渋谷の一等地にあった名物喫茶店がコロナ禍の中で閉店…店の歴史綴る長文の貼り紙に惜しむ声続々

北村 泰介 北村 泰介

 コロナ禍の中、東京・渋谷の一等地で1975年から営まれていた喫茶店が、自粛休業のまま再開されることなく、別れを告げる貼り紙を店頭に残して閉店した。丁寧に手書きされた経営者の家族による長文のメッセージには戦前から戦後にかけての開店前の歴史と共に、店主の思いや日常がつづられ、SNSでは常連客らによる別れを惜しむ声が続いている。現地でその貼り紙を確認し、20年あまりにわたって同店に通った女性客に思い出を聞いた。

 JR渋谷駅のハチ公口を出て、スクランブル交差点を渡り、ファッションビル「SHIBUYA109」を正面に見て左手の道玄坂を隔てた対面の路地に少し入ると、牛丼チェーン店とパチンコ店に挟まれて「珈琲店Paris(パリ)」があった。5月下旬の緊急事態宣言解除と時を同じくして、店主による閉店の「お知らせ」が先に貼られた後、さらに、その左下に「珈琲店パリを愛して下さった皆様へ」と題した長い文章が貼り出された。

 長文貼り紙の冒頭には「コロナウイルスによる自粛休業を四月六日よりしておりました。先の見えない休業です。渋谷の一等地で営業しています。余力のない個人経営の小さな小さな喫茶店にとってコロナウイルスは空から降ってきた隕石のようなものでした」と記されていた。「空から降ってきた隕石」というフレーズが重く響く。

 執筆者は「今年90歳になる店主の子」と記す。2代前の祖父は戦前、周辺の川で泳いでいたという、都市化する前の渋谷の姿を証言。戦後の区画整理を経てブティックを開業し、アトリエもあって当時の女優や歌手に贔屓(ひいき)にされたこと、年に2回、春秋にファッションショーを開催していたことも書かれている。喫茶店となった後、父である店主が自宅で丹精込めて育てたバラを店内に飾った日常も描かれる。バラは店のロゴとなり、コーヒーに添えられるバラの形状のホイップクリームは同店の名物となった。

 閉店の公表後、ツイッターでは「渋谷の喫茶店といえばParisでした。本当に寂しい」「仕事帰りにたまに寄るのが癒しでした。渋谷に居るとは思えない静寂と、美しい薔薇のクリーム、忘れられません」「長文の貼り紙が、あまりに濃い歴史を知らせていて胸を打つ」といったコメントが続いた。その中の1人で、自身が撮影したバラのクリーム画像をアップした「裕子さん」は当サイトの取材に対し、店内の様子や空気感をつづった。

 「昔ながらの建物や衣服を見ると、『昔のヒトは小さかったんだな』と実感します。テーブルや椅子、設(しつら)えも小ぶりで、場所柄、商用のサラリーマンや、新聞を読みふけっている年配男性が、ちょこんと腰掛けて珈琲を楽しんでいるさまは、いかつい外見の人であればあるほど、愛らしく思えたり。そう、けして広くはない店内だけど、窮屈さを感じない不思議さがありました。冬の寒い夜、名物のバラのウインナーコーヒーも格別でしたし、夏の昼間、陽光さす窓際で冷たい飲み物も、キラキラした時間だったな。店員さん達の中庸な佇まいも、店内の雰囲気が力まず崩れず、心地よかったものです」

 裕子さんが店に通い始めたのは、渋谷にある大手百貨店内のショップに勤務していた90年代半ば頃から。「喫煙者だったから、吸えたのも、ありがたかったですね。タバコをやめて3年くらいなので、最後に行ったのは3年前あたりでした」(近年は店内禁煙に)。

 通った当初は20代だった裕子さん。「若造が行く感じじゃなかったんですよね。純喫茶(イコール)背伸びをしていく場所。大人の居場所(今は無い)。純喫茶だと良くも悪くもオーナーの癖が出ますけど、ピリピリしてないし、かといってマナーの悪い人はいないし。だから、すごく『中庸な場所』だったんですよ」

 貼り紙はこう締めくくられていた。「この看板を、バラの生クリームを、古いお店をこよなく愛して下さったお客様が閉店を知って残念に、又、寂しく思っていて下さるということを人伝てに聞きました。(中略)皆様への感謝でいっぱいです。皆様、永い間本当に有難うございました。末筆ながら皆様のご健康をお祈り申し上げます。 珈琲店パリ」

 45年間、渋谷駅から徒歩約3分の至近距離にあった「純喫茶」。チェーン店化の波が押し寄せる中でも固定客に支えられてきた。昭和の香りを残した個人経営の店が、また一つ、姿を消した。

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