築150年の土蔵「京都舞踏館」で、芸術の深淵に触れる 日本が世界に誇る舞踏の常設館

黒川 裕生 黒川 裕生

築150年以上の古い土蔵。広さはせいぜい10畳ほど。

壁際に座布団を敷いて座る観客6人のすぐ目の前で、全身を白く塗った女性がゆらり、ゆらりと妖しく蠢く。2階から鳴り響く三味線の音に合わせるかのように、時に力強く、時に息をひそめるように舞う―。

ここは2016年7月に誕生した世界初の舞踏専用劇場「京都舞踏館」。踊りを披露したのは、海外公演の経験も豊富な舞踏家の今貂子(いま・てんこ)だ。11月下旬、この日の観客6人のうち5人はヨーロッパなど海外からの旅行者たち。ドイツから来たという中年の男性は終演後、「日本でBUTOH(舞踏)が見られる場所を10年以上探し続けて、ようやくここにたどり着いた。素晴らしかった」と感無量の面持ちで今に話し掛け、束の間の交流を楽しんでいた。ちなみに残り1人は私である。

舞踏は日本で1950年代末に起こった前衛舞踊。日本人の身体性と精神性が表出したその独自のスタイルは、世界のダンスの概念を変革したとも言われ、日本国内よりむしろ海外での評価が高い。半面、「本場」であるはずの日本では、まだまだ「剃髪、白塗り、裸体」といったアングラなイメージが根強く、舞踏の情報を得たり、実際に生の舞踏を見たりする機会が極めて少ないのが実情という。

今は「ここはすごく狭くて特殊な環境だけど、毎週公演を続けられる意義は大きい。自分は経験や技術の積み重ねができるし、リピーターになってくれる海外からのお客さんもいる」と常設館の誕生を喜ぶ。

舞踏館を運営するのは、京都を拠点に多様な芸術活動を展開するアートコンプレックス。統括プロデューサーの小原啓渡と舞踏との出合いは、麿赤兒率いる舞踏集団「大駱駝艦」の公演を見た1981年、大学2年生のときだった。

「雪が降る真冬、田んぼの真ん中に舞台が設営されていました。布団にくるまってガタガタ震えながら、宙吊りになった白塗りの男と女が踊っているのを見たんです。なんじゃこりゃ!というあの衝撃は、いまだに忘れられません」。後に海外でも照明やディレクターとして活躍する小原のキャリアは、ここから始まった。

だが舞踏は海外での高い評価とは裏腹に、国内では若手の不足や観客の減少で、次第に勢いを失っていく。「知らない人からすれば、舞踏のイメージはやっぱり『気持ち悪い』とか『わけがわからん』で、まあ正直、見て楽しいものではないでしょう」と小原。「でも、日本が世界に誇る文化がこのままなくなっていくなんて、もったいないじゃないですか。儲からなくても、誰かがやらないと」

危機感を募らせた小原は、親交のあった滋慶学園グループ総長・浮舟邦彦氏の協力を得て、「舞踏の維持/後進の育成/文化としてのアーカイブ化」を目指す舞踏館を京都・三条にオープン。最大収容人数はわずか9人、コンセプトは「茶室のような劇場」だ。「毎回満席になったとしても、実は採算が取れない」と小原は笑う。現時点では、別事業の収益をつぎ込んでどうにか回しているという。

そんな隠れ家のような場所で繰り広げられる、親密で濃厚な体験。開業からしばらくは客入りも伸び悩み、まして海外への情報発信などままならなかった。それでも少しずつ口コミでファンが増え、1年半ほど経つ頃には海外の観客も定着。当初の出演者は今貂子だけだったが、17年2月から由良部正美、同年9月から袋坂ヤスオが加わり、現在は概ね週3日(火、木、土)、1日2回公演(18時、20時)となっている。

「舞踏はすごく“強い”表現。この場では一期一会だけど、その人の一生の記憶に残るかもしれないので、責任は重大です」と、今。「この狭い空間で、自分の身体を通じてひとりひとりのお客さんと語り合おうと、毎回真剣に向き合っています」

アートコンプレックスによると、来場者の7~8割が外国人。小原は「決して万人向けでの芸術はありませんが、日本の身体性、精神性のルーツを感じてもらいたい。舞踏に何を感じ、どう楽しむかはその人次第。この舞踏館で深みにはまってくれる人がいたら嬉しいです」と話している。

一般4200円、学生3000円。公式サイトからも予約できる。

■京都舞踏館 https://www.butohkan.jp/

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