えた。両親の介護の前までは年2回、数週間単位で、夫婦で海外の友人を訪ねていたが、ばーにゃちゃんと暮らしてからは夫婦で旅行をしなくなった。ばーにゃちゃんと一緒にいるだけで毎日が幸せ、大切な存在なのだという。