元ヤクルト投手が今も信条とするノムさんの言葉 営業職にも通じる「ぼやき節」

あの人~ネクストステージ

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 高知商のエースとして88年に春夏連続で甲子園に出場し、ヤクルトに7年間在籍した岡幸俊さん(49)。現在は物流会社「桃太郎便」の丸和運輸機関グループ・株式会社中四国丸和ロジスティクスで「営業部部長」を務めている。

 「ケガとの戦い。どん底を経験しました」と振り返るプロ野球時代。2位指名ながら5球団が競合した期待の右腕は1年目こそ開幕戦からマウンドに上がり、主に中継ぎで22試合に登板する活躍を見せた。しかし、2年目に右肘を故障。その年に就任した野村克也監督にアピールできないまま、2軍でリハビリ生活が続いた。

 3度の右肘手術も回復には至らず、94年に野手転向。「最後は肘が痛くてバットも振れませんでした」。チームがリーグ優勝(92、93、95年)、日本一(93、95年)と快進撃を続ける中、95年シーズン後に静かにユニホームを脱いだ。

 引退後は故郷・高知に戻り、2007年に同社に入社。営業職で経験を積んだ。「車で年4万キロくらい走ります」と、中四国エリアに広がるスーパーなど取引先を駆け回る毎日。3年前には「部長」の肩書きも付いた。

 野球一筋の人生から一転、「縁があって」飛び込んだ営業マン生活の中で、心の支えとなってきたのが「野村監督の教え」だ。

 「僕は2軍が長かったので、直接教わった期間は短いんですけど」と言いながら、岡さんはカバンの中から1枚のメモを取り出した。そこには、2月11日に他界した名将の言葉が並んでいた。

 「恥ずかしいと感じることから進歩が始まる」「バッティングは備えで結果が8割決まるものだ」「縁を大切にすると、人生はより豊かになる」…。

 当時、ヤクルトの選手たちはミーティングの間、野村監督がホワイトボードに書き込む一言一句をノートに書き写していた。岡さんはそのノートを今も事務所の机の引き出しに入れ、折に触れて見返しているという。

 「どの言葉も、野球だけでなく、仕事や普段の生活で役立つものです。若い社員と話すときも使わせてもらっていますよ」。“ぼやき節”に背中を押されながら、力強く第二の人生を歩んでいる。

(デイリースポーツ・浜村博文)

 ◆岡幸俊(おか・ゆきとし)1970年5月31日生まれ、49歳。高知県土佐清水市出身。高知商のエース兼4番打者として88年センバツ16強、夏も甲子園出場。同年ドラフト2位でヤクルト入団。背番号「19」。91年に米国へ野球留学し、1Aサリナス・スパーズでプレー。95年シーズン後に現役を引退。1軍通算23試合登板、0勝1敗。

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