渋さ炸裂。秀吉が「死んで中に入りたい」ほど愛したやきもの、備前焼とは?

沢田 眉香子 沢田 眉香子

 日本古来からのやきものである備前焼の展覧会が、「ミホミュージアム」(滋賀県甲賀市)で12月15日までおこなわれている。その『The 備前—土と炎から生まれる造形美—』展に行ってきた。

 同館は、館長が熊倉功さんになって以来、茶の湯に強い美術館になった印象。これまでに茶杓展、茶釜展があり、その渋さにのけぞったが、同館展示の渋さ記録が、今回また塗り替えられそうだ。この備前焼は、日本のやきもののなかでも突出した渋さで、ツウ好みぶりもマックスなのだ。

 ここで、ちょっと、やきもの解説。やきものには、ガラス質の釉薬を使うことで、表面がツヤツヤのものと、釉薬なしで焼成するため表面がカサカサの「焼きしめ(焼締)」がある。備前は後者。

 中世(平安後期〜室町時代)から、令和のいままで続くやきものの産地(越前、瀬戸、常滑、信楽、丹波、備前)は「六古窯」と呼ばれるが、そのなかで焼きしめ一筋なのは備前だけ。日本を代表する、キング・オブ・カサカサ陶である。

 備前はもともとが実用品のためのやきものだから、装飾は必要なかった。逆に、この飾らなさに萌えたのが、ワビサビブーム絶頂期の桃山時代の茶人たち。備前は茶道具に用いられ、実用品から鑑賞の対象に大出世したのだ。

 さて、釉薬を使わない焼きっぱなしの備前だが、やきものファンが熱くなるポイントはどこか? 土のテクスチャー「土味(つちあじ)」と、焼いた時にできる偶然の模様で、おもなポイントは、以下の3つだ。

 1. 降りかかった灰が溶けてポツポツとした突起になっている「胡麻(ごま)」

 2. ものを置いた跡が丸く抜ける「牡丹餅(ぼたもち)」

 3. 焼く際に巻いたワラが模様となる「火襷(ひだすき)」

 備前好きのセレブで有名なのが、豊臣秀吉。好きすぎる備前がたくさん出回ることを嫌って窯を壊し、死んだ時は備前の大壺に埋葬された。「死んで中に入りたかったほど、やきもの好き」といえば美しいが、政治外交戦略としてやきもの(と茶の湯)を利用しまくった秀吉であるので、ただ「やきもの好き」だっただけではないだろう。学芸員さんの説明によると、秀吉が恐れたのは「俺の備前コレクションがほかの茶人とかぶること」ではなく、備前の防衛・軍事利用を恐れていたのだという。

 備前の大壺は、水瓶として膨大な貯水量を誇り、籠城の際の備えにもなった。「投げても割れない」ほどの硬さゆえに、薬をすりつぶす鉢「薬研」もつくられた。この薬研は火薬製造の道具である。備前はそんなアブナイやきものでもあったので、江戸時代には限られた窯でしか生産できないよう、統制されていた。

 秀吉が備前の窯を壊した真意が「刀狩・やきもの版」だったとしたら? そして自分の遺骸を備前の壺に入れることを望んだのは、やきもの愛からではなく、備前の水甕の防腐作用やシェルターとしての堅牢性ゆえだったとしたら? 茶の湯でウケる「わびさびの備前」に群がった戦国武将の腹のなかというのも、ちょっと疑ってみる余地がないだろうか?

 茶の湯は今言われるように、平和と精神性の芸道だったのかどうか?「わびさび」(と現在解釈されている価値)の裏に、誰が何を隠していたのか? 備前を見る時には、ちょっと心に留めておきたい。

 展覧会では、古備前だけでなく、近代から現代の備前作家も多数紹介する。

ミホミュージアム http://www.miho.or.jp/

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