プライベートも芸の内?日本の芸能界をとりまくかつてないプレッシャー アンジャ渡部の不倫騒動に思う

中将 タカノリ 中将 タカノリ

今、世間ではアンジャッシュ・渡部建さんが複数の女性と不倫していた問題が大きな波紋を呼んでいる。

「六本木ヒルズの多目的トイレで情事におよんだ」、「数分間の情事のあと1万円を手渡した」などなど下世話な暴露のオンパレードに、僕なんか「そこまでえげつない報道する必要あるんじゃろか……」と首をかしげてしまうのだが、芸能人のプライベートの問題に関する報道や、それに対する世論の盛り上がりは年々大きなものになっているように感じる。

1980年代にも写真週刊誌やワイドショーによる加熱取材が社会問題になったことがあった。社会的マナーを無視した強引な取材や盗撮は日常茶飯事、ひどいものだと自殺したアイドルの遺体を掲載するなんてこともあった。ビートたけしさんが「フライデー襲撃事件」(記者が交際女性への取材時にけがを負わせたことに怒ったビートたけしさんがたけし軍団を引き連れ講談社の「フライデー」編集部を襲撃、暴行におよんだ事件)を起こしたのもその頃である。しかしこの頃の大衆はほとんど一方的な情報のフォロワーであり、問題を起こした芸能人を公に批判したり誹謗中傷する機会を持たなかった。ところが今はSNS全盛時代。名もなき一市民だろうが匿名だろうが、思ったことを全世界に発信することのできる現代において、報道と世論は渾然一体となってタレントに襲いかかるわけである。

そもそも芸能人とは芸を生業とする者。不倫をしようが性格が極悪だろうが、法に背かない範囲で自分の芸をまっとうしてさえいれば批判を受ける筋合いはないはずだ。100%許容されていたわけではないが、いわゆる昭和の大スターには堂々と自分の生き様をつらぬく人が多かった。勝新太郎さんなどその代表的な例だろう。愛人を何人も抱え、連日連夜飲み明かし、湯水のように金を使った挙句に借金までしてしまう。家族にとってはとんでもないロクデナシなのだが、その芸はギラギラと輝いており世間に文句は言わせなかった。

今となってはとてもそんなスタイルは通用しないが、それというのも大衆が一般社会の尺度を芸能人に対して要求するようになったから。インターネットやSNSの普及によって大衆の要求が重要視される時代になり、芸能人は芸によって大衆に感動を与える存在から、大衆の求めに応じて振る舞わざるを得ない存在へと転落したということだ。芸はともかく、いついかなる時もニコニコと愛想をふりまき、セレブらしく模範的な社会人として生活する……。それが芸能人の理想とされるようになってしまったのだ。

同じ現代においてもアメリカではまた事情が違うらしい。6月11日放送の情報番組「グッとラック!」(TBS)に出演したアメリカ出身のお笑いタレント厚切りジェイソンさんによると、アメリカでは芸能人もまた一人の人間であると尊重する傾向が強く、たとえ問題を起こしても日本のように右へならえでバッシングしたり仕事を出来なくさせるようなことは稀ということだ。欧米でもパパラッチによる強引な取材が問題視されることはあるものの、人間のプライベートというものに対して日本よりも成熟した社会通念があるということなのだろう。

日本の芸能界をとりまく環境がこのまま続くということは、芸能人の個性はおろか人権までも侵害するということだ。5月に女子プロレスラーの木村花さんに対するSNS上の誹謗中傷問題が起こった。僕が見る限り、事の発端はともかく今、SNS上で渡部さんに対して投げかけられている誹謗中傷も木村さんに対するそれと大して変わりのないもののように感じる。

身から出た錆とは言え、メディアによるバッシング、大衆による誹謗中傷を受け仕事も失った渡部さん。ジャンルは実績の違いはあるが、僕は同じ芸能畑で生きて来た人間として渡部さんの身の上が心配でならない。渡部さんが責任を負うべきなのは奥さんや仕事の関係者に対してだけあって、社会に対してではない。有名税なんて言葉はもう無くしてしまおう。芸能人はストレス発散用のサンドバッグではない。芸によって大衆の心を癒し、社会を豊かにするのが芸能人。プライベートではもう少し自由に振る舞ってもいいじゃないか。もしこの読者のあなたに芸能人を誹謗中傷した経験があるなら、この記事をご自身の発想を見つめなおすきっかけにしていただければ幸いだ。

なお……。

今回の渡部さんの不倫問題はジェンダー的な視点から批判を受けることも多いようだ。情事が済んだらすぐに帰ってしまう、情事の相手にお金を渡すといった行為が女性からの反感を受けるのだろう。しかし、僕はそうした渡部さんの行為を安易にジェンダーの問題と結びつけることには賛成できない。奥さんに対するDVがあったりするなら別問題だが、単に渡部さんが愛人たちに対して誠意ある交際をしていなかったというだけを挙げて、それを女性蔑視と断言することはできないだろう。相方の児嶋一哉さんも今回の問題をうけて指摘していたことだが、渡部さんには女性に限らず他者全般に対する思いやりが欠けていたのだ。それは女性蔑視と同じくらい褒められないことではあるが……。

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