親切風な警告「あの子どもには気をつけて」に要注意!…周囲に振り回されない親になろう

BRAVA BRAVA

保護者会の時でした。顔見知りのママ友が視線をとある子どもに向けて、「実はね、ウチの子、あの子にやられたみたいなの。気をつけた方がいいよ」と言いました。微細に語りはじめた彼女にうなずきながらも、(そうは言っても、ここんちの子も1年生の頃からわりとやんちゃだったしなぁ。どっちもどっちかもしれない)と第三者の立場で思いました。そして、同時にふいに顔が赤くなりました。

…だって、私、自分のことを棚に上げて思っていたんですから。

実は私も「あのねぇ、ダレソレ君、けっこうイジメみたいな事するって知ってた?」みたいな。

恥ずかしながら、やっぱり同じような事をつい口にしてしまっていたんです…。

「ウチの子も悪いかもしれないけど」からの悪口パターン

正直なところ、次男が小学校3年生くらいの時はけっこう「やられっぱなし」でした。イジメと言う程ではなかったものの(と、冷静な今なら言えるんですが)親としては、やはり不安になります。

このクラスでは、ウチの子に限らず様々な問題が生じていました。ですから親同士、顔を合わせる機会があれば、「ダレソレちゃんが」「ナントカくんがね」と誰が誰に何をしたんだって、そんな話題に集中しました。その中で、私もついこんなことを話していたのです。

「あのさー、ダレソレちゃんには気をつけた方がいいよ」

自分の子がやられた腹いせのつもりはなかったのですが(本当はあった……)、「あの子にやられっぱなし!」という怒りが抑えられず口にしていました。

「えーっ、そうなの? なんかさー、時々聞くよね」
「でしょ」
「何かされたの?」
「まぁ、そりゃウチの子にも悪いとこあるんだとは思うんだよね」

…ウチの子も悪いとは思うんだけど。これが「印籠」ですよ。私は言い訳の印籠をかざしつつ、聞かれたから「仕方なく答えてる体」で仲良しのママに話をぶちまけていました。

「あの子の話題」グルッとまわって戻ってくる

ちょうど難しい年頃なので仕方ない部分もあったでしょう。ただ、こうなってくると噂は収拾がつかなくなっていきます。なぜなら「ダレソレちゃんがやったんだって」「あの子、けっこうスゴいから気をつけないと」こうした話題はグルッと回って、必ず当人である「ダレソレちゃんのママ」の耳に届くものだからです。

それを耳にしたママは、今度は「でもさ~、ナントカ君ってね、わからないようにやるんだよ、ウチも悪いかもしれないけど」。こんな風にグルグルグルグル、「ダレソレ」「ナントカちゃんってね」ネタは巡ってはクラスやママ同士の関係にも影響を及ぼすようになってしまいます。

1年以上がすぎて振り返ってみると、子ども達の間に何らかの問題はあったのでしょうが、それをあおったのは親だったのだとわかります。

「気をつけたほうがいいよ」は、親切な警告のような言い回しです。でも口にした親の本音は違います。「あの子にやられた」=「あの子ヤバいよ、近づかないほうがいいよ」です。

でも、そんなアドバイス、本当は役に立たないのです。

だって、気をつけろと言われたところで、まさか子どもに「あの子と遊ぶな」とは言えません。耳にしたところで、「本当にそうなのかな」と考えるのが普通です。相手が言っている時は(そうは言ってもねぇ)とシビアに見えているにもかかわらず、我が身にふりかかると全く見えなくなってしまう。

わたし、後から反省しましたが。

「母だから」実は密かに思ってる…

ストレートに言えば、いじめられた時、いじめた相手を貶めて制裁を加えたいと思うのは、私は親なら密かに誰でも持っているのではないかと思います。誰だって、自分の子がやられているのがわかったらカッときます。

自分の子にも悪いところがあるのだろうとは考えるでしょう。何とか冷静になり、子どもの言い分を聞くわけですが、子どもは不利になる事は口にしません。それがわかっていても、なお、親はつい「ウチの子にこんな思いをさせるなんて!」…とは口にしなかったとしても、胸中でマグマ爆発するのは決して珍しい事ではありません。

そんな母親の気持ちは、責められないと思うのです。だって、誰だってわが子が可愛いんですから。ところが、第三者になって他のママから話を聞くと「違うんだよな~、そんな言い方しても余計にこじれるだけだよー。遠回しの仕返しなんだよなぁ」なんて思ったりするわけです。

…人の振り見て我が振り直せ、ですが。

こと、子どもに関わるとパッと周りが見えなくなってしまう。それは母親の習性みたいなものだと、私は思います。

なかなか出来ない「周囲に振り回されない母」

だから、こういうママ友同士の話題はなくなりません。保育園でも幼稚園でも小学校でも、あります。トラブルは尾ひれがつくものだし、また聞いた方も「ふんふん、なるほど。それでそれで」となります。帰宅して、なにげなくわが子に「ドコドコちゃんってさ~、どうなのよ?」なんて聞いてしまったりもするわけです。

ごくまれに、とても冷静なお母さんもいます。立ち位置がしっかりしていて、ぶれることなく「我が道を行く」。えらいなー、すごいなーと思うし、子どもの悪口に一切関わらない姿勢を貫ける人の精神力を本当に尊敬します。

でも、それができない人の方が多いんです。私もそのひとりなわけです…。

なぜなら、わが子の痛みが自分に響くからです。自分が傷つくよりも、よほど痛く辛いからです。もちろん、子どもは成長の過程で、この「母親の習性」を利用します。ハッキリ言いますが、「ママにうまく言いつくろって」自分の悪さをなかった事にしようとします。そういう事がきっと、1度や2度はありますよ。だからって、それでその子の性格がねじ曲がっているわけでもないんです。

子育ては途中で投げ出せないのだから

多くの場合、保育園時代なら、子どもが「ダレソレちゃんがあっちいけーってぶった!」そんな話からスタートしますし、学校であれば「今日、ナントカちゃんから絶交だって言われた……」ぽろぽろ泣くわが子を見てビックリ、あわてて「どうした? 何があった?」とイジメを前提として子どもの話を聞いてしまいがちです。

教科書通りに言うならば、

・冷静に何が起きているか判断する
・園や学校と相談する
・わが子の様子を注意深く見守る

といったことが大事なのでしょう。親として、心構えとして「こうするべき」と知っておきたいし、なるべく努力して冷静に行動したいところです。

…が、できません。頭で理解しているのと、行動が一致しない事もあります。気持ちが子どもにピタッと張り付いて理性が吹っ飛んでしまう時だってありますよ、親なんですから。

正直、カッカくる事があったら、できれば子どもと接点のない別の友達に愚痴りましょう。もちろん、夫でもいいのです。大抵、父親の方が冷静です。しかし、たまに聞いたパパのほうが「激怒」して「なんだソレ!オレ、先生に言うわ!」みたいになって、うわ、と急に潮が引くように言ってるママが冷静になり「ちょ、ちょっと待って」と夫を止めたりする事もありますね。

「ダレソレちゃんには気をつけたほうがいいよ」

こそっと話す自分の顔、その表情を思い浮かべると、私は妙に冷静になりました。きっとイヤな顔をしていた事でしょう。顔をゆがめながら、子育ては続きます。

それでも。

子育ては途中で投げ出せません。だからこそ、いちいち深く落ち込んでもいられない!

顔をゆがめ、唇をかみしめ、ふんと鼻をならしながら子育てをしているけれど、でもやっぱり思わずこどものひと言に声をあげて笑ったり、小さな優しさに触れて涙ぐみそうにもなる。

自分にこんなイヤなところがあったのかと気づくのも子育てなら、思いもしなかった幸せな瞬間を得られるのも子育てなのです。

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